プレミア得点王&選手権Vエースは慶應大受験も両立「本当に周りに支えられた」ゲキサカ読者が選ぶ選手権MVPは前橋育英FWオノノジュ慶吏!
ゲキサカ読者が選ぶ第103回全国高校サッカー選手権のMVP「GEKISAKA AWARD 2024 WINTER 高校生部門」に、7年ぶりの日本一に輝いた前橋育英高(群馬)のFWオノノジュ慶吏(3年=FC東京U-15むさし出身)が選ばれた。
オノノジュは昨季の高円宮杯プレミアリーグEAST得点王。高校生活の集大成として迎えた選手権では、先制点を決めた1回戦・米子北戦(◯2-0)の接触プレーで腰を痛め、2回戦・愛工大名電戦(◯2-2、PK6-5)の欠場を強いられるも、3回戦・帝京大可児戦(◯3-2)で2ゴールの鮮烈な復活劇を演じ、準々決勝・堀越戦(◯1-0)でも決勝点、準決勝・東福岡戦(◯3-1)で2アシストと、コンスタントな活躍が目立った。
今回の企画は大会期間中に『ゲキサカアプリ』を使って実施。最も多くのクラップ(拍手=投票)を集めた選手を表彰するもので、大会を通じて多くの票を集めたオノノジュにはゲキサカオリジナルトロフィーが授与された。
ゲキサカでは2月末、高校卒業式を間近に控えていたオノノジュにインタビューを実施。MVPの感想や選手権でのプレー、前橋育英での日々、名門・慶應義塾大進学における知られざる苦労、そしてこれからのキャリアへの展望を聞いた。
——冬のMVPに選出されました。トロフィーをお渡ししましたが、感想はいかがでしょう。
「本当にすごい重みのあるトロフィーだなっていうのを感じました」
——読者投票で選ばれたMVPです。
「そんな『俺、選ばれる人かな』というのは正直あるんですけど、正直本当に嬉しいです(笑)」
——選手権では実際に結果を残してきたと思いますが、『俺でしょ』みたいな気持ちはないんですね。
「いや、本当になかったですね。そんなに自信持てるほど、大会の最初から最後まで全部すごい活躍ができたってわけでもなかったですし、自分のところでも課題が残っていると思います」
——ちなみにオノノジュ選手が選ぶなら誰でしょうか。
「黒沢佑晟ですね。一緒にサッカーをしていて毎日すごいうまいなって思いますし、選手権でも本当にチームに必要不可欠な存在だなと思っていて、やっぱりこういう人がプロになるんだろうなっていう感覚がありますね」
——ちなみに前橋育英からの選出は2022年夏の徳永涼選手(筑波大)以来です。
「涼さんと同じってことですか。やばいっすね(笑)。1年の時に入って、2個上に涼さんがいて、もうすごい雲の上の存在みたいな感じだったので、何か自分でいいのかなっていうのがあります(笑)」
——選手権はあらためてどんな大会でしたか。
「もう高校生活最後の大会でしたし、悔いの残らない大会にしようというのは、最初から決めていたことで、入学した時も選手権で優勝するという気持ちで入ってきましたが、最後に優勝できてすごく良かったです。でも選手権の1試合1試合を振り返ると、最後のほうではゴールも決められてないし、もっともっと頑張らなきゃいけないっていうのも同時に感じました」
——振り返るといろんなことがあった大会でしたよね。
「最初は1回戦の米子北戦で点を決めて、このままもっと点取るぞとところで怪我をしてしまって、2回戦(愛工大名電戦)は怪我で出られなくて、PK戦まで行って『もしかしたら引退しちゃうかもしれない』というところでギリギリ勝って。そこから3回戦、4回戦と勝ち進んで、国立にも行くことができて、準決勝からは点を決めることができなかったんですけど、どの高校よりも最後までチームでできたのはすごく嬉しかったですね」
——特に印象に残ってる試合は。
「(3回戦の)帝京大可児戦ですかね、やっぱり。自分が2点取って、2点追いつかれちゃって、前半の途中からは相手が10人になって、10人だけどすごく苦戦したというところで、11人だったらどうなっていたんだろうとか、最後に(中村)太一が(決勝点を)決めてくれなかったらどうなってたんだろうとか……。本当に楽しかったというのもありますけど、すごく印象に残っています」
