大学1年でプロ入り決断! 無名の快足アタッカー、名古屋産業大MF林田友兜が札幌加入!
左から札幌の竹林京介強化部長、MF
北海道コンサドーレ札幌は12日、名古屋産業大のMF林田友兜(旧姓・安部/1年=霞ヶ浦高)が今シーズンから加入することを発表した。林田は「自分がプロ選手に抱いた感情と同じように、子どもたちをワクワクさせるような選手になっていきたい」と意気込みを口にしている。
50mを6秒1で走る快足アタッカーが、異例とも言える早期プロ入りをつかみ取った。名古屋産業大の大久保隆一郎GKコーチ(スカウト兼任)が札幌MF原康介の出身校・名古屋高のヘッドコーチも務めている縁もあり、札幌は早くから林田の動向をチェック。スピードを生かした縦突破と前線からの献身的な守備が目に留まり、1月に行なわれた沖縄キャンプに帯同した。
初日こそプロのレベルの高さに戸惑い、持ち味を発揮できなかったが、大久保GKコーチや鈴木智樹スカウトの「仕掛けて良いんだぞ」という声や、札幌の選手たちから掛けられたアドバイスに背中を押された。少ないチャンスを物にしなければいけない試合展開が多い大学でのプレーとは違い、技術の高い選手が多いプロの世界では練習通りの攻撃ができる回数も多い。持ち味である推進力溢れる動きをアピールできた結果、プロ入りのオファーをつかみ取った。
元々、茨城県出身の林田が愛知県の大学に進学したのはプロになるため。在学中にプロ入りを果たす人生プランを描いてはいたが、「さすがに1年生でプロになれるとは思っていなかった」。大学を辞めてのプロ入りには迷いもあったが、「サッカーに集中できる環境が羨ましく、今すぐプロの世界に飛び立ちたかった」ため札幌入りを決断した。
「自分でも凄く驚いている」と口にする通り、これまではプロとは縁遠いキャリアを歩んできた。牛久市立下根中学時代は地区トレセン止まり。コロナ禍の影響もあり、県大会も2回戦までしか経験していない。当時について林田はこう振り返る。「プロサッカー選手になるのが夢だったけど、中3ぐらいからは恥ずかしくて口に出せなかった」。
当時から校内では俊足として知られていたが、コロナ禍で部活動ができない期間に体幹トレーニングや坂道ダッシュなどを繰り返した結果、スピードがアップ。霞ヶ浦高入学後は俊足を生かして1年目からAチームに絡んだが、2年目は半月板を損傷し、半年以上サッカーができなかった。実戦復帰を果たしても、試合勘や体力が戻らず、出番を得ても途中出場ばかり。「“俺を出したら勝てるぞ”みたいな気持ちはあったのですが、あまり自分に自信が持てなかった」。
大学進学を考えた際、真っ先に浮かんだのはいち早く声を掛けてくれていた名古屋産業大だった。大久保GKコーチは月に1度、霞ヶ浦高を指導していた縁もあり、「大久保さんが作る練習の雰囲気でサッカーがしたかった」。名古屋産業大では開幕戦からベンチ入りを果たし、途中出場でデビュー。第2節からスタメンとなり、第3節では初ゴールも記録した。今年2月末には東海選抜の一員としてデンソーカップチャレンジも経験。これまでの努力が実る形となったが、本人は戸惑いの色を隠せない。
「自分は下手糞で足元もない。レベルが高い人たちとサッカーもやることがなかったので、どんどん自信をなくす日々だったのに、なんでこんな急に変わったんだろうって。大学に入ってから急に色んなことが起きている」。そう苦笑いするが、「これまで見てきた選手の中でも誰より速い」と大久保GKコーチが評する俊足は魅力十分。試合の流れを変えるジョーカー役として早期の出番もありそうだ。
プロ入りを喜ぶのは、これまで携わったサッカー関係者だけではない。今まで支えてくれてきた母親とのLINEのやり取りからは嬉しさを感じるという。「これまでサッカーができていたのは母がいたから。次は自慢できるサッカー選手になりたい」。無名の存在からJリーガーまで駆け上がったサクセスストーリーと同じようにプロの世界でも一気に主役の座まで上り詰める。
(取材・文 森田将義)
★日程や順位表、得点ランキングをチェック!!
