3人のアビスパ福岡OB指導者が実現させた「国立競技場の同窓会」 前橋育英・松下裕樹コーチ「2人から『決勝、頑張ってね』とは言われました(笑)」
[1.11 選手権準決勝 東福岡高 1-3 前橋育英高 国立]
「あの2人を見たら、『いや、彼らには負けられないでしょ』って(笑)。シンプルにそう思いましたね」(前橋育英高・松下裕樹コーチ)
1月11日。高校選手権準決勝。東福岡高(福岡)と前橋育英高(群馬)が対峙した一戦では、かつて同じJリーグのチームで切磋琢磨していた、ある3人の指導者の『国立競技場の同窓会』が実現した。
「神山は東福岡の映像を見た時に『あ、神山いるじゃん!』って思ったんですけど、辰徳がいることは昨日メディアの人に聞いて『ああ、そうなんだ』と初めて知りました」。
前橋育英の松下裕樹コーチは、嬉しそうな表情でそう明かす。この日の準決勝で対戦する東福岡のベンチに入っていたのは、神山竜一GKコーチと山形辰徳コーチ。3人は2005年から2006年の夏までアビスパ福岡で一緒にプレーしていた、元チームメイトだ。




2005年シーズンを振り返ると、立正大淞南高(島根)から高卒ルーキーとして入団した神山コーチは、プロ3年目のシーズン。前年にサンフレッチェ広島から期限付き移籍で加わり、この年から完全移籍へ移行した松下コーチは加入2年目。また、山形コーチはアルビレックス新潟から完全移籍を果たした初年度に当たる。
「『試合に出れるか、出れないか』ぐらいの立ち位置が同じような感じだったので、その中でも試合に出られるように切磋琢磨しながら、お互い頑張っていた仲ではあったと思っています」(松下コーチ)。まだ20代前半だった3人は、Jリーグの世界を生き抜くために、毎日のトレーニングと必死に向き合っていた。
2006年シーズンの途中で松下コーチが川崎フロンターレに期限付きで移籍し、翌年にはザスパ草津(当時)へと完全移籍したため、彼らが同じチームで過ごしたのは1年半という短い時間だったが、同年代として試合に出たいとともにもがいていた日々は、はっきりと記憶に残っているに違いない。
そんな3人が指導者となり、とりわけ松下コーチと山形コーチは母校のコーチングスタッフとして、選手権の舞台で、しかも国立競技場で敵味方に分かれて対戦することになるのだから、人生はわからない。
試合は3-1で前橋育英が勝利を収め、決勝へと進出する。タイムアップ直後に両チームのスタッフが挨拶を交わす際、3人がお互いの健闘を称え合い、握手する姿も印象的だった。
松下コーチは改めて福岡で過ごした2年半の時間を、こう振り返る。
「サンフレッチェ広島をアウトになって、アビスパでどうにか自分のサッカー選手としての立ち位置を確立したいと思って、覚悟を決めて福岡に行きました。2年目にJ1昇格することはできましたけど、あまりチームに貢献することはできなかったなと。そこから3年目は改めて『J1でどれだけできるのか』という気持ちでプレーしていましたけど、なかなか試合に絡めなかったですね」
「でも、もう一度自分を見つめ直す良い時間を過ごせましたし、アビスパは本当に熱いサポーターがいて、スタジアムも雰囲気が良くて、ホームでやる時はやりがいがある場所でした。一生懸命毎日を過ごしながら福岡で積んだ経験が、その後にザスパに行ってから生きたんじゃないかなと思います」
神山コーチと山形コーチから、松下コーチはエールを送られたという。「試合前も、試合が終わった後も、久しぶりにいろいろ話せましたね。2人から『決勝、頑張ってね』とは言われました(笑)」
サッカーとともに生きていると、時にこういう再会が起こることもある。20年近くも前に、同じチームで、同じボールを追い掛けた3人が、国立を舞台に集った“同窓会”も、今回の高校選手権に1つの彩りを加える名シーンだったのではないだろうか。