——僕も現地で取材していましたが、加藤隆成選手とのエース対決としても見応えがありました。
「やる前からFWの加藤隆成は知っていて、センターバックの人たちには『本当に気をつけろよ』って言ってて(笑)。自分も点を決めることができたけど、加藤も決めてきて、やっぱりすげえなって思いました」
——ちなみに1回戦で怪我をした時はどんな気持ちでしたか。
「最初は本当にもう痛くて、次の日が一番痛くて、『最後の大会なのに気持ちよくプレーできないのか……』って考えていました。痛み止めを飲んだりすれば、試合に出られるは出られるけど、『悔いが残っちゃうのかな』みたいなそういう気持ちはありました」
——その中でもしっかり復活して、ゴールを決めて勝ち上がりました。
「ゴールっていうのが一番FWとして嬉しいことですし、そういうのが怪我をしていても自信につながっていったといいますか、逆にゴールを決めていなかったらどんどん気持ちも落ちちゃって、どんどんプレーがダメになっちゃっていたのかなというのもありますね」
——序盤のワンチャンスをしっかり決め切るところがこの大会でチームを助けていた印象があります。
「自分は決定力がないという感じで、中学の時は(チームメートの)佐藤龍之介(現・FC東京→岡山)に結構言われていたんですけど、高3に入ってからは結構シュートが決まるようになってきて、それで自信にもつながりました。実力だけじゃなくて、たぶん運というか、 なんかボールが来るんですよね(笑)。持ってるというか、そういうのも味方につけられたというのを選手権でも見せられたのかなと思います」
——難しい体勢のダイレクトシュートでもミートが上手いのが印象的でした。
「今までの失敗とか、思い切り振りすぎちゃったとか、そういう経験が頭の中によぎったおかげで冷静にならなきゃいけないところで決められたんだと思います」
——左右の足で強いダイレクトシュートを打てる選手はストライカーでもそう多くないと思うんですが、どう積み重ねてきたんでしょう。
「やっぱり両足蹴れたほうがシュートを打てる回数も増えるし、幅も広がるし、相手からしたら絶対に嫌だなというところで、練習中から両足で積極的にシュートを狙うというのを意識していました。左足でも怖がらず積極的に打つというところを意識していたんで、それが実った感じですね」
——ちなみに先ほど名前が出た佐藤龍之介選手ですが、彼のいまの活躍をどう見ていますか。
「龍之介に関しては高2でプロに行っちゃって、本当に『毎日一緒に帰ってたのかな』ってくらい、もう同じ世代じゃないっていう感覚ですね(笑)」
——先日はAFC U20アジア杯でも活躍していました。
「FC東京であまり試合に出られていなくても、そういうところでしっかりと結果を残していて、すごく良い選手なんだなというのを見ている人、サッカーをしてる人に伝えられているのが本当に尊敬できるし、結果を残すというところで、それも高いレベルでそれをできるというのを本当に尊敬しています」
——ただ高校サッカー選手権の注目度は彼らが戦っている舞台以上のものがあります。彼らもうらやましく思っているんじゃないでしょうか。
「Jクラブと高体連はそれぞれに良さがあるし、自分はユースに上がることできなくて、高校サッカーという道に進んで、それでもお互い頑張ってきました。選手権の時は龍之介から電話がかかってきたりして、『お前、羨ましいよ』みたいな(笑)。『点取って』とかも言われていたんで、頑張ろうと思える感じでしたね」
——そうして選んだ高校サッカーの舞台ですが、前橋育英での3年間はいかがでしたか。
