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3度目の全日本選手権優勝のドゥダ。「全員の力で勝てた」

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[3.18 PC決勝 大阪3-1浦安 代々木第一体育館]

 シュライカー大阪をプーマカップ2012優勝に導いたドゥダ監督。指揮官にとっては3度目の全日本選手権、優勝だった。

 初めて全日本選手権のタイトルを取ったのは、01年のことだった。CASCAVEL BANFF(現ペスカドーラ町田)の一員として、決勝のFIRE FOX戦で得点を挙げるなど、優勝に大きく貢献した。2度目の全日本優勝は、10年。大阪が初めて全日本を制した時も、決勝でゴールを挙げている。

 当時のプレースタイルは『ザ・ストライカー』。「自分が戦術だ」とばかりに、ボールをキープしてからゴリゴリ、ゴリゴリと相手ゴールを目指していった。Jリーグのクラブ入りを目指して来日したブラジル人アタッカーの技術、フィジカルの強さは、当時のフットサル界でも群を抜いていた。

 だが、チームの指揮を執る彼は、まるで違う姿を見せている。

「優勝できて、本当にうれしい。でも、この優勝は僕の力ではありません。監督だけではうまくいかない。監督はせいぜい、20%の役割しかできない。あとの80%はチームの力です」と謙虚に語る。

 10年シーズン途中、前監督の辞任に伴い、当時選手として大阪でプレーしていたドゥダは現役を引退。監督に就任した。現役時代とは異なり、個に頼らず集団で戦うことを極めて重んじる。

 特徴的なのは、選手起用だ。交代が自由のフットサルでも、ベンチ入り選手をすべて試合で起用する監督は少ない。だが、ドゥダはこの日の決勝を含めて、ほとんどの試合でベンチ入りさせた選手を起用する。それは、選手に限らない。スタッフにも、ともに戦うことを求める。

「僕が就任する前、試合中にトレーナーは誰が何分出たか、選手のプレー時間を記録するだけでした。でも、絶対に僕が見えていないところを見えていたりするんですよ。実際に『このセット(選手の組み合わせ)は噛みあっていた』という印象があったのに、プレー時間を見たら、そのセットを使っている時間が短かったりしました。そういうとき、トレーナーの人に『あのセットをもっと使ったらどうですか』とか、アドバイスをしてもらえばチームは良くなりますよね。チームが勝つためには、それぞれが持っているものを、出さないといけません。それは選手だけではなく、チームスタッフも同じなのです」

 チームの潜在能力を引き出し、頂点に導いた指揮官。来季は名古屋オーシャンズのみが獲得しているリーグタイトル獲得を目指す。

「来シーズンは、名古屋に勝ちたいですね。名古屋の強さはよく知っています。でも、自分たちが強いということも決して忘れてはいけません。最後に結果がどうなるかはわかりませんが、全力を尽くしてやります」

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