「ロス五輪への推薦状」第19回:技術力はトップチームでも手応え。185cm、83kgの大型CB田中義峯(浦和ユース)はデ・リフトのように
2028年ロサンゼルス五輪まであと4年。ロサンゼルス五輪男子サッカー競技への出場資格を持つ2005年生まれ以降の「ロス五輪世代」において、年代別日本代表未招集の注目選手たちをユース取材ライターの川端暁彦記者と森田将義記者がピックアップ
185cm、83kgの恵まれたフィジカルは魅力十分。高さを生かした競り合いはそう簡単に負けることはなく、対人でも強さを発揮する。9月末に佐賀県で行われた「SAGA2024第78回国民スポーツ大会」で浦和レッズユースのDF田中義峯(1年)が潜在能力の高さを感じさせた。
田中は日本人の父とアメリカ出身の母を持つCBで、中学まではアビスパ福岡などでプレーした山形恭平氏が指導する福岡県のFCリベルタでプレー。「選手同士が距離の近いサッカーで崩していく中、たまにロングボールを入れていく。あまり見たことがないスタイル」の中で、トップ下として足元の技術を身に付けていった。
中学3年生の頃には今と同じ身長まで到達。サイズと足元の技術を備えた選手として注目を集め、複数のJクラブから誘いを受けた。そうした中、加入を決断した浦和ユースで転機を迎える。これまでも最終ラインを経験したことはあったが、「ドリブルが好きで攻撃がしたかったのでCBは嫌だった」。
ただ、恵まれた体格を買われ、ユースへの加入後はCBとしてのキャリアが本格的にスタート。「シュートブロックした時にちょっとヒーローっぽくなるじゃないですか。それが好きで、あの場面だけ少し足が速くなる」。そう笑うようにDFとしての適性は高く、初心者とは思えないプレーを披露していく。今ではシュートブロックとゴール前でのカバーが持ち味。「全部、自分が最終的には守る気持ちでいるので、『どんどん蹴ってこい!』という感じでやっています」。
一方で浦和ユースへの加入後は、自信を持っていた攻撃に戸惑いを感じていたという。「最初は足元に自信があったので技術で何とかしようと思って、立ち位置をあまり取っていなかった。それで、自分のところでパスミス多く、1か月ぐらいずっと悩んでいた」。Bチームの試合にも出られない日々が続いていたが、スタッフに立ち位置を意識するように言われてから、プレーが大きく変化。「CBになってからはドリブルとパスの使い分けを意識している。繋ぐところと大きくキックする時の使い分けを考えながらプレーしている」と口にする通り、今では攻撃のスタート地点としても機能する。
将来性を高く評価され、7月にはトップチームの練習参加を経験。「緊張はしなかったけど、トップチームの選手は小さいことが上手い。派手に上手いとかではなく、誰も気付かない部分が上手い」と先輩Jリーガーたちのプレーに舌を巻きつつも、足元の技術には手応えを感じた。夏休み明けの9月以降はAチームのスタメンとしてプリンスリーグも経験。これから田中の成長速度は一気に加速していきそうだ。
将来的にはボランチでのプレーを視野に入れながらも「CBだけだと前にスペースがあれば、ボランチの横まで顔を出すデ・リフトのような選手になりたい」と意気込む。母方の祖母がカナダ、祖父がイギリスと代表入りの選択肢は幅広いが、見据えているのは生まれ育った日本での活躍。「将来の夢は海外で活躍して、日本代表に入ってワールドカップ優勝することです」と話す田中が日の丸を背負う日はそう遠くないだろう。
(取材・文 森田将義)
185cm、83kgの恵まれたフィジカルは魅力十分。高さを生かした競り合いはそう簡単に負けることはなく、対人でも強さを発揮する。9月末に佐賀県で行われた「SAGA2024第78回国民スポーツ大会」で浦和レッズユースのDF田中義峯(1年)が潜在能力の高さを感じさせた。
田中は日本人の父とアメリカ出身の母を持つCBで、中学まではアビスパ福岡などでプレーした山形恭平氏が指導する福岡県のFCリベルタでプレー。「選手同士が距離の近いサッカーで崩していく中、たまにロングボールを入れていく。あまり見たことがないスタイル」の中で、トップ下として足元の技術を身に付けていった。
中学3年生の頃には今と同じ身長まで到達。サイズと足元の技術を備えた選手として注目を集め、複数のJクラブから誘いを受けた。そうした中、加入を決断した浦和ユースで転機を迎える。これまでも最終ラインを経験したことはあったが、「ドリブルが好きで攻撃がしたかったのでCBは嫌だった」。
ただ、恵まれた体格を買われ、ユースへの加入後はCBとしてのキャリアが本格的にスタート。「シュートブロックした時にちょっとヒーローっぽくなるじゃないですか。それが好きで、あの場面だけ少し足が速くなる」。そう笑うようにDFとしての適性は高く、初心者とは思えないプレーを披露していく。今ではシュートブロックとゴール前でのカバーが持ち味。「全部、自分が最終的には守る気持ちでいるので、『どんどん蹴ってこい!』という感じでやっています」。
一方で浦和ユースへの加入後は、自信を持っていた攻撃に戸惑いを感じていたという。「最初は足元に自信があったので技術で何とかしようと思って、立ち位置をあまり取っていなかった。それで、自分のところでパスミス多く、1か月ぐらいずっと悩んでいた」。Bチームの試合にも出られない日々が続いていたが、スタッフに立ち位置を意識するように言われてから、プレーが大きく変化。「CBになってからはドリブルとパスの使い分けを意識している。繋ぐところと大きくキックする時の使い分けを考えながらプレーしている」と口にする通り、今では攻撃のスタート地点としても機能する。
将来性を高く評価され、7月にはトップチームの練習参加を経験。「緊張はしなかったけど、トップチームの選手は小さいことが上手い。派手に上手いとかではなく、誰も気付かない部分が上手い」と先輩Jリーガーたちのプレーに舌を巻きつつも、足元の技術には手応えを感じた。夏休み明けの9月以降はAチームのスタメンとしてプリンスリーグも経験。これから田中の成長速度は一気に加速していきそうだ。
将来的にはボランチでのプレーを視野に入れながらも「CBだけだと前にスペースがあれば、ボランチの横まで顔を出すデ・リフトのような選手になりたい」と意気込む。母方の祖母がカナダ、祖父がイギリスと代表入りの選択肢は幅広いが、見据えているのは生まれ育った日本での活躍。「将来の夢は海外で活躍して、日本代表に入ってワールドカップ優勝することです」と話す田中が日の丸を背負う日はそう遠くないだろう。
(取材・文 森田将義)