「最初はわからないことだらけで、サッカーも今まで(一緒に)やったことない人とやるということになって結構苦労しました。Bチームでのプレーだったり、1年生の途中で怪我もあったりしましたが、2年生で何とかプレミアのメンバーに入り込むことができて、少しずつ試合に出してもらって、少しずつ成長できたかなというのがあります。サッカー以外でも寮生活のところで人として成長したなという部分があります。高校3年生では当たり前のことを当たり前にできるようになって、日常の洗い物、洗濯物だったりというところをしっかりと積み上げてきたからこそ、“オノノジュ慶吏という存在”を確立していけたのかなと思っています」
——「ここを乗り越えたから今がある」というターニングポイントを挙げるとしたらいつですか。
「結構あるんですけど、一つは1年生の時に怪我(左足の骨折)で約半年間サッカーをできていなかったんですが、周りの支えがあって何とかサッカー続けられたっていうところですね。3年生になってからはインターハイで負けてしまって『史上最弱の世代なんじゃないか』みたいに言われることもあって、そこを乗り越えて『選手権では絶対に優勝してやる』という気持ちが芽生えたところ」
——怪我はどうやって乗り越えたんですか。
「寮生で一緒に生活している人がいっぱいいますし、自分がリハビリしていて練習に参加しなくても、練習が終わったら自分に話しかけてきてくれたり、声かけてくれたりということでチームの一員という自覚が持てましたし、『早く復帰して一緒にサッカーやりたい』って思えました。そういう周りの環境が乗り越えられた要因だと思います。特にハル(主将の石井陽)とかは自分の怪我を気にかけてくれたりしてて、ハルの言葉が支えになっていたと思います」
——石井選手はもうその時からキャプテンシーがあったんですね。
「もうチームの中心的な存在だったんで、そういう人に励ましてもらえると嬉しいですし、あと親とかお母さんは特に結構気にかけてくれていたんで、お母さんのためにもっていうところもありました」
——家族の支えも大きかったと思いますが、どのような思いがありますか。
「自分は5人兄弟で家族が多い中で、寮生活という形で親元を離れて生活させてもらって、前橋育英は私立ですしお金もかかるんですけど、そういうところでサッカーさせてくれているというところを忘れずにやってきましたが、もう本当に感謝しかないですね」
——そうした支えてくれた人の思いも背負い、慶應義塾大学でサッカーを続けることと思います。FC東京U-15むさし、前橋育英のチームメートとの対戦もありそうですが、どんな気持ちですか。
「慶應は1部に上がりましたし、一つランクアップしてレベルの高い大学と戦うという中で、自分の元チームメイトだったり、知人もたくさんいる中で、1年生から出られるというわけでもないので本当に頑張らないといけないと思いますし、戦ったときは絶対に負けないっていう気持ちを持っています」
——どのような意気込みで臨みたいですか。
「やっぱり4年間ありますし、高校とは別の良さというか、生活スタイルも変わりますし、その中でやっぱどれだけ成長できるかというところですね」
——慶應義塾大への進学については、強豪校の多くの選手がサッカー推薦を使う中、「FIT入試」という学業も含めた制度で合格を勝ち取ったと聞きました。どのようなことを意識して3年間を過ごしてきましたか。
「1年生のときはまだ行きたい大学が決まっていなかったんですけど、『“評定”(定期テストの結果などでつけられる内申点)は絶対に取っておいたほうがいい』というのを徳永さんたちの代の先輩から言われていて、だからテストは結構頑張っていました。2年生の終わり頃に慶應に進学したいと思い始めてから、高卒プロとかそういうのを考えずに、進学だけを考えて生活していました」
——定期テストの期間はどう過ごしていたんでしょう。
「テスト2週間前くらいから徐々に勉強を始めて、前日も結構夜遅くまでやったり、自分が納得いくまで勉強するというところは毎回やってましたね」
——ちなみに名前の慶吏にも「慶應」と同じ文字が入っていますよね(笑)。そこに縁を感じますか?
