【単独インタビュー】異国でのリハビリ生活乗り越えた川村拓夢、CLデビューへの奮闘劇「実はもともと極度の潔癖症で…」
単独インタビューに応じたMF
日本代表MF川村拓夢は昨年夏、サンフレッチェ広島からオーストリア・ザルツブルクに完全移籍し、初の欧州挑戦をスタートさせた。シーズン開幕を目前に控えた昨年7月に左膝内側靭帯断裂の重傷を負い、長期離脱を強いられたものの、復帰後の12月に現地デビュー。リーグ戦とUEFAチャンピオンズリーグ(欧州CL)1試合ずつに出場し、このウインターブレイクを迎えた。
『ゲキサカ』では昨年12月末、ウインターブレイクで一時帰国中の川村に単独インタビューを実施。異国の地で乗り越えたリハビリ生活や、初の欧州挑戦における適応法、そして復帰後の欧州CLデビュー戦で対峙したパリSGの衝撃など、ピッチ内外でさまざまな経験を重ねる25歳の思いを聞いた。
——まずは復帰おめでとうございます。復帰してからウインターブレイクに入りましたが、今の心境を教えてください。
「まずはちょっとでしたけどデビューすることができましたし、チャンピオンズリーグも少しでしたけど試合に出て体感できたというのが、自分にとってすごく大きな部分だったので、ウインターブレイク明けに向けて良かったかなとポジティブに捉えています」
——先ほどはスパイクの撮影で実際にボールも蹴っていましたが、もう万全そうですね。
「復帰を予定していた時期よりは遅くなってしまったんですが、そのぶん今は不安もないし、思い切って100%でできているので、ウインターブレイクが明けてからはより僕のプレーも戻ってくると思うのですごく楽しみです」
——新しいスパイクの感触はいかがでしたか。
「新しくモデルチェンジして、より好きな形になったなと思います。履いた時からすごくフィットしていましたし、デザインも格好いいので、この新しいスパイクと一緒にステップアップしていけたらなと」
——さすが紫色は似合いますね。
「僕の大好きな色なので(笑)」
——おすすめのポイントは。
「ニットの部分のフィット感が良いですね。それに履いてからの窮屈感もなく、自分の足に合った形で伸びるので、そこがすごく良いなと思います」


——ダイナミックなプレースタイルとの相性はいかがですか。
「たしかに僕のポジションはたくさん走りますし、いろんな方向にいろんな動きをすることがより多いポジションなので、切り返した時の感触が大事なんですが、思ったように自分の動きができているので、実際にウインターブレイク明けから試合で履くのが楽しみです」
——ありがとうございます。ここからはシーズン中のことについて聞かせてください。昨年夏にオーストリアに移籍し、開幕を目前に控えた中でのケガはメンタル的にも厳しいものがあったと思いますが、どんな思いで過ごしていましたか。
「もう本当にすごく難しかったですね。でも自分はサンフレッチェの時もそうでしたし、愛媛の時もそうでしたが、最初は毎回どん底に落ちてからのスタートなんですよ。そこから這い上がって行くのが僕だと思っているので、あの3か月間、試合に出るまでの約5か月間は自分にとって必要な時間だったと思っています。何より自分にとって必要なケガにしたかったので、そう捉えて取り組みましたし、それで今はすごくコンディションも良いので、そういった感覚に出会えたことが今では良かったと思っています」
——プロ入り当初の挫折経験を意識することもあったんですね。実際にどのような思いで当時を捉え直していたんですか。
「正直、あの時は本当に周りの人のおかげというのが一番でしたね。愛媛にはたくさんのプロフェッショナルな選手がいましたし、監督にもお世話になって、まずはJ2でこの川村拓夢という選手を知ってもらえたと思うので、そういった自信を得てサンフレッチェに帰ることができたのが大きかったです。本当に周りの人に恵まれていなかったら、僕はもう正直すぐに終わっていた選手だと思いますし、プロサッカー人生はすぐに終わっていたと思うので、今でも感謝の気持ちでいっぱいです」
——そうした過去もある中、今回のケガは異国の地でより難しい状況だったと思いますが、どのように乗り越えていたんでしょう。
「最初は気持ち的に切り替えるのがなかなか難しかったですが、もうやるしかないので。リハビリ以外でも身体と向き合う時間が増えましたし、いろんなことをとにかくやろうと思っていましたね。語学もまだまだだったので、そういったところに時間を割いて、ケガをしているということを忘れるようにしていました」
——チーム内では英語ですか?
