町田の歴史変えたFWデューク「英語でSwaz」の技ありアシスト!! 大舞台の強さ健在「W杯のFinalsも経験したから重圧は感じない」
[11.22 天皇杯決勝 町田 3-1 神戸 国立]
悲願の初タイトルを決定づける追加点は、驚くべきアシストから生まれた。天皇杯決勝戦に臨んだFC町田ゼルビアは1-0で迎えた前半32分、FWミッチェル・デュークが屈強な競り合いでこぼれ球を生み、FW藤尾翔太と連係して前を向くと、シュート回転をかける低弾道のスルーパスを配球。これに抜け出したMF相馬勇紀がGKとの1対1を迎え、冷静なチップキックでネットを揺らした。
デュークがパスを出す瞬間、神戸側も山川哲史と酒井高徳がコースを消そうと帰陣していたが、ボールは見事にそのギャップを通過。デュークにとっても会心の一本だった。
「あれは英語で『Swaz』(利き足方向に鋭く曲がるキック)と言われるもので、右方向に急激に変化させるようなボールを狙った。たまに全く別のところに行ってうまくいかないこともあるけど、今日は幸運なことに完璧に相馬に合ってくれた。相馬もうまくフィニッシュしてくれて良かった」
デュークの即興的なイメージと正確なキック、そして相馬のクオリティーも噛み合ったスーパーゴールだった。
デュークは今季、本職の1トップのポジション争いで出場機会を減らしていたなか、準決勝から右シャドーでの起用が続いていた。それでも「ベンチに座っているよりは別のポジションでプレーできるほうがいいし、チームに貢献できて嬉しい」と受け止め、サイドでのプレーに尽力してきた。
「このポジションではまだ学んでいることがあるし、守備に走ることが多くなっていて、ウイングバックを助けるために戻らないといけないこともあるけど、全体的にはうまく適応できていると思う」
もともと2015年、清水エスパルスに加入した初来日の際はウイングバックやサイドハーフからのスタートだった。「最初の3年間はウイングバックだったね(笑)。だからこのポジションには慣れているし、上下動することができる。年齢は重ねてきたけど、まだたくさん走れるのでチームが必要ならどんなポジションでも助けになりたい」。
清水で4年間を過ごした後には「心の中ではストライカーなので、清水を離れてからはストライカーとしての自分を証明するために強いモチベーションを持っていた」といい、オーストラリアとサウジアラビアでの日々を経て21年に岡山で再来日した際は純粋なセンターFWになっていたデューク。しかし、かつての経験がカップファイナルの大舞台で活きていた。
また何より大舞台での強さも健在だった。オーストラリア代表では22年のカタールW杯に出場すると、全4試合の先発出場でゴールも記録し、ベスト16に導いたデューク。今年6月には北中米W杯出場をかけたサウジアラビアとの決戦で1ゴール1アシストの大活躍を見せ、W杯出場に大きく貢献しており、日本のカップファイナルは初めてとはいえプレッシャーとは無縁だった。
デュークは大舞台での強さの秘訣を次のように語った。
「自分は一番多くのゴールを取るストライカーではないことはわかっているけど、自分のプレートハードワークで勝利に貢献できると信じている。必死に取り組んで、死ぬ気で戦う覚悟もある。これがチームの勝利につながると確信している。あのサウジアラビア戦のような重要な試合では絶対に勝たないといけない。でも自分は今がゴールを決めるチャンスだと感じているし、大きな期待にも負けることはない。そんな状況には慣れているし、W杯のFinals(ノックアウトステージ)も経験してきたから重圧を感じることはない。ただ自分の仕事を全うすればいいんだと分かっている」
そんな経験豊富な34歳の尽力もあり、町田にクラブ史上初のタイトルがもたらされた。加入3年目のデュークは「クラブの歴史の一部に関わることができて良かった。1年目はJ2からJ1に上がることができたし、去年はACLに参加する権利を得ることができた。そして今年はタイトルを取ることができた。毎年新しい歴史を作ることができて、それは本当に特別なことだと思っている」と感慨を口にし、町田のスタイルに胸を張った。
「自分の場合、プレースタイルの基本はハードワークで、時にそのハードワークが才能になることがある。それはたとえトップクラスの選手やチームであってもハードワークをしなければ十分ではない。それが町田の強さだと思う。我々は神戸のように何度もタイトルを取って、最高の選手たちがいるわけではないけど、町田はみんなが一丸となってハードワークして、必死にチャレンジして、それを実現させた。努力が報われたと思う」
(取材・文 竹内達也)