「小学生の時に慶應がすごい大学というのを知ってて『自分の名前にも入ってるぜ』って自慢みたいな話とか、『俺は慶應に入るんだ』みたいなことを言っていました(笑)。実際は無理だろうと思ってたんですが、『目指せるは目指せる』という話を聞いてから目指したいと思って受験を決めました」
——他に目指すきっかけはありましたか。
「(サッカーの面で)自分が目指し始めた時は関東2部(所属)だったんですが、関東2部の中でもサッカーが強くて、1部に上がるかもしれないという中、ここからもっと強くなっていくという部分と、自分がしたいテーマに掲げたこと(学業)を同時にできるのは慶應義塾大学しかないと思いました。あと指定校推薦やサッカー推薦の選択肢もあったんですが、自分はやっぱり挑戦したいと思っていたので、ぴったりの大学だなと思いました」
——サッカーをしている読者の中には受験のことも興味がある人が多いと思うので深掘りしたいのですが、どんな勉強をして、どんな対策をしていたんでしょう。
「最初は(高3の)5月末くらいから志望理由書を書くための塾に通っていたんですが、自分の中で納得がいっていなくて、慶應のサッカー部の先輩が紹介してくれた塾に7月末に入りました。そこからはサッカーに行って、帰ってきてお風呂に入って、友達にお弁当を頼んでもらって、オンラインで(塾の)授業を受けて、弁当を食べてすぐ寝るみたいな、そういう忙しい毎日でした。プレミアの試合とかが重なったりして時間がない中で、精神的にきつい時もあって、泣いちゃうときもあったんですけど、周りの支えもありましたし、それでも乗り越えて見事に合格することができたというのは、本当に人生の経験の中でもすごい経験だと思っていますし、それをもっと周りに発信できたらなとは思っています」
——競争率も高いと思うんですが、特にどのようなことを中心に取り組んだんですか。
「まず自分が掲げたテーマに関する知識というのは絶対に必要になってくるというところで、自分は父親がナイジェリア人なので、ナイジェリアのテーマで取り組みました。専門家にお話を伺ったり、自分で論文とか本を読んだりというところで勉強していました」
——どのようなテーマですか。
「自分のお父さん方のお父さん、ナイジェリアにいるおじいちゃんは、お父さんが幼いときに戦争で死んでしまって、その戦争の原因だったり、その戦争をなくすためというのをテーマにして志望理由書を書きました」
——ご自身のルーツという意味でも社会的な意義もあるテーマですね。
「自分は日本で生まれて日本で育ったんですが、日本だけじゃなくて世界ではいろんなところでいろんなことが起きているというところで、日本以外への興味も湧きました。世界は広いというところで、いろんなことに興味を持って、サッカー以外にもっとやりたいことが見つかるかもしれないというのは心の中のどこかで思っていますし、いろんなことを経験して、吸収してどんどん成長していきたいというのを思っています」
——ちなみに先ほど泣いてしまうこともあったという話をしていましたが、特につらかったのは。
「スポーツ推薦ではないですし、確約がないというところで、すごく不安な時がありました。もし落ちたからといってここに行けるという大学もなかったので、本当に『落ちたらどうしよう』というところと、親に塾に行かせてもらっているのに落ちちゃったらというのを考えて、すごく不安になった時期がありました」
——乗り越えたいま同じような進路を志す人にどのようなことを伝えたいですか。
「不安になったりすることは誰しもあると思うんですけど、自分は本当に周りに支えられたというのが一番だったので、周りに不安なことを相談してみたり、自分が思っていることを言うことが大事なんじゃないかなと思います」
——最後にサッカーの質問ですが、ここからどんな選手になっていきたいですか。高校ではいろんなポジションも経験し、最後は点を取るという原点に戻ってきたようにも思えます。
「高校3年生になってから自分はやっぱりFWしかないと思えましたし、FWで点を決められる選手にもっと成長しないといけないなというのがあります。でも大学で違うポジションになるかもしれないし、どんなポジションだったとしてもチームの勝利に貢献できるような選手になりたいです」