「英語ですね。最初よりは聞き取れることも多くなりましたし、理解できることが増えました。ただもちろんまだまだなので、これからも継続していきたいなと思っています」
——リハビリの日々では周りの人からの助けもあったと思います。どのようなサポートを受けていましたか。
「クラブは本当にサポートしてくれましたし、心の部分もすごくケアしてくれたので、そういった面ではすごく助かりましたね」
——日本とは文化の違いもあると思いますが、どういったアプローチでメンタル的なケアを受けていたんでしょうか。
「チームに心理学者やメンタルトレーナーの方がいるので、そういった人たちと話しながらですね。あとはレッドブルの施設(※)でリハビリをしていたので、そういったところでいろんなアスリートの人たちと一緒にリハビリできたのはすごく大きいモチベーションになりました」
(※)オーストリア・タルガウにあるレッドブル・アスリート・パフォーマンス・センター
——なかなかできない経験ですね。
「(ドイツ・ブンデスリーガの)ライプツィヒの選手もいましたし、レッドブルグループの他の競技の選手もたくさんいて、僕よりもっと深刻なケガをしている人たちも弱音を吐かず、朝から夕方までとにかくひたむきにやっている姿というのは、自然と僕も下を向いちゃいけないなという気持ちになりましたし、彼らと一緒の空間でリハビリをできたのはすごく大きかったなと思います」
——日本でサッカーをしていると、他競技の選手と出会う機会はそうそうないですよね。
「本当にそうですね。他のトップアスリートの方々の姿勢、ケガをした時の姿勢を見られたのはすごく大きかったです。彼らはリハビリをしている時にも、常にカメラを持って撮影してる人たちが周りにいて、僕は存じ上げない方だったんですが、きっとすごく有名な方々なんだろうなと思っていました」
——リハビリにも密着クルーがつくくらいの。
「それも3、4人くらいの方に常に密着されていました(笑)」
——それは刺激的な空間ですね(笑)
「日本では絶対にできなかった経験だなと思いました」
——ちなみにそうした異国のコミュニティに入っていくのはどのような気持ちでしたか。イチから新しい環境に飛び込むのはすごく久しぶりだと思いますが。
「やっぱり言語も文化もすべて違うという中で、選手としてもそうですけど、人としても新しいものを見たい思いが強くあったので、そこはすごく良かったですね。もちろん食事も全く違いましたし、日本の良さをあらためて再認識するといいますか、逆に受け入れるのに時間がかかることもあったんですが、今では『そういったものもあるんだ』というくらいで過ごせるようになってきていて、本当に大きくなったなって自分でも思いますね」
——広島の方と話していると「拓夢は自分から輪に入り込みに行けているんだろうか」という声もありました(笑)
「そこは行ったら変わりますね。ザルツブルクは若い選手が多いので、ノリも若くて(笑)。そういった意味ではすごく楽しいですよ。みんな日本語で話しかけてきてくれたりもして。たしかに広島の時から僕のことを知っている方は『大丈夫なんかな』と思っている気がしますが、それなりに適応してやっています(笑)」
——どこで殻を破った感覚がありましたか。
「これはもう初日ですね。アイスバスがあって……」


——ザルツブルクの公式Xで見ました。
「僕、実はもともと極度の潔癖症だったんですけど、チームのルールで(アイスバスに)一緒に入らないといけなくて、あそこでもう全てがどうでも良くなりました(笑)。あれがもうターニングポイントです。もう本当に何にも気にならなくなりました。あれで潔癖症も治りましたし(笑)。見ました?プールの中。いろんなものが浮いてて、最初はマジかって思ったんですけど、入ったらもうどうでもいいやって(笑)」
——あの写真は衝撃でした(笑)。
「あとは最初に歌を歌わされたりもありましたし……」
——何を歌ったんですか?
