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東洋大DF若狭、大分から異例の即オファー!!無名の存在からJリーガーへ

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 東洋大のDF若狭大志(4年=浦和学院高)が来季から大分トリニータに入団することが発表された。若狭は身体能力が高く、フィジカルの強さが武器のセンターバック。高校時代までは無名で、大学1年生時も公式戦の出場はなかったが、大学2年生時に頭角を現すと、不動のディフェンスリーダーとして先発に定着。すると昨夏には2部所属ながら関東大学選抜にも選出され、関東2部ベストイレブンに輝いた。今年3月のデンソー杯には関東選抜の一員として出場。そしてJクラブからの注目も受け、練習参加を重ねると、一気にプロへの道を駆け上がった。

 若狭は7月19日から24日にかけて大分の練習に参加。「本職はCBだと思うがボランチで見てみたい」というクラブからの要請で最終日の練習試合では、ボランチとしてプレーした。所属先の東洋大と大分はともに3-6-1システム。自身初のボランチでのプレーに戸惑いはしたものの、慣れたシステムだったこともあり、堂々とプレー。わずか5泊6日の滞在で信頼を勝ち取った。

 すると練習参加最終日に行われた田坂和昭監督と強化担当者との面談で、まさかのその場での口頭オファー。「大分としても、今までこんなことはないと言われました」と若狭が話したように、能力を高く評価してくれたクラブ側から“異例の即オファー”が伝えられ、8月中に答えを出すように言われた。

 甲府や大宮、横浜FCにも練習参加していた若狭が、悩んだ末に出した答えは大分への入団だった。「3-6-1の後ろ3枚、ボランチ2枚の5つのポジションでプレーすることになると思う。でもCBはCBで楽しいし、ボランチはボランチで楽しい。使ってもらえるところで自分の持ち味を精一杯出したい」と力を込める。大卒選手ながら契約期間は3年。しかし、その3年間に甘えるつもりはなく、「早い段階から試合に出れなきゃ意味がないと思ってる。出られるように頑張りたい」と意気込んだ。

 無名の存在からJリーガーとなるまでの道のりは楽ではなかった。両親との約束で大学3年生以降の学費は、自ら払う約束となっていた。それ故、1年生時からアルバイトに励み、練習後も自主練習をすることなく、すぐに帰宅。公式戦後にも、アルバイト先へ走って向かう姿が多く見受けられていた。しかし、先発へ定着して迎えた大学2年生時の後期リーグ戦。守備陣のミスから朝鮮大に0-3の大敗を喫すると、試合後に西脇監督から「技術はいくらでも身に付くが、身体能力は身に付くものではない。お前の態度は(身体能力を)持っていない人に失礼だ」と一喝された。この言葉が若狭を大きく変える。「今まで目標とかは無くサッカーやってきたんですけど、もっと上を目指してやっていこうとサッカーに対する姿勢が変わりました」。それからはアルバイトの回数を減らし、練習後には積極的に自主練習に取り組んだ。サッカーと向き合う時間が増えると、次第に技術や判断力など多くのものが身についていった。

 そして昨年7月に韓国遠征を行う関東大学選抜に選出。同選抜の監督を務めた神川明彦監督(明治大)からも高評価を受け、積極的なプレーを続けると選抜にも定着。明るくユニークなキャラクターでいつの間にか選抜の中心となり、選抜のチームメイトたちからは「ある意味、若狭のチームですよ(笑)」という冗談も聞かれるほどの存在に成り上がった。かつて流通経済大と総理大臣杯予選で対戦したときには「有名な選手がいっぱいいて。みんなは知り合いがいたりしたけど、有名高じゃなかった俺は友達もいないし。テレビで見たことある人ばかりで緊張した」と表情を強張らせていた若狭だが、一つ一つステップを昇り、いつの間にか関東1部の強豪校の選手と並ぶまでとなり、プロ入りを手に入れた。夢だったJリーガーへ。まずは所属先の東洋大を関東1部昇格へ導き、プロ1年目へ向けての弾みをつけるつもりだ。

(取材・文 片岡涼)

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