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大学受験失敗でトップ昇格、W杯意識して海外挑戦も1年半で帰還…挫折乗り越える藤井陽也がド派手なチームに変貌した名古屋を守備で支える

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 ド派手なチームに変貌した。25シーズンのJ1を16位で終えた名古屋グランパスは、22年から4季指揮した長谷川健太監督を解任してペトロヴィッチ監督を招へい。超攻撃的サッカーを志向する新監督のもとでJ1百年構想リーグを戦ったチームは、リーグ18試合で唯一の30得点超えとなる31得点を記録する爆発力をみせた。

 ただ一方で守備面に目を向けると、28失点はWESTではリーグワースト。優勝の可能性があったリーグ終盤の2試合では6失点、4失点と大量失点をして敗れるなど、脆さもみせた。中盤の核となるMF稲垣祥らが欠場したことも大きな痛手だったが、DF藤井陽也はDF全体としての責任を痛感している様子。「2失点、3失点してしまうところは弱さとして出た。DFの真ん中として防いでいかないといけない。逆に点を取られても逆転できる自信はあるので、意識していきたい」とシーズン開幕に向け、気を引き締めた。

 小学生の時から名古屋のアカデミーに通った藤井は、19年にトップ昇格。しかし当時は紆余曲折があり、当初は早稲田大への進学を希望したが、怪我でスポーツ推薦を貰えなかったことでAO入試を受験した。「基本大丈夫だと言われていたし、僕も行くと思っていました」というが面接と小論文の試験に臨んだものの、まさかの不合格。進路が不透明となったところを“トップ昇格で拾ってもらう”という異例の措置が取られた選手だった。

 そしてプロ生活も順風満帆に進んだ選手ではない。レギュラーを掴んだのはプロ4年目で、24年にはベルギーリーグのコルトレイクへの移籍を経験したが、怪我により思うような結果を残すことができず、1年半で名古屋に復帰した。「怪我がとにかく多かった。痛みがない状態でプレーした試合がないくらいだった。環境の変化でストレスもあったのかなと思う。メディカルも違ったので難しさはありました」。

 当時の海外挑戦はワールドカップ出場を意識してのタイミングだった。藤井が目指したビジョンは叶えることができなかったが、ユースで同期だったDF菅原由勢や、世代別代表で一緒に戦っていた久保建英や中村敬斗といった選手が躍動する姿を目の当たりにした。「W杯に出るために海外に行きましたし、そこで上手くいかなかったことは実力不足。また4年後にある中で、どういう未来があるか分からないけど、目の前の一試合一試合を全力でプレーして、常に日本代表を目指してやっていきたい」。気持ちを奮い立たせるには十分だった。

 名古屋で結果を残し続けることで未来を切り開く。シーズンを戦う上でカギを握るひとつは若手の台頭。昨季の名古屋はスタメンの平均年齢が30歳を超える試合が16試合あり、今年の百年構想リーグでも、最終戦となったプレーオフラウンド第2戦の町田戦のスタメン平均年齢は29.55歳。25歳の藤井が最年少だった。「勢いのある若手が出てくることはチームにすごく勢いをもたらすと思う。何人かアカデミーの選手もいるし、いい選手なのでどこかで殻を破って、もう一個成長スピードを上げて、中心選手になってくる選手が増えればチームは強くなると思います」。それを引っ張るのも自分。25歳DFが次なるステージに向かう。

(取材・文 児玉幸洋)
 

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児玉幸洋
Text by 児玉幸洋

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