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悲願の初タイトルを決定づける追加点は、驚くべきアシストから生まれた。天皇杯決勝戦に臨んだFC町田ゼルビアは1-0で迎えた前半32分、FWミッチェル・デュークが屈強な競り合いでこぼれ球を生み、FW藤尾翔太と連係して前を向くと、シュート回転をかける低弾道のスルーパスを配球。これに抜け出したMF相馬勇紀がGKとの1対1を迎え、冷静なチップキックでネットを揺らした。
デュークがパスを出す瞬間、神戸側も山川哲史と酒井高徳がコースを消そうと帰陣していたが、ボールは見事にそのギャップを通過。デュークにとっても会心の一本だった。
「あれは英語で『Swaz』(利き足方向に鋭く曲がるキック)と言われるもので、右方向に急激に変化させるようなボールを狙った。たまに全く別のところに行ってうまくいかないこともあるけど、今日は幸運なことに完璧に相馬に合ってくれた。相馬もうまくフィニッシュしてくれて良かった」
デュークの即興的なイメージと正確なキック、そして相馬のクオリティーも噛み合ったスーパーゴールだった。
デュークは今季、本職の1トップのポジション争いで出場機会を減らしていたなか、準決勝から右シャドーでの起用が続いていた。それでも「ベンチに座っているよりは別のポジションでプレーできるほうがいいし、チームに貢献できて嬉しい」と受け止め、サイドでのプレーに尽力してきた。
「このポジションではまだ学んでいることがあるし、守備に走ることが多くなっていて、ウイングバックを助けるために戻らないといけないこともあるけど、全体的にはうまく適応できていると思う」
もともと2015年、清水エスパルスに加入した初来日の際はウイングバックやサイドハーフからのスタートだった。「最初の3年間はウイングバックだったね(笑)。だからこのポジションには慣れているし、上下動することができる。年齢は重ねてきたけど、まだたくさん走れるのでチームが必要ならどんなポジションでも助けになりたい」。
清水で4年間を過ごした後には「心の中ではストライカーなので、清水を離れてからはストライカーとしての自分を証明するために強いモチベーションを持っていた」といい、オーストラリアとサウジアラビアでの日々を経て21年に岡山で再来日した際は純粋なセンターFWになっていたデューク。しかし、かつての経験がカップファイナルの大舞台で活きていた。
また何より大舞台での強さも健在だった。オーストラリア代表では22年のカタールW杯に出場すると、全4試合の先発出場でゴールも記録し、ベスト16に導いたデューク。今年6月には北中米W杯出場をかけたサウジアラビアとの決戦で1ゴール1アシストの大活躍を見せ、W杯出場に大きく貢献しており、日本のカップファイナルは初めてとはいえプレッシャーとは無縁だった。
デュークは大舞台での強さの秘訣を次のように語った。
「自分は一番多くのゴールを取るストライカーではないことはわかっているけど、自分のプレートハードワークで勝利に貢献できると信じている。必死に取り組んで、死ぬ気で戦う覚悟もある。これがチームの勝利につながると確信している。あのサウジアラビア戦のような重要な試合では絶対に勝たないといけない。でも自分は今がゴールを決めるチャンスだと感じているし、大きな期待にも負けることはない。そんな状況には慣れているし、W杯のFinals(ノックアウトステージ)も経験してきたから重圧を感じることはない。ただ自分の仕事を全うすればいいんだと分かっている」
そんな経験豊富な34歳の尽力もあり、町田にクラブ史上初のタイトルがもたらされた。加入3年目のデュークは「クラブの歴史の一部に関わることができて良かった。1年目はJ2からJ1に上がることができたし、去年はACLに参加する権利を得ることができた。そして今年はタイトルを取ることができた。毎年新しい歴史を作ることができて、それは本当に特別なことだと思っている」と感慨を口にし、町田のスタイルに胸を張った。
「自分の場合、プレースタイルの基本はハードワークで、時にそのハードワークが才能になることがある。それはたとえトップクラスの選手やチームであってもハードワークをしなければ十分ではない。それが町田の強さだと思う。我々は神戸のように何度もタイトルを取って、最高の選手たちがいるわけではないけど、町田はみんなが一丸となってハードワークして、必死にチャレンジして、それを実現させた。努力が報われたと思う」
(取材・文 竹内達也)
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