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“因縁”の1トップで先発の岡崎、本田との縦コンビに「オプションになれば」

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[2.6 キリンチャレンジ杯 日本3-0ラトビア ホームズ]

 “因縁”の1トップだった。先発11人中、10人を海外組が占めたラトビア戦。そんな中、4-2-3-1の1トップを務めたのは日本代表FW岡崎慎司(シュツットガルト)だった。

 岡崎が代表戦に1トップで先発したのは南アフリカW杯直前に行われた10年6月4日のコートジボワール戦以来、約2年半ぶり。当時、どん底の状態だった日本代表はコートジボワール戦で12年ぶりとなる国際Aマッチ4連敗を喫し、南アフリカへと飛んだ。

 そして、それまでエースとしてチームを引っ張ってきた岡崎は先発から外され、MF本田圭佑(CSKAモスクワ)が急きょ1トップを任される形でW杯本大会に突入。皮肉にも、この急造布陣が奏功し、自国開催以外のW杯では史上初の決勝トーナメント進出という快挙を成し遂げた。

「1トップはコートジボワール戦以来だった。当時のことは、悔しい思い出として今も残っている」。この日、殊勲の2ゴールを挙げ、満面の笑みを見せていた岡崎の表情が一瞬、曇るほど、当時の記憶は苦いものだった。

「あのときは自分が1トップとしてプレッシャーに負けていたところもあった。たとえ何回やられても、前線で戦う気持ちだけは持つように、そういう選手になりたいと思った。前で勝負できるように、何回でもチャレンジしようと。サイドでプレーするときより、1トップで試合に出るときは、いつも心に思うものがある」

 あれから2年半。ドイツでもまれ、成長した姿を見せるには絶好の機会だった。長身選手が並ぶラトビアのCBにも負けじと体を張り、何度跳ね返されても、そのたびに立ちあがり、果敢に勝負した。「どれだけCB2人を引き付けられるか。それと、僕が戦うということ。そこを意識してプレーしたし、僕がCB2人に負けちゃいけない。五分五分だったかな。やれた部分もあったし、足を出された部分もあった」。1トップとしてプレーした前半の45分間を冷静に振り返った。

 前半は岡崎が1トップ、本田がトップ下に入った。A代表ではもちろん、北京五輪に出場したU-23日本代表時代を含めても「なかった」形だった。「自分が最初に動き出すことで、あいつ(本田)が空く。自分がニアに入ったことで(本田)圭佑がシュートを打った場面もあった」。スペースに抜ける動きが武器の岡崎と、岡崎の動きによって空いたバイタルエリアで前向きでボールを受けて一発のパスを狙う本田。相性は悪くなかった。

「オプションになればいいかなと思うけど、1トップには前田さんもハーフナー・マイクもいる。ただ、そういう選手がいないときに自分が入れたらいいと思うし、どこに入っても自分の色を出せるようになりたいと思っている。どこのポジションに行っても、自分は下っ端だと思ってがんばるだけです」。どこまでも謙虚なストライカーは、“こだわり”の1トップとして、2年半前に味わった屈辱を晴らすチャンスを常に待っている。

(取材・文 西山紘平)

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