——サッカー選手として目指す理想像はありますか。
「自分はバルサでやっているレバンドフスキ選手が好きで、自分とタイプは違うんですけど、吸収できるものは吸収したいなと思ってYoutubeで試合を見ています」
——どこが参考になりますか。
「やっぱりボックス内のシュートの決定力、嗅覚は本当にすごいと思っていて、そういう部分を吸収して自分も仲間から頼られる選手になりたいです」
——いまの持ち味にレバンドフスキのような駆け引きが加わると、さらにとてつもない選手になりますね。
「(親から)いいものをもらっていると思うので、身体能力を伸ばして、さらにその上でサッカーの技術だったり、シュートの技術を高められたらもっといい選手になるだろうと自分でもわかっているので、あとはそこを突き詰めていくだけですね」
——それでは最後にMVPに選んでくれたゲキサカ読者にメッセージをください。
「自分みたいな波のある選手を選んでいただきありがとうございました。でも選んでもらったからこそ、これからも期待されていると思いますし、もっともっと成長してプロになって、活躍する姿を皆さんにお見せできればなと思っています。ありがとうございます!」
(インタビュー・文 竹内達也)
●第103回全国高校サッカー選手権特集
オノノジュは昨季の高円宮杯プレミアリーグEAST得点王。高校生活の集大成として迎えた選手権では、先制点を決めた1回戦・米子北戦(◯2-0)の接触プレーで腰を痛め、2回戦・愛工大名電戦(◯2-2、PK6-5)の欠場を強いられるも、3回戦・帝京大可児戦(◯3-2)で2ゴールの鮮烈な復活劇を演じ、準々決勝・堀越戦(◯1-0)でも決勝点、準決勝・東福岡戦(◯3-1)で2アシストと、コンスタントな活躍が目立った。
今回の企画は大会期間中に『ゲキサカアプリ』を使って実施。最も多くのクラップ(拍手=投票)を集めた選手を表彰するもので、大会を通じて多くの票を集めたオノノジュにはゲキサカオリジナルトロフィーが授与された。
ゲキサカでは2月末、高校卒業式を間近に控えていたオノノジュにインタビューを実施。MVPの感想や選手権でのプレー、前橋育英での日々、名門・慶應義塾大進学における知られざる苦労、そしてこれからのキャリアへの展望を聞いた。
——冬のMVPに選出されました。トロフィーをお渡ししましたが、感想はいかがでしょう。
「本当にすごい重みのあるトロフィーだなっていうのを感じました」
——読者投票で選ばれたMVPです。
「そんな『俺、選ばれる人かな』というのは正直あるんですけど、正直本当に嬉しいです(笑)」
——選手権では実際に結果を残してきたと思いますが、『俺でしょ』みたいな気持ちはないんですね。
「いや、本当になかったですね。そんなに自信持てるほど、大会の最初から最後まで全部すごい活躍ができたってわけでもなかったですし、自分のところでも課題が残っていると思います」
——ちなみにオノノジュ選手が選ぶなら誰でしょうか。
「黒沢佑晟ですね。一緒にサッカーをしていて毎日すごいうまいなって思いますし、選手権でも本当にチームに必要不可欠な存在だなと思っていて、やっぱりこういう人がプロになるんだろうなっていう感覚がありますね」
——ちなみに前橋育英からの選出は2022年夏の徳永涼選手(筑波大)以来です。
「涼さんと同じってことですか。やばいっすね(笑)。1年の時に入って、2個上に涼さんがいて、もうすごい雲の上の存在みたいな感じだったので、何か自分でいいのかなっていうのがあります(笑)」
——選手権はあらためてどんな大会でしたか。
「もう高校生活最後の大会でしたし、悔いの残らない大会にしようというのは、最初から決めていたことで、入学した時も選手権で優勝するという気持ちで入ってきましたが、最後に優勝できてすごく良かったです。でも選手権の1試合1試合を振り返ると、最後のほうではゴールも決められてないし、もっともっと頑張らなきゃいけないっていうのも同時に感じました」
——振り返るといろんなことがあった大会でしたよね。
「最初は1回戦の米子北戦で点を決めて、このままもっと点取るぞとところで怪我をしてしまって、2回戦(愛工大名電戦)は怪我で出られなくて、PK戦まで行って『もしかしたら引退しちゃうかもしれない』というところでギリギリ勝って。そこから3回戦、4回戦と勝ち進んで、国立にも行くことができて、準決勝からは点を決めることができなかったんですけど、どの高校よりも最後までチームでできたのはすごく嬉しかったですね」