「僕、桑田佳祐歌いました」
——珍しいチョイスですね。
「普通はアニメですよね。でもなぜか僕は桑田佳祐を歌って、全然盛り上がらないっていう(笑)」
——バラードですか?
「バラードです。『明日晴れるかな』って曲で」
——いい曲ですね(笑)
「たまたま聴いていた音楽を流していて、『なんか歌ってよ』って言われたんで、そのまま歌いました」
——でも逆にノリノリでやるより、実直なキャラクターは伝わったんじゃないですか。
「だったらいいんですけど(笑)」
——いまどんなふうに馴染んでいますか?
「英語は他の選手の言葉とか挨拶を応用してコミュニケーション取っているんですが、僕はフィールドプレーヤーで年齢が上から2番目なんですよ。でも年上とか年下とか向こうの選手はないじゃないですか。だから意外にかわいがってもらってる感じですね。19歳とか20歳の選手から肩組まれたりして(笑)」
——それは広島の方々も安心していると思います(笑)。ここからはピッチ内の話を聞かせてください。リハビリから練習に入っていくにあたって、どのようなことを意識して過ごしていましたか。
「まず試合は常に自分に置き換えて見ていましたね。チームが勝てない時期が続いていたので、僕自身も25歳という年齢で、他の選手よりも即戦力として求められていると思いますし、すぐにフィットできるようにとにかく自分に置き換えて見ていました。練習に入ってからは、やれるなという感覚がありましたし、ケガをして出遅れてしまったぶん、個人としての結果もそうですけど、チームの結果もうまくいくようにというのを考えていました」
——試合は昨年12月4日のリーグ戦からの復帰でしたが、初めてピッチに立った時はどんな感情でしたか。
「すごく楽しかったですし、約10分間という中で次にいつ来るか分からないチャンスを絶対に掴みたいという思いでした。(当時の)監督からも『あとは体力だけだな!』って言ってもらえて、そこは評価してもらえたのかなと思いました」
——続く10日にはパリSGとのUEFAチャンピオンズリーグにも出場しました。
「パリ戦はもう、ピッチに入るまでは『やってやるぞ』という感覚だったんですが、入ったあとは『これがチャンピオンズリーグか』という感じで、感じたことのない重圧というか、相手がボールを持っているだけですごく怖かったですし、一瞬でもスキがあればやられるような試合でした」
——ピッチに入る時の気迫は画面越しでも伝わってきました。
「本当にそうで、ファーストプレーはすごく良かったんですよね。でも『よし、ここから』と思ったら、その次にボールをもらったら一気に3人くらいで囲んできて、リーグ戦だったらそんなことはないし、練習でもなかったプレッシャーや切り替えの速さだったので、これが世界のスタンダードなんだと感じましたね」
——ファーストプレーの後は相手もポジショニングを修正してきて、どんどんマッチアップすらできないような状況になっていきましたよね。
「そうですね。チームとして向こうもよりギアを上げてきた感じがしました。そこの差は感じましたね」
——失点の場面は日本だと間に合うスピード感でカバーに入り、さらに2人を見ながら潰しに行っていました。あの感覚はいかがでしたか。
「もう正直、潰せる気はしなかったですね。行かないとシュートを打たれるし、行ったら行ったで外されて失点したので。でもあれを守れるようにならないといけないし、あれを基準にやっていかないといけないなと思います」
——当時はペップ・ラインダース監督が率いていましたが、川村選手の獲得にあたってもすごく高く評価していたと聞きました。かつてはリバプールのアシスタントコーチとして南野拓実選手とも一緒に仕事をしていた方ですが、彼はどんな指導者でしたか。
「まずは僕が英語をあまり話せないということをすごく理解してくれていて、監督も同じような経験があったようで『自分も8か月から1年くらい同じ経験をしたんだ』って親身に話をしてくれたのがありがたかったですね。それに誕生日の時にはメッセージもくれて、チャンピオンズリーグでデビューもさせてもらえて。その中でこれからも一緒に戦えないのは残念ですが、彼が僕にとって最初の監督で本当に良かったなとすごく感謝しています」
——彼のような世界トップレベルを見てきた指導者に高く評価されるという手応えもあったと思うのですが、いかがでしたか。
