岩政大樹氏が臨んだ“3週間”の高校サッカー…龍谷富山の選手たちが最後に示した答えは
龍谷富山で臨時コーチを務めた
[11.8 選手権富山県予選決勝 富山一高 3-0 龍谷富山高 富山]
8日、全国高校サッカー選手権の富山県予選決勝が行われた。龍谷富山高のテクニカルエリアに立ち続け、声を張り上げていたのは岩政大樹氏。「自分の中でも指導者としていい経験させてもらった」。元日本代表DFであり、監督としても鹿島アントラーズや北海道コンサドーレ札幌で指揮を執った“ビッグネーム”は3週間という期間限定で高校サッカーに臨んだ。
先月末、地元テレビ局による報道で、濱辺哲監督の一時解任と復帰、そして岩政氏の臨時コーチ就任が伝えられた。詳細は、濱辺監督の体調不良による一時休息と、それに伴う岩政氏の期間限定での助っ人参加だった。
昨年冬に初めて全国出場を決めた龍谷富山。王者としてのプレッシャーは想像よりも大きく、濱辺監督に重くのしかかった。「精神的に参っていた部分もあった」(濱辺監督)。夏以降には救急搬送されたこともあり、二度入院する事態にまで発展していたという。
10月、無理を押してチームを指揮していた濱辺監督に対し、龍谷富山は一時休息を取らせた。並行して、岩政氏にも臨時コーチを打診。濱辺監督の東京学芸大サッカー部時代の2つ下の後輩であり、以前サッカークリニックとして龍谷富山を訪問していた縁もある。学校としては面識もあり、実績もある指導者に依頼する形を取った。
岩政氏に依頼が届いたのは、10月26日に行われる準々決勝の直前だった。「こういうのはご縁とタイミング」(岩政氏)。準々決勝から決勝までの3週間という期間限定で、臨時コーチ職を引き受けることになった。
臨時コーチという形でチームに入ったが、選手起用など実質的な指揮権も任されたという。「3週間でどう作るかというところを非常に考えさせられた」。わずかな時間で選手たちとチーム作りを進めながら、準々決勝、準決勝と勝利。2年連続で決勝の舞台に立つことになった。


決勝が始まる直前、岩政氏は練習に取り組む選手たちに声をかけ、細かなアドバイスを伝えていた。キャプテンマークを巻いたMF山田凰太(3年)は「最初はびっくりした」と岩政氏就任時を振り返る。
「だけど、それは徐々に日が経つごとに慣れていった。本当にチームのコーチとして、自分たちに足りないことだったり、やらなきゃいけないことを言ってくれたおかげで、チームがより活性化したと思う。本当に感謝しかない」(山田)
龍谷富山が対戦したのは、王座奪還を狙う名門・富山一高。前半に1点を奪われると、後半にも2失点を喫する。0-3で2年連続の全国切符を掴むことはできなかった。




試合後、岩政氏は涙を流す選手たち一人ひとりに握手をしに歩いた。勝っても負けても3週間限定。岩政氏の高校サッカーはいったんピリオドを迎えた。
「高校生への指導は、指導者になりたてのとき、文化学園大学杉並中学校・高校で2年間はやっていました。年代的にはやっているけど、ただ高校選手権に出る出ないのレベルの選手たちはやったことがなかった。非常に楽しかった」(岩政氏)
プレー面以外にも、岩政氏が選手に伝えたことがある。
「一番伝えたのは、かっこいい男になれ、ということ。かっこいい男という基準で、自分が思うかっこいい男がすべて自分の行動を決めていけばいいと、僕は思っている。今日も最後まであきらめなかった。それはかっこいいですよね」
「いろんな場面でダサいことをしていると、自分がかっこ悪い男になる。でも自分がかっこいいと思う基準の行動を繰り返していればかっこいい男になる。サッカー的なところもかなり色々教えたし、色々整理した。そのなかで学びもあったと思う。でも一番は結局立ち振る舞いで変わっていく。今日、選手たちはチームでよく戦った」




キャプテンの一人である山田に岩政氏の印象的だった言葉を聞くと、「かっこいい男になれ」と答えた。
この日、龍谷富山は早い時間帯で点差がついた。それでも山田は「0-3という差がつくスコアで、全員が4失点目はしないように体を張って守れた」と胸を張る。たとえ敗退が濃厚であろうと、選手たちは”かっこいい男”を貫いた。「そこはプレーで証明することができた」と力を込めた。
山田は大学でもサッカーを続ける。岩政氏の言葉を胸に「4年間、本気でやるからにはやっぱりプロを目指す」と思いを明かす。「一日一日を妥協せず、高校生活で得られた継続力を大学でも生かしていきたい」と先を見据えていた。
急きょ降り立った富山の土地。岩政氏は「駅前のアパホテル3つ、1週間ずつ全部行きました」と苦労を笑う。「来週くらいから自分も色々就活をしないといけない」。教え子たちと最後の集合写真を撮り終えると、スタジアムを後にした。


