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中村俊輔氏、自慢の左足FK3発に計6ゴール!! 「全ての始まり」三ツ沢で引退試合&セレモニー

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胴上げされる中村俊輔

[12.17 中村俊輔引退試合 横浜FC 3-6 J-DREAMS ニッパツ]

 昨季限りで25年間のプロ生活に幕を閉じた中村俊輔氏が17日、ニッパツ三ツ沢球技場で引退試合『SHUNSUKE NAKAMURA FAREWELL MATCH』を行った。俊輔は横浜FC関係者で構成された「YOKOHAMA FC FRIENDS」、日本代表経験者が並んだ「J-DREAMS」の両チームで45分間ずつプレーし、代名詞のFKだけで3ゴールを奪取。合計6ゴールの大活躍で豪華なレジェンドが共演した華試合の主役となった。

 世界を驚かせた自慢の左足は引退から1年経っても健在だった。前半6分、ゴール左斜め前からのFKをゴール左上隅に突き刺すと、その後も圧巻の直接FKで2ゴールを奪取。その他にもダブルタッチからの右足ゴール、ダイレクトでも精度の落ちない左足ゴール、最後の最後で突き刺した左足ミドルシュートと、いずれも質の高さが際立つ6得点を沈めていった。

 試合後には引退セレモニーに登壇した俊輔。この試合を実施してくれたクラブ、関係者、スポンサーに丁寧に謝辞を述べた後、地元横浜の聖地・三ツ沢への愛着からスピーチを切り出した。

「思えば最初にサッカー観戦というものをしたのがここ三ツ沢で、ちょうどあの辺の席で、コンクリートの椅子だった時です。父親に連れられて見たのが日産自動車と読売クラブの試合でした。両チームの10番、木村和司さんとラモス瑠偉さんに魅了され、自分もああなりたいと思ったのが全ての始まりだったんじゃないかなと思います。プロ初出場も初ゴールもここ三ツ沢でできました。私にとって切っても切れないとても大切な場所で、最後にプレーができてとても嬉しく思います」

 1997年に横浜マリノス(現横浜F・マリノス)でプロキャリアをスタートし、初年度から中心選手として活躍した俊輔。その後、レッジーナ、セルティック、エスパニョールと海外挑戦を果たし、UEFAチャンピオンズリーグ(欧州CL)にも出場する選手となったが、まずはプロ入り当時の自らを支えた周囲への感謝を先に述べた。

「プロになり、横浜マリノスに入団し、井原(正巳)さん、小村(徳男)さん、川口(能活)さん、城(彰二)さん、マツ(松田直樹)さんという偉大な先輩たちの背中を見て、自分のレベルを上げることができ、プロという厳しい中で生き抜く術を見つけることができました。その後、海外にも挑戦し、イタリア、スコットランド、スペインでプレーし、チャンピオンズリーグでもプレーすることができました。日本代表では国と10番を背負い、誇りを感じながらプレーできました。自分はサッカーノートを書いていたんですが、目標のところに書いたことをクリアしていく実感を感じられたことがよかったと思います」

 続いて挫折経験も吐露。「その中でもいいことばかりじゃありませんでした。やっぱり自分の中で一番悔しかったのが2010年のW杯です。積み上げてきたものをW杯で出したかったですが、なかなかうまくいかず、メンタルも状態も良くないなか、いつも励ましていただいたり、応援してくれた家族の存在はとても大きかったです。いつもサポートだけでなく、一緒に戦ってくれた妻にも感謝します。ありがとうございます」。妻への感謝に続き、両親、かつての所属クラブの関係者への感謝を続けた。

「サッカーというものに出会わせてくれた両親、いつも自分のことより私を優先し、サッカーできる環境をいつも作ってくれました。両親にも感謝したいです。ありがとうございます。最後になりますが、自分が所属した、深園FC、日産Jrユース、横浜マリノス、横浜F・マリノス、レッジーナ、セルティック、エスパニョール、そしてジュビロ磐田、横浜FCと一緒に戦った監督、コーチ、スタッフ、サポーターの方々、かけがえのない、大切なものができました。本当にありがとうございました」

 そして最後はすでに横浜FCでスタートしている指導者業への意気込みを語った。「これから第2の人生が始まっていますが、指導者として少しでも日本サッカーに貢献すること、一人でも多くの選手と信頼関係を築き、上達してもらえるように日々努力、精進してまいります。まだまだ未熟ですがご指導よろしくお願いします」。セレモニー後にはこの日出場したレジェンドたちから胴上げされ、スタジアムを一周。多くのファン・サポーターに見守られる中、未来への一歩を踏み出した。
ゲキサカ編集部
Text by ゲキサカ編集部

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