「たしかに僕のプレースタイルというのはなかなかいないと思いますし、より唯一無二の選手をもっともっと目指して、海外でもそういうところを出していきたいなと思います」
——日本にいた頃に比べて、自身の良さを再発見できた部分はありますか。
「予測の部分だったり、セカンドボールを回収するところだったり、守備での手応えをより感じています」
——まさにCLのパリSG戦では、短い時間の中でもなんとか相手選手2人を見ながら対応している場面など、そう感じることがありました。
「まずは1人で2人ぶんを守れるようになれば、より良い選手になれると思いますし、あれを良い経験にして、より自分のものにしていきたいですね。あの失点シーンを守れるようになれば、やっぱり日本代表にも良い形で入っていけると思うので。今のボランチの2人(遠藤航、守田英正)はそこも本当に優れている選手なので、そこはすごく意識をしています」
——パリSG戦は普通の試合では得られないような濃密な15分間でしたね。
「本当にそうですね。僕は出遅れてしまったぶん、この後半戦はしっかりと活躍していきたいですし、このザルツブルクで活躍できればその次のステップアップにつながるブランドがあると思うので、あの試合の基準を練習から自分の中に置いて高めていきたいです」
——その未来図は日本代表にとっても頼もしいことだと思います。いまの代表についてはどのような思いがありますか。
「僕は昨年(2023年)から選んでもらえるようになりましたが、ベンチやベンチ外じゃやっぱり悔しいですし、日本代表の試合に出るために海外に移籍した部分もあるので、それをしっかりと叶えられるように、達成できるようにしたいなと思いますね」
——海外に出たことで、日本代表のポジション争いに挑んでいく気持ちの面でも良い影響はあるように思いますが、いかがでしょう。
「今までは練習に慣れてきたと思ったら活動が終了してしまうというのを感じていたので、今はその基準を普段からザルツブルクで毎日体験できているのがすごく大きいですし、次は合流初日からしっかりと僕のプレーを見せて、外国人選手相手にもやれるんだという結果を見せていきたいですね」
——その先にはW杯もあります。
「やっぱり出たいですね。サッカー選手の憧れの場所ですし、僕自身、前回のW杯をテレビで見ていましたが、あそこに立ちたいなと思ったので。本当に出たいです」
(インタビュー・文 竹内達也)
●海外組ガイド
●チャンピオンズリーグ(CL)24-25特集
『ゲキサカ』では昨年12月末、ウインターブレイクで一時帰国中の川村に単独インタビューを実施。異国の地で乗り越えたリハビリ生活や、初の欧州挑戦における適応法、そして復帰後の欧州CLデビュー戦で対峙したパリSGの衝撃など、ピッチ内外でさまざまな経験を重ねる25歳の思いを聞いた。
——まずは復帰おめでとうございます。復帰してからウインターブレイクに入りましたが、今の心境を教えてください。
「まずはちょっとでしたけどデビューすることができましたし、チャンピオンズリーグも少しでしたけど試合に出て体感できたというのが、自分にとってすごく大きな部分だったので、ウインターブレイク明けに向けて良かったかなとポジティブに捉えています」
——先ほどはスパイクの撮影で実際にボールも蹴っていましたが、もう万全そうですね。
「復帰を予定していた時期よりは遅くなってしまったんですが、そのぶん今は不安もないし、思い切って100%でできているので、ウインターブレイクが明けてからはより僕のプレーも戻ってくると思うのですごく楽しみです」
——新しいスパイクの感触はいかがでしたか。
「新しくモデルチェンジして、より好きな形になったなと思います。履いた時からすごくフィットしていましたし、デザインも格好いいので、この新しいスパイクと一緒にステップアップしていけたらなと」
——さすが紫色は似合いますね。
「僕の大好きな色なので(笑)」
——おすすめのポイントは。
「ニットの部分のフィット感が良いですね。それに履いてからの窮屈感もなく、自分の足に合った形で伸びるので、そこがすごく良いなと思います」


——ダイナミックなプレースタイルとの相性はいかがですか。
