プリンス2部からU-17W杯に挑んだFWマギージェラニー蓮、世界で芽生えた猛烈な向上心「みんなとサッカーできる環境が最強すぎた」
日本をベスト8に導いたFW
所属先は高円宮杯プリンスリーグ九州2部のFC琉球U-18。トレセンと候補合宿という限られた機会で圧倒的な身体能力を武器にアピールを果たし、U-17W杯に挑んだU-17日本代表FWマギージェラニー蓮は大会後、猛烈な決意と覚悟、そして向上心を抱いて帰国していた。
「本当にこの経験が最強すぎた。W杯に出るのは最初から夢だったけど感慨まではなくて、でも(初招集された)大阪キャンプから急に気持ちが上がってきて、最初は選ばれないと思って選んでもらえて、もう最高の環境でした。みんなとサッカーができるこの環境が最強すぎて、今はまたみんなとサッカーしたいと思いながら、2年後のU-20W杯に出られるように自分のチームに帰ってみんなで頑張ろうって約束したのでもっと頑張ります」
日本とアメリカにルーツを持つマギーは、今年9月27日から10月1日に行われたU-17日本代表候補合宿(大阪)で初招集され、一気にU-17W杯メンバー入りを掴んだストライカー。当初は“隠し球”としての起用が見込まれたが、エースとして期待されたFW瀬尾凌太(桐蔭学園高)とFW谷大地(鳥栖U-18)が相次いで負傷辞退するアクシデントもあり、2試合の先発を含む5試合で出番を掴むと、ラウンド16の北朝鮮戦では豪快なヘディングで先制点も記録した。
技術的には粗削りだが、186cm/86kgという屈強な体躯に支えられた強さと推進力はすでに世界基準。ポルトガル代表のDFマウロ・フルタド(ベンフィカ)、オーストリアのDFイフェアニー・ヌドゥクウェ(オーストリア・ウィーン)といった今大会屈指のCBとのデュエルでもその強さは引けを取らず、大会を通じて将来が楽しみなパフォーマンスを見せていた。
「自分はプリンス2部で、そういう相手は絶対に出てこないので最初はびっくりしていたけど、やっぱり自信は持っていたので。こういう場所で自信を持ってやっていかないとチームに迷惑だし、監督も出してくれたので頑張るしかないと思いながらずっと最後の1分まで頑張っていた」
それでもなお、自身のパフォーマンスに対する満足はなかった。
マギーの脳裏に刻まれたのは決勝に残ったポルトガルのフルタドとオーストリアのヌドゥクウェル、そしてラウンド16で対戦する可能性があったベネズエラDFマルコス・マイタン(モナハス)の衝撃だった。「この3人が自分の目では世界基準に見えた。こういう選手が絶対に上がってくるんだなと思うし、自分はまだまだだなと。でもその高い場所に行きたいんだったらこれからもしっかり練習して、そういう選手に勝てるように頑張らないといけないなと思いました」。ハイレベルな相手を射程に入れ、成長の必要性を感じていた。
さらに大会を通じて1ゴールという結果にも悔いが残っていた。「1試合(北朝鮮戦)で活躍することができたけど、目的はベスト4まで行って優勝することだったので、それができなくて申し訳ない。W杯前は点を取ることもできて、日本代表でもキャンプでは点を取ることができていたけど、W杯で自分の力を出せないのはまだまだ。ここから頑張らないと絶対に自分は落ちていくんだと思う」。その口ぶりからは大きな危機感がにじんでいた。
その一方、このU-17W杯期間は試合以外でも貴重な経験を重ねる日々となった。マギーはアメリカ人の父を持ち、5歳から3年間ほどアメリカに住んでいたため、英語を難なく使いこなすバイリンガル。アメリカからU-17日本代表入りした主将のGK村松秀司(ロサンゼルス)とは英語でもコミュニケーションを取り合い、大きな刺激をもらったという。