——特に印象に残ってる試合は。
「(3回戦の)帝京大可児戦ですかね、やっぱり。自分が2点取って、2点追いつかれちゃって、前半の途中からは相手が10人になって、10人だけどすごく苦戦したというところで、11人だったらどうなっていたんだろうとか、最後に(中村)太一が(決勝点を)決めてくれなかったらどうなってたんだろうとか……。本当に楽しかったというのもありますけど、すごく印象に残っています」
——僕も現地で取材していましたが、加藤隆成選手とのエース対決としても見応えがありました。
「やる前からFWの加藤隆成は知っていて、センターバックの人たちには『本当に気をつけろよ』って言ってて(笑)。自分も点を決めることができたけど、加藤も決めてきて、やっぱりすげえなって思いました」
——ちなみに1回戦で怪我をした時はどんな気持ちでしたか。
「最初は本当にもう痛くて、次の日が一番痛くて、『最後の大会なのに気持ちよくプレーできないのか……』って考えていました。痛み止めを飲んだりすれば、試合に出られるは出られるけど、『悔いが残っちゃうのかな』みたいなそういう気持ちはありました」
——その中でもしっかり復活して、ゴールを決めて勝ち上がりました。
「ゴールっていうのが一番FWとして嬉しいことですし、そういうのが怪我をしていても自信につながっていったといいますか、逆にゴールを決めていなかったらどんどん気持ちも落ちちゃって、どんどんプレーがダメになっちゃっていたのかなというのもありますね」
——序盤のワンチャンスをしっかり決め切るところがこの大会でチームを助けていた印象があります。
「自分は決定力がないという感じで、中学の時は(チームメートの)佐藤龍之介(現・FC東京→岡山)に結構言われていたんですけど、高3に入ってからは結構シュートが決まるようになってきて、それで自信にもつながりました。実力だけじゃなくて、たぶん運というか、 なんかボールが来るんですよね(笑)。持ってるというか、そういうのも味方につけられたというのを選手権でも見せられたのかなと思います」
——難しい体勢のダイレクトシュートでもミートが上手いのが印象的でした。
「今までの失敗とか、思い切り振りすぎちゃったとか、そういう経験が頭の中によぎったおかげで冷静にならなきゃいけないところで決められたんだと思います」
——左右の足で強いダイレクトシュートを打てる選手はストライカーでもそう多くないと思うんですが、どう積み重ねてきたんでしょう。
「やっぱり両足蹴れたほうがシュートを打てる回数も増えるし、幅も広がるし、相手からしたら絶対に嫌だなというところで、練習中から両足で積極的にシュートを狙うというのを意識していました。左足でも怖がらず積極的に打つというところを意識していたんで、それが実った感じですね」
——ちなみに先ほど名前が出た佐藤龍之介選手ですが、彼のいまの活躍をどう見ていますか。
「龍之介に関しては高2でプロに行っちゃって、本当に『毎日一緒に帰ってたのかな』ってくらい、もう同じ世代じゃないっていう感覚ですね(笑)」
——先日はAFC U20アジア杯でも活躍していました。
「FC東京であまり試合に出られていなくても、そういうところでしっかりと結果を残していて、すごく良い選手なんだなというのを見ている人、サッカーをしてる人に伝えられているのが本当に尊敬できるし、結果を残すというところで、それも高いレベルでそれをできるというのを本当に尊敬しています」
——ただ高校サッカー選手権の注目度は彼らが戦っている舞台以上のものがあります。彼らもうらやましく思っているんじゃないでしょうか。
「Jクラブと高体連はそれぞれに良さがあるし、自分はユースに上がることできなくて、高校サッカーという道に進んで、それでもお互い頑張ってきました。選手権の時は龍之介から電話がかかってきたりして、『お前、羨ましいよ』みたいな(笑)。『点取って』とかも言われていたんで、頑張ろうと思える感じでしたね」
——そうして選んだ高校サッカーの舞台ですが、前橋育英での3年間はいかがでしたか。
