茨城県神栖市に100面超のサッカーグラウンドがあるって知ってた?旅館が独自グラウンドを所有する特異スタイルに大いなる可能性
鹿島アントラーズで有名な茨城県鹿嶋市の隣にある神栖市。人口9.4万人ほどが暮らす工業や漁業、農業で栄える地域だが、100面を超えるサッカーグラウンドがあることをご存じだろうか。
「波崎」という名前を出すと、ゲキサカ読者であれば、学生時代の長期休みに波崎町で合宿をしたという思い出を持つ方がいるかもしれない。平成17年に波崎町が神栖町と市町村合併をして、現在は神栖市になっている。
同地では先日まで大学生のサークルカテゴリを対象とした全国大会のゲキサカ杯が開催されていた。中学生や高校生の時に波崎で合宿をした経験を持つ学生も多く、慶應義塾大理工サッカー部のMF小崎孝太(2年=立教新座高)が「高校1年生の時にここで大会に出ました。グラウンドもいいですし、宿のバックアップもあって、サッカーに向き合っている街だなと思います」と話せば、青山学院大理工サッカー部のMF小林悠哉(2年=日大藤沢高)も「トップチームに上がれるきっかけを掴んだ合宿だったので、思い出があります」と懐かしそうに話していた。
そもそも、どうしてこんなにサッカーグラウンドが作られたのだろうか。「民間の旅館が主導となってサッカーグラウンドを作って、合宿をするようになったんです」。そう説明するのは、神栖市産業経済部観光振興課スポーツツーリズム推進室の木村正朋さんと堀由絹さんだ。
それまで波崎地区の旅館は主に夏場の海水浴客をターゲットにしていた。しかし交通網の発展により、首都圏の人たちが日帰りで海水浴を楽しむようになった。そこで目を付けたのがサッカーだった。時は1990年代に入ったばかり。Jリーグの開幕に向け、サッカー熱が全国的に高まりをみせているころだった。
「スポーツマネジメント株式会社を作られた横山周一さんという方の協力もあって、一緒にグラウンドを作り始めました。そうしたら最初の大会を開いたときに想定以上のチームが集まってしまった。これでは足りないとなって、いろんな旅館が作り始めて、気がついたら官民合わせて100面を超えるグラウンドが完成していたというわけです」
今では神栖市海浜運動公園に国際基準のピッチも完備している。今年はJリーグのヴァンラーレ八戸といわてグルージャ盛岡の2チームが神栖で春季キャンプを実施した。「民間の旅館さんも30年間やっているので、ノウハウじゃないけど、徐々にグラウンドの質もよくなってきました」。コロナ以前は年間30万人が合宿をしに訪れる全国屈指のサッカータウンになった。
ただ木村さんと堀さんはサッカータウンとして更なる認知を広めたいという。「一番は神栖に来れば、対戦相手がいるという環境を作れればベスト。都心から車で1時間半で来れますし、3食付きで一人一泊1万円も取っていない。その面では長期休みの前に大学生のサークルなんかが、ここでサッカーをやっているよというサイクルを作れればいいのかなと思っています」。
また今流行りのインバウンドにも大きな可能性を感じている。国際空港である成田空港から車で約40分ほどにある立地、そして意外にも旅館が隣接する環境が、海外チームの関心を呼んでいるという。
「アジアやヨーロッパのアマチュアチームから問い合わせを頂いたのですが、ホテルを希望するのかなと思うじゃないですか。だけど大広間で布団を敷いてみんなで寝たいというオーダーだったんです。『え!?雑魚寝希望!?』と戸惑ったのですが、大浴場など、日本の文化を体験させたいということでした。その話が上手くいけば逆に日本のチームも外国に行かずして、海外のチームと戦える。そこはほかの場所では出来ないことになるのかなと思っています」
当然、海外のチームを呼ぶとなれば、旅館の協力や理解がより必要になってくる。実際に今年、韓国や中国のチームを受け入れたが、トイレでトイレットペーパーを流さないことや、ホテル内で食べ歩きをするなど、ちょっとした文化の違いから誤解を招くことがあったという。「宗教の問題も出てくるでしょうし、簡単ではないとは思いますが、(勝機は)そこかなと思っています」。長期的な視野を持って取り組んでいくつもりだ。
ただまずは日本のチームを年間を通して安定的に呼び込むことから始めたい。「小さい旅館だとそのチームだけで貸し切り状態になって、すごく楽だったという話も聞きます。逆にホテルで大きな飲み会を開くこともできる。楽しんで帰ってもらうことを考えるとサークルのサッカーからアプローチをかけられればいいですね」。唯一無二の環境を武器に、大いなる可能性を秘める地、『神栖』。近い将来、サークルサッカーのメッカと呼ばれる日が来るかもしれない。
▼神栖市の詳細についてはこちら
https://www.city.kamisu.ibaraki.jp/kanko_sports/1003968/index.html