「秀司とはずっと喋っていた。これまでずっと日本語で喋っていたので、英語も喋れたのは良かった。最初は秀司とも日本語で喋っていたけど、(大会直前合宿で)ドバイにいた時にずっと喋っていて、もうチームメートというよりお兄ちゃんみたいな感じで。家族みたいな感じになれた。アイツもアメリカで頑張ると思うので、俺も日本で頑張って、また会えるようにお互い頑張ろうって約束しました」
さらに同じホテルに滞在していたことから、日本で話題を呼んだメキシコ代表との交流においても英語でコミュニケーションを取る機会があったようだ。
「メキシコの子たちは数人アメリカから来ていたのでいろんなことを話せたし、アメリカが懐かしいなと思いながら。『チームどう?』とか、『アメリカのサッカーどう?』とか、『W杯の後どうするの?』って話もしました。そういう選手たちはトップチームじゃなく大学に行く選手が多いみたいで『自分はどうするの?』とも聞かれて……」
かつては「アメリカの大学に行くつもりだった」というマギーだったが、心は決まっていた。「この前のU-20W杯を見ていたらアメリカも日本も大学の選手はほとんど出ていなかったので、それならトップに行ったほうがいいなと。そこからは大学じゃなく、トップに上がったほうがいいなと思ってやってきた」。近いバックグラウンドの選手との交流を通じ、自らが決断したキャリアへの思いをより強くしていた。
沖縄に戻ってからは再び、日常での戦いが始まる。プリンスリーグ九州2部は2試合を残し、昇格圏内の2位。3位の鳥栖U-18 2ndとは勝ち点6差をつけており、次節には直接対決を控えており、最終節には独走優勝を決めた東海大星翔高とのビッグマッチも待ち構えている。
「沖縄に帰って、チームに帰って、もっと練習強度高く頑張って、トップチームの練習参加もしたいし、そうじゃないとみんなはプレミアにも出ているので。このままだと自分は落ちていくだけで、絶対にU-20でみんなとできないと思うので、もっと高い基準の練習をしないといけないと思いながら帰ります」。世界で味わった充実感と危機感を胸に、マギージェラニー蓮は世界的ストライカーへの道を突き進む。
(取材・文 竹内達也)
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「本当にこの経験が最強すぎた。W杯に出るのは最初から夢だったけど感慨まではなくて、でも(初招集された)大阪キャンプから急に気持ちが上がってきて、最初は選ばれないと思って選んでもらえて、もう最高の環境でした。みんなとサッカーができるこの環境が最強すぎて、今はまたみんなとサッカーしたいと思いながら、2年後のU-20W杯に出られるように自分のチームに帰ってみんなで頑張ろうって約束したのでもっと頑張ります」
日本とアメリカにルーツを持つマギーは、今年9月27日から10月1日に行われたU-17日本代表候補合宿(大阪)で初招集され、一気にU-17W杯メンバー入りを掴んだストライカー。当初は“隠し球”としての起用が見込まれたが、エースとして期待されたFW瀬尾凌太(桐蔭学園高)とFW谷大地(鳥栖U-18)が相次いで負傷辞退するアクシデントもあり、2試合の先発を含む5試合で出番を掴むと、ラウンド16の北朝鮮戦では豪快なヘディングで先制点も記録した。
技術的には粗削りだが、186cm/86kgという屈強な体躯に支えられた強さと推進力はすでに世界基準。ポルトガル代表のDFマウロ・フルタド(ベンフィカ)、オーストリアのDFイフェアニー・ヌドゥクウェ(オーストリア・ウィーン)といった今大会屈指のCBとのデュエルでもその強さは引けを取らず、大会を通じて将来が楽しみなパフォーマンスを見せていた。
「自分はプリンス2部で、そういう相手は絶対に出てこないので最初はびっくりしていたけど、やっぱり自信は持っていたので。こういう場所で自信を持ってやっていかないとチームに迷惑だし、監督も出してくれたので頑張るしかないと思いながらずっと最後の1分まで頑張っていた」
