偶然が重なって巡ってきたチャンス。FW岡崎大志郎はフィジコとして岩手加入、選手登録されて二足のわらじ、JFL4発、奈良で「夢だったプロサッカー選手」に
J3・奈良クラブは、昨季から選手の顔ぶれが大きく変わった。即戦力となる選手と、育成型クラブらしく若手選手を多く獲得。Jリーグ参入後もJFLから質の高い選手を獲得してきた目利きクラブが、今季はいわてグルージャ盛岡からFW岡崎大志郎を迎えた。
岡崎は、身体能力の優れた選手。177cmでも「190cmの相手にも負ける気はしない」と自負するヘディングの高さは強みの一つだ。JFLの試合に出場していた岡崎のプレーが、スピードと高さを兼ね備える選手を探していた奈良の目に止まった。また、プレーだけではなく、偶然が重なって巡ってきたチャンスを掴んで運命を切り拓いてきたストーリーを持つ岡崎の「キャラクターにも魅力を感じて」(矢部次郎強化部長)、獲得に至ったという。
岡崎は、西武台高(埼玉)を卒業後、日本体育大に進学。日体大を昨年卒業するときには「夢だったプロサッカー選手」になることが叶わず、潔く諦めている。「大学で学んだトレーニング理論や個人で通っていたパーソナルトレーニングで学ばせてもらった」知識を生かし、フィジカルコーチとしてトレーニングジムに就職した。
昨年3月、就職先が岩手と提携することになり、大学卒業から間もない岡崎が出向することになった。「フィジカルコーチとしてやっていくために、JFLのチームをしっかり見させてもらって一人前になろう」と決意し、岩手に向かった。
岩手に合流したのは、ちょうどチーム内に負傷者が多い時期だったという。練習で行う紅白戦の人数が足りない状況だったため、日体大のサッカー部でプレーしていた頃からブランクもさほどない岡崎に白羽の矢が立ち、人数合わせでサブ組に入ることになった。
ところが、岡崎はそこで2ゴールも挙げてしまう。「チームから『選手としてもう少し見させてもらいたい』と言ってもらい、それから練習に参加するようになった」。フィジカルコーチとしての務めにも取り組みつつ、選手としても練習に毎日参加し、6月、正式に選手として登録された。JFLでは17試合に出場し、4得点の結果を残したが、選手登録後も2ヶ月ほどは新しいフィジカルコーチが見つからず、選手とフィジカルコーチの二足のわらじを履いたまま過ごしている。
高校3年生の夏にも、当時SBだった岡崎がFWの欠員を埋めるためにサブ組のFWを務める機会があったというが、そのときにも2得点を挙げた。それがきっかけで、高校最後の選手権予選にはFWとして出場。大学で本格的にプレーすることは半ば諦めかけていたが、FWとしての岡崎に日体大から声がかかった。
たとえ人数合わせであっても自分の持つ力を出し惜しみせずに務めてきたからこそ拓き続けられた道で、1年前に諦めていたはずの夢が実現した。奈良からのオファーを受けたとき、幼少期に父親の仕事の都合で4年間暮らしたタイでキャンプを行うことや「大学時代にいちばん好きだった後輩」の宮下菖悟が同時に加入することなども相まって、「もう運命なんだな、と思った」という。
「夢だったプロサッカー選手」になって、1ヶ月が経った。「チームのみんなは本当に温かいですし、その環境の中で質の高いトレーニングができている」喜びを噛み締めながら、日々の練習に励んでいる。
もちろん、在籍できればそれでいいとは考えていない。今週末に開幕するJリーグでの初めてのシーズンに向けて、「しっかり自分の調子を上げて突き詰めていき、試合に関われるようにしたい」と語った岡崎は、夢の舞台でさらなる成長を志してゆく。
(取材・文 前田カオリ)
●Jリーグ百年構想リーグ特集
▶話題沸騰!『ヤーレンズの一生ボケても怒られないサッカーの話』好評配信中
岡崎は、身体能力の優れた選手。177cmでも「190cmの相手にも負ける気はしない」と自負するヘディングの高さは強みの一つだ。JFLの試合に出場していた岡崎のプレーが、スピードと高さを兼ね備える選手を探していた奈良の目に止まった。また、プレーだけではなく、偶然が重なって巡ってきたチャンスを掴んで運命を切り拓いてきたストーリーを持つ岡崎の「キャラクターにも魅力を感じて」(矢部次郎強化部長)、獲得に至ったという。
岡崎は、西武台高(埼玉)を卒業後、日本体育大に進学。日体大を昨年卒業するときには「夢だったプロサッカー選手」になることが叶わず、潔く諦めている。「大学で学んだトレーニング理論や個人で通っていたパーソナルトレーニングで学ばせてもらった」知識を生かし、フィジカルコーチとしてトレーニングジムに就職した。
昨年3月、就職先が岩手と提携することになり、大学卒業から間もない岡崎が出向することになった。「フィジカルコーチとしてやっていくために、JFLのチームをしっかり見させてもらって一人前になろう」と決意し、岩手に向かった。
岩手に合流したのは、ちょうどチーム内に負傷者が多い時期だったという。練習で行う紅白戦の人数が足りない状況だったため、日体大のサッカー部でプレーしていた頃からブランクもさほどない岡崎に白羽の矢が立ち、人数合わせでサブ組に入ることになった。
ところが、岡崎はそこで2ゴールも挙げてしまう。「チームから『選手としてもう少し見させてもらいたい』と言ってもらい、それから練習に参加するようになった」。フィジカルコーチとしての務めにも取り組みつつ、選手としても練習に毎日参加し、6月、正式に選手として登録された。JFLでは17試合に出場し、4得点の結果を残したが、選手登録後も2ヶ月ほどは新しいフィジカルコーチが見つからず、選手とフィジカルコーチの二足のわらじを履いたまま過ごしている。
高校3年生の夏にも、当時SBだった岡崎がFWの欠員を埋めるためにサブ組のFWを務める機会があったというが、そのときにも2得点を挙げた。それがきっかけで、高校最後の選手権予選にはFWとして出場。大学で本格的にプレーすることは半ば諦めかけていたが、FWとしての岡崎に日体大から声がかかった。
たとえ人数合わせであっても自分の持つ力を出し惜しみせずに務めてきたからこそ拓き続けられた道で、1年前に諦めていたはずの夢が実現した。奈良からのオファーを受けたとき、幼少期に父親の仕事の都合で4年間暮らしたタイでキャンプを行うことや「大学時代にいちばん好きだった後輩」の宮下菖悟が同時に加入することなども相まって、「もう運命なんだな、と思った」という。
「夢だったプロサッカー選手」になって、1ヶ月が経った。「チームのみんなは本当に温かいですし、その環境の中で質の高いトレーニングができている」喜びを噛み締めながら、日々の練習に励んでいる。
もちろん、在籍できればそれでいいとは考えていない。今週末に開幕するJリーグでの初めてのシーズンに向けて、「しっかり自分の調子を上げて突き詰めていき、試合に関われるようにしたい」と語った岡崎は、夢の舞台でさらなる成長を志してゆく。
(取材・文 前田カオリ)
●Jリーグ百年構想リーグ特集
▶話題沸騰!『ヤーレンズの一生ボケても怒られないサッカーの話』好評配信中