(取材・文 土屋雅史)
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「あの2人を見たら、『いや、彼らには負けられないでしょ』って(笑)。シンプルにそう思いましたね」(前橋育英高・松下裕樹コーチ)
1月11日。高校選手権準決勝。東福岡高(福岡)と前橋育英高(群馬)が対峙した一戦では、かつて同じJリーグのチームで切磋琢磨していた、ある3人の指導者の『国立競技場の同窓会』が実現した。
「神山は東福岡の映像を見た時に『あ、神山いるじゃん!』って思ったんですけど、辰徳がいることは昨日メディアの人に聞いて『ああ、そうなんだ』と初めて知りました」。
前橋育英の松下裕樹コーチは、嬉しそうな表情でそう明かす。この日の準決勝で対戦する東福岡のベンチに入っていたのは、神山竜一GKコーチと山形辰徳コーチ。3人は2005年から2006年の夏までアビスパ福岡で一緒にプレーしていた、元チームメイトだ。


東福岡・神山竜一コーチ


東福岡・山形辰徳コーチ
2005年シーズンを振り返ると、立正大淞南高(島根)から高卒ルーキーとして入団した神山コーチは、プロ3年目のシーズン。前年にサンフレッチェ広島から期限付き移籍で加わり、この年から完全移籍へ移行した松下コーチは加入2年目。また、山形コーチはアルビレックス新潟から完全移籍を果たした初年度に当たる。
「『試合に出れるか、出れないか』ぐらいの立ち位置が同じような感じだったので、その中でも試合に出られるように切磋琢磨しながら、お互い頑張っていた仲ではあったと思っています」(松下コーチ)。まだ20代前半だった3人は、Jリーグの世界を生き抜くために、毎日のトレーニングと必死に向き合っていた。
2006年シーズンの途中で松下コーチが川崎フロンターレに期限付きで移籍し、翌年にはザスパ草津(当時)へと完全移籍したため、彼らが同じチームで過ごしたのは1年半という短い時間だったが、同年代として試合に出たいとともにもがいていた日々は、はっきりと記憶に残っているに違いない。
そんな3人が指導者となり、とりわけ松下コーチと山形コーチは母校のコーチングスタッフとして、選手権の舞台で、しかも国立競技場で敵味方に分かれて対戦することになるのだから、人生はわからない。
試合は3-1で前橋育英が勝利を収め、決勝へと進出する。タイムアップ直後に両チームのスタッフが挨拶を交わす際、3人がお互いの健闘を称え合い、握手する姿も印象的だった。
松下コーチは改めて福岡で過ごした2年半の時間を、こう振り返る。
「サンフレッチェ広島をアウトになって、アビスパでどうにか自分のサッカー選手としての立ち位置を確立したいと思って、覚悟を決めて福岡に行きました。2年目にJ1昇格することはできましたけど、あまりチームに貢献することはできなかったなと。そこから3年目は改めて『J1でどれだけできるのか』という気持ちでプレーしていましたけど、なかなか試合に絡めなかったですね」
「でも、もう一度自分を見つめ直す良い時間を過ごせましたし、アビスパは本当に熱いサポーターがいて、スタジアムも雰囲気が良くて、ホームでやる時はやりがいがある場所でした。一生懸命毎日を過ごしながら福岡で積んだ経験が、その後にザスパに行ってから生きたんじゃないかなと思います」
神山コーチと山形コーチから、松下コーチはエールを送られたという。「試合前も、試合が終わった後も、久しぶりにいろいろ話せましたね。2人から『決勝、頑張ってね』とは言われました(笑)」
サッカーとともに生きていると、時にこういう再会が起こることもある。20年近くも前に、同じチームで、同じボールを追い掛けた3人が、国立を舞台に集った“同窓会”も、今回の高校選手権に1つの彩りを加える名シーンだったのではないだろうか。


(取材・文 土屋雅史)
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