それでもなお、自身のパフォーマンスに対する満足はなかった。
マギーの脳裏に刻まれたのは決勝に残ったポルトガルのフルタドとオーストリアのヌドゥクウェル、そしてラウンド16で対戦する可能性があったベネズエラDFマルコス・マイタン(モナハス)の衝撃だった。「この3人が自分の目では世界基準に見えた。こういう選手が絶対に上がってくるんだなと思うし、自分はまだまだだなと。でもその高い場所に行きたいんだったらこれからもしっかり練習して、そういう選手に勝てるように頑張らないといけないなと思いました」。ハイレベルな相手を射程に入れ、成長の必要性を感じていた。
さらに大会を通じて1ゴールという結果にも悔いが残っていた。「1試合(北朝鮮戦)で活躍することができたけど、目的はベスト4まで行って優勝することだったので、それができなくて申し訳ない。W杯前は点を取ることもできて、日本代表でもキャンプでは点を取ることができていたけど、W杯で自分の力を出せないのはまだまだ。ここから頑張らないと絶対に自分は落ちていくんだと思う」。その口ぶりからは大きな危機感がにじんでいた。
その一方、このU-17W杯期間は試合以外でも貴重な経験を重ねる日々となった。マギーはアメリカ人の父を持ち、5歳から3年間ほどアメリカに住んでいたため、英語を難なく使いこなすバイリンガル。アメリカからU-17日本代表入りした主将のGK村松秀司(ロサンゼルス)とは英語でもコミュニケーションを取り合い、大きな刺激をもらったという。
「秀司とはずっと喋っていた。これまでずっと日本語で喋っていたので、英語も喋れたのは良かった。最初は秀司とも日本語で喋っていたけど、(大会直前合宿で)ドバイにいた時にずっと喋っていて、もうチームメートというよりお兄ちゃんみたいな感じで。家族みたいな感じになれた。アイツもアメリカで頑張ると思うので、俺も日本で頑張って、また会えるようにお互い頑張ろうって約束しました」
さらに同じホテルに滞在していたことから、日本で話題を呼んだメキシコ代表との交流においても英語でコミュニケーションを取る機会があったようだ。
「メキシコの子たちは数人アメリカから来ていたのでいろんなことを話せたし、アメリカが懐かしいなと思いながら。『チームどう?』とか、『アメリカのサッカーどう?』とか、『W杯の後どうするの?』って話もしました。そういう選手たちはトップチームじゃなく大学に行く選手が多いみたいで『自分はどうするの?』とも聞かれて……」
かつては「アメリカの大学に行くつもりだった」というマギーだったが、心は決まっていた。「この前のU-20W杯を見ていたらアメリカも日本も大学の選手はほとんど出ていなかったので、それならトップに行ったほうがいいなと。そこからは大学じゃなく、トップに上がったほうがいいなと思ってやってきた」。近いバックグラウンドの選手との交流を通じ、自らが決断したキャリアへの思いをより強くしていた。
沖縄に戻ってからは再び、日常での戦いが始まる。プリンスリーグ九州2部は2試合を残し、昇格圏内の2位。3位の鳥栖U-18 2ndとは勝ち点6差をつけており、次節には直接対決を控えており、最終節には独走優勝を決めた東海大星翔高とのビッグマッチも待ち構えている。
「沖縄に帰って、チームに帰って、もっと練習強度高く頑張って、トップチームの練習参加もしたいし、そうじゃないとみんなはプレミアにも出ているので。このままだと自分は落ちていくだけで、絶対にU-20でみんなとできないと思うので、もっと高い基準の練習をしないといけないと思いながら帰ります」。世界で味わった充実感と危機感を胸に、マギージェラニー蓮は世界的ストライカーへの道を突き進む。
(取材・文 竹内達也)
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