beacon

長崎DF飯尾⻯太朗が現役引退「⾃分⾃⾝に嘘をついたまま続けることはできない」今後はフロントスタッフを担当

ポスト
Xに投稿
Facebookでシェア
Facebookでシェア
URLをコピー
URLをコピー
URLをコピーしました

DF飯尾⻯太朗

 V・ファーレン長崎は8日、DF飯尾⻯太朗(34)が今季限りで引退することを発表した。今後については「本⼈の⻑崎を愛する強い気持ちを尊重し、V・ファーレン⻑崎のフロントスタッフとして共に戦ってもらうことになりました」とも発表している。

 飯尾はヴィッセル神戸の下部組織から阪南大に進学し、2013年に松本山雅FCでプロキャリアをスタートさせた。17年から2年間は長崎でプレーし、以降はベガルタ仙台とブラウブリッツ秋田にも所属して24年に長崎へ復帰。昨年は右前十字靭帯断裂および右膝外側半月板断裂と診断される重傷を負い、今季はJ2で3試合の出場にとどまった。

 出場記録はJ1通算56試合2得点、J2通算171試合14得点。ルヴァンカップには9試合、天皇杯には10試合出場した。飯尾は引退に際して以下のようにコメントしている。

「今シーズンもファン・サポーター、パートナーの皆様から温かいご⽀援、ご声援をいただき、本当にありがとうございました。そして、改めまして J1 昇格おめでとうございます。今シーズンを振り返ると、悔しい時期もありましたし、毎年昇格を⽬指しながら叶えられなかった悔しさを積み重ねてきました。そんな中でも、変わらず応援し続け、⽀え続けてくださった皆様のお⼒があってこそ、今年の昇格が実現したのだと思っています」

「個⼈的なご報告となりますが、今シーズンをもって現役を引退する決断をいたしました。⻑崎のエンブレムを背負い、この仲間と共に昇格を果たし、引退を迎えられることを⼼から誇りに思います。引退を決断した理由は、サッカーへの情熱は全く衰えていないものの、⾃分が納得できるコンディションでピッチに⽴ち、挑戦し続けることが難しくなったと感じたためです。⾃分⾃⾝に嘘をついたまま続けることはできないと判断しました。これまでのサッカー⼈⽣は、幼い頃に思い描いていたような順⾵満帆なものではありませんでした。⼿術は 5 回以上、戦⼒外通告も経験しました。どのカテゴリーでも、どのチームでも、⾃分より上⼿い選⼿はたくさんいました。才能に恵まれているとは思えませんでしたが、それでもここまで続けてこられたのは、最後は『根性』だったと思います。そして何より、多くの⽅々に⽀えていただいたおかげです。本当に感謝しています。ありがとうございます」

「サッカーとの出会いは⽗との⼤切な時間のきっかけでもありました。⽗と⼀緒にボールを蹴り始めたことが、やがて⾃分の夢となり、両親の⽀えを受けながらその夢を追う過程で、家族の絆はより深まっていきました。妻には多くの苦労をかけましたが、いつも明るく前向きに⽀えてくれました。⼦どもたちの存在は、私にとって⼤きな⼒になりました。⼼からありがとうと伝えたいです」

「私は、サッカーはスポーツの枠を越え、⼈の⼼を動かし、⼈と⼈をつなぎ、⼈⽣を豊かにする⼒があると信じています。V・ファーレン⻑崎は、まだまだ上を⽬指すクラブです。これからさらに⼤きな夢を届けられるクラブであると強く感じています。その未来に貢献するため、現役引退後もクラブに残り、新たな⽴場で働いていくことを決めました。これまでの経験を⽣かし、クラブの成⻑のために全⼒で取り組んでまいります。現役は引退しますが、これからも V・ファーレン⻑崎、そして私⾃⾝をどうぞよろしくお願いいたします。これからもよろしくお願いいたします」

●2025シーズンJリーグ特集
▶話題沸騰!『ヤーレンズの一生ボケても怒られないサッカーの話』好評配信中
ゲキサカ編集部
Text by ゲキサカ編集部

「ゲキサカ」ショート動画

TOP