beacon

大学セレクション1度は不合格、関東一高では選手権ベスト4もコロナ辞退…桐蔭横浜大FW肥田野蓮治、多くの挫折を乗り越えて掴んだ浦和内定

ポスト
Xに投稿
Facebookでシェア
Facebookでシェア
URLをコピー
URLをコピー
URLをコピーしました

 桐蔭横浜大の今季の背番号10は、浦和レッズでプロキャリアをスタートさせる。「まだまだスタートラインに立ったばかり。謙虚にひたむきに頑張っていきたい」。FW肥田野蓮治(4年=関東一高)は決意を新たにした。

 衝撃的なデビュー戦になった。大学リーグの戦いを終えた肥田野は、特別指定選手として浦和に帯同。11月30日のJ1第37節・岡山戦に先発出場すると、後半27分にMF中島翔哉のスルーパスに抜け出して、チームに4試合ぶりのゴール、そして4試合ぶりの勝利をもたらしていた。

 試合後には浦和のチームメイトから“冗談”で祝福されたという。「みんな冗談で勝利給ありがとうみたいな。僕はないので」。ただ合流間もない中でしっかりと結果を残せたことに何よりの充実がある様子で、「決める気で入ったので、驚きはないですけど、やってやったという感じでした。練習からもあの形は出ていたので、狙い通りだったかなと思います」と堂々と振り返った。

 しかし1週間後の戦いで悲劇が待っていた。再び大学の活動に戻って大学選手権(インカレ)の初戦となる予選ラウンドの仙台大とのゲームに先発出場したが、2-3で競り負けて日本一の可能性をなくした。そこについては「期待された中でインカレを迎えて、自分がゴールでチームを勝たせられなかったことは責任を感じている」。

 ただこれまで挫折を力に変えてきた自覚もある。中学時代はFC東京U-15深川でプレーしたが、ユース昇格は叶わなかった。関東一高に進学して3年時は10番を背負う中心選手になり、高校選手権でベスト4に進出したが、チーム内に新型コロナウイルスの感染が明らかになり、準決勝で辞退する悲運も経験した。

 そして桐蔭横浜大に進学を決める際に一度、高校3年生の夏に受けたセレクションで不合格になっていたという。「関東一高の歴代の10番、一個上の笠井 佳祐、その前の小関陽星くんもいて、当然自分も行くものだと思っていた。だからほかの大学も考えていなくて、もう一回お願いして何とかという感じでした」。

 ただその2か月後に再度セレクションに参加すると、見違えるように気持ちの入ったプレーをみせる肥田野がいた。安武亨監督も「こっちがオーダーしたことを治してきた。これは性格的にも間違いなく伸びると思った」と当時を回想。「大学に入って、サイドのちょっと上手い選手だったけど、身体もできてきて、FWにコンバートしてここまで成長してくれた」と目を細めながら話した。

 プロ1年目からスタートダッシュをかける。来年は秋春制への移行が行われる特例シーズンで、百年構想リーグはルーキーら若手選手が積極的に起用されることが予想されている。「開幕スタメン」を現実的な目標にした肥田野も、「だいたい20試合くらいあると思うので、ゴールは5ゴールくらいいきたい」と意欲的に話した。

(取材・文 児玉幸洋)

●第99回関東大学リーグ特集
●2025シーズンJリーグ特集
▶話題沸騰!『ヤーレンズの一生ボケても怒られないサッカーの話』好評配信中
児玉幸洋
Text by 児玉幸洋

「ゲキサカ」ショート動画

TOP