●2025シーズンJリーグ特集
50mを6秒1で走る快足アタッカーが、異例とも言える早期プロ入りをつかみ取った。名古屋産業大の大久保隆一郎GKコーチ(スカウト兼任)が札幌MF原康介の出身校・名古屋高のヘッドコーチも務めている縁もあり、札幌は早くから林田の動向をチェック。スピードを生かした縦突破と前線からの献身的な守備が目に留まり、1月に行なわれた沖縄キャンプに帯同した。
初日こそプロのレベルの高さに戸惑い、持ち味を発揮できなかったが、大久保GKコーチや鈴木智樹スカウトの「仕掛けて良いんだぞ」という声や、札幌の選手たちから掛けられたアドバイスに背中を押された。少ないチャンスを物にしなければいけない試合展開が多い大学でのプレーとは違い、技術の高い選手が多いプロの世界では練習通りの攻撃ができる回数も多い。持ち味である推進力溢れる動きをアピールできた結果、プロ入りのオファーをつかみ取った。
元々、茨城県出身の林田が愛知県の大学に進学したのはプロになるため。在学中にプロ入りを果たす人生プランを描いてはいたが、「さすがに1年生でプロになれるとは思っていなかった」。大学を辞めてのプロ入りには迷いもあったが、「サッカーに集中できる環境が羨ましく、今すぐプロの世界に飛び立ちたかった」ため札幌入りを決断した。
「自分でも凄く驚いている」と口にする通り、これまではプロとは縁遠いキャリアを歩んできた。牛久市立下根中学時代は地区トレセン止まり。コロナ禍の影響もあり、県大会も2回戦までしか経験していない。当時について林田はこう振り返る。「プロサッカー選手になるのが夢だったけど、中3ぐらいからは恥ずかしくて口に出せなかった」。
当時から校内では俊足として知られていたが、コロナ禍で部活動ができない期間に体幹トレーニングや坂道ダッシュなどを繰り返した結果、スピードがアップ。霞ヶ浦高入学後は俊足を生かして1年目からAチームに絡んだが、2年目は半月板を損傷し、半年以上サッカーができなかった。実戦復帰を果たしても、試合勘や体力が戻らず、出番を得ても途中出場ばかり。「“俺を出したら勝てるぞ”みたいな気持ちはあったのですが、あまり自分に自信が持てなかった」。
大学進学を考えた際、真っ先に浮かんだのはいち早く声を掛けてくれていた名古屋産業大だった。大久保GKコーチは月に1度、霞ヶ浦高を指導していた縁もあり、「大久保さんが作る練習の雰囲気でサッカーがしたかった」。名古屋産業大では開幕戦からベンチ入りを果たし、途中出場でデビュー。第2節からスタメンとなり、第3節では初ゴールも記録した。今年2月末には東海選抜の一員としてデンソーカップチャレンジも経験。これまでの努力が実る形となったが、本人は戸惑いの色を隠せない。
「自分は下手糞で足元もない。レベルが高い人たちとサッカーもやることがなかったので、どんどん自信をなくす日々だったのに、なんでこんな急に変わったんだろうって。大学に入ってから急に色んなことが起きている」。そう苦笑いするが、「これまで見てきた選手の中でも誰より速い」と大久保GKコーチが評する俊足は魅力十分。試合の流れを変えるジョーカー役として早期の出番もありそうだ。
プロ入りを喜ぶのは、これまで携わったサッカー関係者だけではない。今まで支えてくれてきた母親とのLINEのやり取りからは嬉しさを感じるという。「これまでサッカーができていたのは母がいたから。次は自慢できるサッカー選手になりたい」。無名の存在からJリーガーまで駆け上がったサクセスストーリーと同じようにプロの世界でも一気に主役の座まで上り詰める。
(取材・文 森田将義)
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