「たしかに僕のポジションはたくさん走りますし、いろんな方向にいろんな動きをすることがより多いポジションなので、切り返した時の感触が大事なんですが、思ったように自分の動きができているので、実際にウインターブレイク明けから試合で履くのが楽しみです」
——ありがとうございます。ここからはシーズン中のことについて聞かせてください。昨年夏にオーストリアに移籍し、開幕を目前に控えた中でのケガはメンタル的にも厳しいものがあったと思いますが、どんな思いで過ごしていましたか。
「もう本当にすごく難しかったですね。でも自分はサンフレッチェの時もそうでしたし、愛媛の時もそうでしたが、最初は毎回どん底に落ちてからのスタートなんですよ。そこから這い上がって行くのが僕だと思っているので、あの3か月間、試合に出るまでの約5か月間は自分にとって必要な時間だったと思っています。何より自分にとって必要なケガにしたかったので、そう捉えて取り組みましたし、それで今はすごくコンディションも良いので、そういった感覚に出会えたことが今では良かったと思っています」
——プロ入り当初の挫折経験を意識することもあったんですね。実際にどのような思いで当時を捉え直していたんですか。
「正直、あの時は本当に周りの人のおかげというのが一番でしたね。愛媛にはたくさんのプロフェッショナルな選手がいましたし、監督にもお世話になって、まずはJ2でこの川村拓夢という選手を知ってもらえたと思うので、そういった自信を得てサンフレッチェに帰ることができたのが大きかったです。本当に周りの人に恵まれていなかったら、僕はもう正直すぐに終わっていた選手だと思いますし、プロサッカー人生はすぐに終わっていたと思うので、今でも感謝の気持ちでいっぱいです」
——そうした過去もある中、今回のケガは異国の地でより難しい状況だったと思いますが、どのように乗り越えていたんでしょう。
「最初は気持ち的に切り替えるのがなかなか難しかったですが、もうやるしかないので。リハビリ以外でも身体と向き合う時間が増えましたし、いろんなことをとにかくやろうと思っていましたね。語学もまだまだだったので、そういったところに時間を割いて、ケガをしているということを忘れるようにしていました」
——チーム内では英語ですか?
「英語ですね。最初よりは聞き取れることも多くなりましたし、理解できることが増えました。ただもちろんまだまだなので、これからも継続していきたいなと思っています」
——リハビリの日々では周りの人からの助けもあったと思います。どのようなサポートを受けていましたか。
「クラブは本当にサポートしてくれましたし、心の部分もすごくケアしてくれたので、そういった面ではすごく助かりましたね」
——日本とは文化の違いもあると思いますが、どういったアプローチでメンタル的なケアを受けていたんでしょうか。
「チームに心理学者やメンタルトレーナーの方がいるので、そういった人たちと話しながらですね。あとはレッドブルの施設(※)でリハビリをしていたので、そういったところでいろんなアスリートの人たちと一緒にリハビリできたのはすごく大きいモチベーションになりました」
(※)オーストリア・タルガウにあるレッドブル・アスリート・パフォーマンス・センター
——なかなかできない経験ですね。
「(ドイツ・ブンデスリーガの)ライプツィヒの選手もいましたし、レッドブルグループの他の競技の選手もたくさんいて、僕よりもっと深刻なケガをしている人たちも弱音を吐かず、朝から夕方までとにかくひたむきにやっている姿というのは、自然と僕も下を向いちゃいけないなという気持ちになりましたし、彼らと一緒の空間でリハビリをできたのはすごく大きかったなと思います」
——日本でサッカーをしていると、他競技の選手と出会う機会はそうそうないですよね。
「本当にそうですね。他のトップアスリートの方々の姿勢、ケガをした時の姿勢を見られたのはすごく大きかったです。彼らはリハビリをしている時にも、常にカメラを持って撮影してる人たちが周りにいて、僕は存じ上げない方だったんですが、きっとすごく有名な方々なんだろうなと思っていました」
——リハビリにも密着クルーがつくくらいの。
「それも3、4人くらいの方に常に密着されていました(笑)」
——それは刺激的な空間ですね(笑)
「日本では絶対にできなかった経験だなと思いました」