Sponsored by 神栖市観光振興課
(取材・文 児玉幸洋)
●第2回ゲキサカ杯特集
「波崎」という名前を出すと、ゲキサカ読者であれば、学生時代の長期休みに波崎町で合宿をしたという思い出を持つ方がいるかもしれない。平成17年に波崎町が神栖町と市町村合併をして、現在は神栖市になっている。
同地では先日まで大学生のサークルカテゴリを対象とした全国大会のゲキサカ杯が開催されていた。中学生や高校生の時に波崎で合宿をした経験を持つ学生も多く、慶應義塾大理工サッカー部のMF小崎孝太(2年=立教新座高)が「高校1年生の時にここで大会に出ました。グラウンドもいいですし、宿のバックアップもあって、サッカーに向き合っている街だなと思います」と話せば、青山学院大理工サッカー部のMF小林悠哉(2年=日大藤沢高)も「トップチームに上がれるきっかけを掴んだ合宿だったので、思い出があります」と懐かしそうに話していた。
青山学院大理工サッカー部 MF小林悠哉
そもそも、どうしてこんなにサッカーグラウンドが作られたのだろうか。「民間の旅館が主導となってサッカーグラウンドを作って、合宿をするようになったんです」。そう説明するのは、神栖市産業経済部観光振興課スポーツツーリズム推進室の木村正朋さんと堀由絹さんだ。
それまで波崎地区の旅館は主に夏場の海水浴客をターゲットにしていた。しかし交通網の発展により、首都圏の人たちが日帰りで海水浴を楽しむようになった。そこで目を付けたのがサッカーだった。時は1990年代に入ったばかり。Jリーグの開幕に向け、サッカー熱が全国的に高まりをみせているころだった。
「スポーツマネジメント株式会社を作られた横山周一さんという方の協力もあって、一緒にグラウンドを作り始めました。そうしたら最初の大会を開いたときに想定以上のチームが集まってしまった。これでは足りないとなって、いろんな旅館が作り始めて、気がついたら官民合わせて100面を超えるグラウンドが完成していたというわけです」
ゲキサカ杯の会場にもなった「矢田部サッカー場」
今では神栖市海浜運動公園に国際基準のピッチも完備している。今年はJリーグのヴァンラーレ八戸といわてグルージャ盛岡の2チームが神栖で春季キャンプを実施した。「民間の旅館さんも30年間やっているので、ノウハウじゃないけど、徐々にグラウンドの質もよくなってきました」。コロナ以前は年間30万人が合宿をしに訪れる全国屈指のサッカータウンになった。
ただ木村さんと堀さんはサッカータウンとして更なる認知を広めたいという。「一番は神栖に来れば、対戦相手がいるという環境を作れればベスト。都心から車で1時間半で来れますし、3食付きで一人一泊1万円も取っていない。その面では長期休みの前に大学生のサークルなんかが、ここでサッカーをやっているよというサイクルを作れればいいのかなと思っています」。
また今流行りのインバウンドにも大きな可能性を感じている。国際空港である成田空港から車で約40分ほどにある立地、そして意外にも旅館が隣接する環境が、海外チームの関心を呼んでいるという。
「アジアやヨーロッパのアマチュアチームから問い合わせを頂いたのですが、ホテルを希望するのかなと思うじゃないですか。だけど大広間で布団を敷いてみんなで寝たいというオーダーだったんです。『え!?雑魚寝希望!?』と戸惑ったのですが、大浴場など、日本の文化を体験させたいということでした。その話が上手くいけば逆に日本のチームも外国に行かずして、海外のチームと戦える。そこはほかの場所では出来ないことになるのかなと思っています」
当然、海外のチームを呼ぶとなれば、旅館の協力や理解がより必要になってくる。実際に今年、韓国や中国のチームを受け入れたが、トイレでトイレットペーパーを流さないことや、ホテル内で食べ歩きをするなど、ちょっとした文化の違いから誤解を招くことがあったという。「宗教の問題も出てくるでしょうし、簡単ではないとは思いますが、(勝機は)そこかなと思っています」。長期的な視野を持って取り組んでいくつもりだ。
ただまずは日本のチームを年間を通して安定的に呼び込むことから始めたい。「小さい旅館だとそのチームだけで貸し切り状態になって、すごく楽だったという話も聞きます。逆にホテルで大きな飲み会を開くこともできる。楽しんで帰ってもらうことを考えるとサークルのサッカーからアプローチをかけられればいいですね」。唯一無二の環境を武器に、大いなる可能性を秘める地、『神栖』。近い将来、サークルサッカーのメッカと呼ばれる日が来るかもしれない。
▼神栖市の詳細についてはこちら
https://www.city.kamisu.ibaraki.jp/kanko_sports/1003968/index.html
Sponsored by 神栖市観光振興課
(取材・文 児玉幸洋)
●第2回ゲキサカ杯特集