(取材・文 石川祐介)
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8日、全国高校サッカー選手権の富山県予選決勝が行われた。龍谷富山高のテクニカルエリアに立ち続け、声を張り上げていたのは岩政大樹氏。「自分の中でも指導者としていい経験させてもらった」。元日本代表DFであり、監督としても鹿島アントラーズや北海道コンサドーレ札幌で指揮を執った“ビッグネーム”は3週間という期間限定で高校サッカーに臨んだ。
先月末、地元テレビ局による報道で、濱辺哲監督の一時解任と復帰、そして岩政氏の臨時コーチ就任が伝えられた。詳細は、濱辺監督の体調不良による一時休息と、それに伴う岩政氏の期間限定での助っ人参加だった。
昨年冬に初めて全国出場を決めた龍谷富山。王者としてのプレッシャーは想像よりも大きく、濱辺監督に重くのしかかった。「精神的に参っていた部分もあった」(濱辺監督)。夏以降には救急搬送されたこともあり、二度入院する事態にまで発展していたという。
10月、無理を押してチームを指揮していた濱辺監督に対し、龍谷富山は一時休息を取らせた。並行して、岩政氏にも臨時コーチを打診。濱辺監督の東京学芸大サッカー部時代の2つ下の後輩であり、以前サッカークリニックとして龍谷富山を訪問していた縁もある。学校としては面識もあり、実績もある指導者に依頼する形を取った。
岩政氏に依頼が届いたのは、10月26日に行われる準々決勝の直前だった。「こういうのはご縁とタイミング」(岩政氏)。準々決勝から決勝までの3週間という期間限定で、臨時コーチ職を引き受けることになった。
臨時コーチという形でチームに入ったが、選手起用など実質的な指揮権も任されたという。「3週間でどう作るかというところを非常に考えさせられた」。わずかな時間で選手たちとチーム作りを進めながら、準々決勝、準決勝と勝利。2年連続で決勝の舞台に立つことになった。


決勝が始まる直前、岩政氏は練習に取り組む選手たちに声をかけ、細かなアドバイスを伝えていた。キャプテンマークを巻いたMF山田凰太(3年)は「最初はびっくりした」と岩政氏就任時を振り返る。
「だけど、それは徐々に日が経つごとに慣れていった。本当にチームのコーチとして、自分たちに足りないことだったり、やらなきゃいけないことを言ってくれたおかげで、チームがより活性化したと思う。本当に感謝しかない」(山田)
龍谷富山が対戦したのは、王座奪還を狙う名門・富山一高。前半に1点を奪われると、後半にも2失点を喫する。0-3で2年連続の全国切符を掴むことはできなかった。




試合後、岩政氏は涙を流す選手たち一人ひとりに握手をしに歩いた。勝っても負けても3週間限定。岩政氏の高校サッカーはいったんピリオドを迎えた。
「高校生への指導は、指導者になりたてのとき、文化学園大学杉並中学校・高校で2年間はやっていました。年代的にはやっているけど、ただ高校選手権に出る出ないのレベルの選手たちはやったことがなかった。非常に楽しかった」(岩政氏)
プレー面以外にも、岩政氏が選手に伝えたことがある。
「一番伝えたのは、かっこいい男になれ、ということ。かっこいい男という基準で、自分が思うかっこいい男がすべて自分の行動を決めていけばいいと、僕は思っている。今日も最後まであきらめなかった。それはかっこいいですよね」
「いろんな場面でダサいことをしていると、自分がかっこ悪い男になる。でも自分がかっこいいと思う基準の行動を繰り返していればかっこいい男になる。サッカー的なところもかなり色々教えたし、色々整理した。そのなかで学びもあったと思う。でも一番は結局立ち振る舞いで変わっていく。今日、選手たちはチームでよく戦った」




キャプテンの一人である山田に岩政氏の印象的だった言葉を聞くと、「かっこいい男になれ」と答えた。
この日、龍谷富山は早い時間帯で点差がついた。それでも山田は「0-3という差がつくスコアで、全員が4失点目はしないように体を張って守れた」と胸を張る。たとえ敗退が濃厚であろうと、選手たちは”かっこいい男”を貫いた。「そこはプレーで証明することができた」と力を込めた。
山田は大学でもサッカーを続ける。岩政氏の言葉を胸に「4年間、本気でやるからにはやっぱりプロを目指す」と思いを明かす。「一日一日を妥協せず、高校生活で得られた継続力を大学でも生かしていきたい」と先を見据えていた。
急きょ降り立った富山の土地。岩政氏は「駅前のアパホテル3つ、1週間ずつ全部行きました」と苦労を笑う。「来週くらいから自分も色々就活をしないといけない」。教え子たちと最後の集合写真を撮り終えると、スタジアムを後にした。


(取材・文 石川祐介)
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