——ちなみにそうした異国のコミュニティに入っていくのはどのような気持ちでしたか。イチから新しい環境に飛び込むのはすごく久しぶりだと思いますが。
「やっぱり言語も文化もすべて違うという中で、選手としてもそうですけど、人としても新しいものを見たい思いが強くあったので、そこはすごく良かったですね。もちろん食事も全く違いましたし、日本の良さをあらためて再認識するといいますか、逆に受け入れるのに時間がかかることもあったんですが、今では『そういったものもあるんだ』というくらいで過ごせるようになってきていて、本当に大きくなったなって自分でも思いますね」
——広島の方と話していると「拓夢は自分から輪に入り込みに行けているんだろうか」という声もありました(笑)
「そこは行ったら変わりますね。ザルツブルクは若い選手が多いので、ノリも若くて(笑)。そういった意味ではすごく楽しいですよ。みんな日本語で話しかけてきてくれたりもして。たしかに広島の時から僕のことを知っている方は『大丈夫なんかな』と思っている気がしますが、それなりに適応してやっています(笑)」
——どこで殻を破った感覚がありましたか。
「これはもう初日ですね。アイスバスがあって……」


——ザルツブルクの公式Xで見ました。
「僕、実はもともと極度の潔癖症だったんですけど、チームのルールで(アイスバスに)一緒に入らないといけなくて、あそこでもう全てがどうでも良くなりました(笑)。あれがもうターニングポイントです。もう本当に何にも気にならなくなりました。あれで潔癖症も治りましたし(笑)。見ました?プールの中。いろんなものが浮いてて、最初はマジかって思ったんですけど、入ったらもうどうでもいいやって(笑)」
——あの写真は衝撃でした(笑)。
「あとは最初に歌を歌わされたりもありましたし……」
——何を歌ったんですか?
「僕、桑田佳祐歌いました」
——珍しいチョイスですね。
「普通はアニメですよね。でもなぜか僕は桑田佳祐を歌って、全然盛り上がらないっていう(笑)」
——バラードですか?
「バラードです。『明日晴れるかな』って曲で」
——いい曲ですね(笑)
「たまたま聴いていた音楽を流していて、『なんか歌ってよ』って言われたんで、そのまま歌いました」
——でも逆にノリノリでやるより、実直なキャラクターは伝わったんじゃないですか。
「だったらいいんですけど(笑)」
——いまどんなふうに馴染んでいますか?
「英語は他の選手の言葉とか挨拶を応用してコミュニケーション取っているんですが、僕はフィールドプレーヤーで年齢が上から2番目なんですよ。でも年上とか年下とか向こうの選手はないじゃないですか。だから意外にかわいがってもらってる感じですね。19歳とか20歳の選手から肩組まれたりして(笑)」
——それは広島の方々も安心していると思います(笑)。ここからはピッチ内の話を聞かせてください。リハビリから練習に入っていくにあたって、どのようなことを意識して過ごしていましたか。
「まず試合は常に自分に置き換えて見ていましたね。チームが勝てない時期が続いていたので、僕自身も25歳という年齢で、他の選手よりも即戦力として求められていると思いますし、すぐにフィットできるようにとにかく自分に置き換えて見ていました。練習に入ってからは、やれるなという感覚がありましたし、ケガをして出遅れてしまったぶん、個人としての結果もそうですけど、チームの結果もうまくいくようにというのを考えていました」
——試合は昨年12月4日のリーグ戦からの復帰でしたが、初めてピッチに立った時はどんな感情でしたか。
「すごく楽しかったですし、約10分間という中で次にいつ来るか分からないチャンスを絶対に掴みたいという思いでした。(当時の)監督からも『あとは体力だけだな!』って言ってもらえて、そこは評価してもらえたのかなと思いました」
——続く10日にはパリSGとのUEFAチャンピオンズリーグにも出場しました。
「パリ戦はもう、ピッチに入るまでは『やってやるぞ』という感覚だったんですが、入ったあとは『これがチャンピオンズリーグか』という感じで、感じたことのない重圧というか、相手がボールを持っているだけですごく怖かったですし、一瞬でもスキがあればやられるような試合でした」
——ピッチに入る時の気迫は画面越しでも伝わってきました。
「本当にそうで、ファーストプレーはすごく良かったんですよね。でも『よし、ここから』と思ったら、その次にボールをもらったら一気に3人くらいで囲んできて、リーグ戦だったらそんなことはないし、練習でもなかったプレッシャーや切り替えの速さだったので、これが世界のスタンダードなんだと感じましたね」
——ファーストプレーの後は相手もポジショニングを修正してきて、どんどんマッチアップすらできないような状況になっていきましたよね。
「そうですね。チームとして向こうもよりギアを上げてきた感じがしました。そこの差は感じましたね」
——失点の場面は日本だと間に合うスピード感でカバーに入り、さらに2人を見ながら潰しに行っていました。あの感覚はいかがでしたか。
「もう正直、潰せる気はしなかったですね。行かないとシュートを打たれるし、行ったら行ったで外されて失点したので。でもあれを守れるようにならないといけないし、あれを基準にやっていかないといけないなと思います」
——当時はペップ・ラインダース監督が率いていましたが、川村選手の獲得にあたってもすごく高く評価していたと聞きました。かつてはリバプールのアシスタントコーチとして南野拓実選手とも一緒に仕事をしていた方ですが、彼はどんな指導者でしたか。
「まずは僕が英語をあまり話せないということをすごく理解してくれていて、監督も同じような経験があったようで『自分も8か月から1年くらい同じ経験をしたんだ』って親身に話をしてくれたのがありがたかったですね。それに誕生日の時にはメッセージもくれて、チャンピオンズリーグでデビューもさせてもらえて。その中でこれからも一緒に戦えないのは残念ですが、彼が僕にとって最初の監督で本当に良かったなとすごく感謝しています」
——彼のような世界トップレベルを見てきた指導者に高く評価されるという手応えもあったと思うのですが、いかがでしたか。
「たしかに僕のプレースタイルというのはなかなかいないと思いますし、より唯一無二の選手をもっともっと目指して、海外でもそういうところを出していきたいなと思います」
——日本にいた頃に比べて、自身の良さを再発見できた部分はありますか。
「予測の部分だったり、セカンドボールを回収するところだったり、守備での手応えをより感じています」
——まさにCLのパリSG戦では、短い時間の中でもなんとか相手選手2人を見ながら対応している場面など、そう感じることがありました。
「まずは1人で2人ぶんを守れるようになれば、より良い選手になれると思いますし、あれを良い経験にして、より自分のものにしていきたいですね。あの失点シーンを守れるようになれば、やっぱり日本代表にも良い形で入っていけると思うので。今のボランチの2人(遠藤航、守田英正)はそこも本当に優れている選手なので、そこはすごく意識をしています」
——パリSG戦は普通の試合では得られないような濃密な15分間でしたね。
「本当にそうですね。僕は出遅れてしまったぶん、この後半戦はしっかりと活躍していきたいですし、このザルツブルクで活躍できればその次のステップアップにつながるブランドがあると思うので、あの試合の基準を練習から自分の中に置いて高めていきたいです」
——その未来図は日本代表にとっても頼もしいことだと思います。いまの代表についてはどのような思いがありますか。
「僕は昨年(2023年)から選んでもらえるようになりましたが、ベンチやベンチ外じゃやっぱり悔しいですし、日本代表の試合に出るために海外に移籍した部分もあるので、それをしっかりと叶えられるように、達成できるようにしたいなと思いますね」
——海外に出たことで、日本代表のポジション争いに挑んでいく気持ちの面でも良い影響はあるように思いますが、いかがでしょう。
「今までは練習に慣れてきたと思ったら活動が終了してしまうというのを感じていたので、今はその基準を普段からザルツブルクで毎日体験できているのがすごく大きいですし、次は合流初日からしっかりと僕のプレーを見せて、外国人選手相手にもやれるんだという結果を見せていきたいですね」
——その先にはW杯もあります。
「やっぱり出たいですね。サッカー選手の憧れの場所ですし、僕自身、前回のW杯をテレビで見ていましたが、あそこに立ちたいなと思ったので。本当に出たいです」
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