「最初はわからないことだらけで、サッカーも今まで(一緒に)やったことない人とやるということになって結構苦労しました。Bチームでのプレーだったり、1年生の途中で怪我もあったりしましたが、2年生で何とかプレミアのメンバーに入り込むことができて、少しずつ試合に出してもらって、少しずつ成長できたかなというのがあります。サッカー以外でも寮生活のところで人として成長したなという部分があります。高校3年生では当たり前のことを当たり前にできるようになって、日常の洗い物、洗濯物だったりというところをしっかりと積み上げてきたからこそ、“オノノジュ慶吏という存在”を確立していけたのかなと思っています」
——「ここを乗り越えたから今がある」というターニングポイントを挙げるとしたらいつですか。
「結構あるんですけど、一つは1年生の時に怪我(左足の骨折)で約半年間サッカーをできていなかったんですが、周りの支えがあって何とかサッカー続けられたっていうところですね。3年生になってからはインターハイで負けてしまって『史上最弱の世代なんじゃないか』みたいに言われることもあって、そこを乗り越えて『選手権では絶対に優勝してやる』という気持ちが芽生えたところ」
——怪我はどうやって乗り越えたんですか。
「寮生で一緒に生活している人がいっぱいいますし、自分がリハビリしていて練習に参加しなくても、練習が終わったら自分に話しかけてきてくれたり、声かけてくれたりということでチームの一員という自覚が持てましたし、『早く復帰して一緒にサッカーやりたい』って思えました。そういう周りの環境が乗り越えられた要因だと思います。特にハル(主将の石井陽)とかは自分の怪我を気にかけてくれたりしてて、ハルの言葉が支えになっていたと思います」
——石井選手はもうその時からキャプテンシーがあったんですね。
「もうチームの中心的な存在だったんで、そういう人に励ましてもらえると嬉しいですし、あと親とかお母さんは特に結構気にかけてくれていたんで、お母さんのためにもっていうところもありました」
——家族の支えも大きかったと思いますが、どのような思いがありますか。
「自分は5人兄弟で家族が多い中で、寮生活という形で親元を離れて生活させてもらって、前橋育英は私立ですしお金もかかるんですけど、そういうところでサッカーさせてくれているというところを忘れずにやってきましたが、もう本当に感謝しかないですね」
——そうした支えてくれた人の思いも背負い、慶應義塾大学でサッカーを続けることと思います。FC東京U-15むさし、前橋育英のチームメートとの対戦もありそうですが、どんな気持ちですか。
「慶應は1部に上がりましたし、一つランクアップしてレベルの高い大学と戦うという中で、自分の元チームメイトだったり、知人もたくさんいる中で、1年生から出られるというわけでもないので本当に頑張らないといけないと思いますし、戦ったときは絶対に負けないっていう気持ちを持っています」
——どのような意気込みで臨みたいですか。
「やっぱり4年間ありますし、高校とは別の良さというか、生活スタイルも変わりますし、その中でやっぱどれだけ成長できるかというところですね」
——慶應義塾大への進学については、強豪校の多くの選手がサッカー推薦を使う中、「FIT入試」という学業も含めた制度で合格を勝ち取ったと聞きました。どのようなことを意識して3年間を過ごしてきましたか。
「1年生のときはまだ行きたい大学が決まっていなかったんですけど、『“評定”(定期テストの結果などでつけられる内申点)は絶対に取っておいたほうがいい』というのを徳永さんたちの代の先輩から言われていて、だからテストは結構頑張っていました。2年生の終わり頃に慶應に進学したいと思い始めてから、高卒プロとかそういうのを考えずに、進学だけを考えて生活していました」
——定期テストの期間はどう過ごしていたんでしょう。
「テスト2週間前くらいから徐々に勉強を始めて、前日も結構夜遅くまでやったり、自分が納得いくまで勉強するというところは毎回やってましたね」
——ちなみに名前の慶吏にも「慶應」と同じ文字が入っていますよね(笑)。そこに縁を感じますか?
「小学生の時に慶應がすごい大学というのを知ってて『自分の名前にも入ってるぜ』って自慢みたいな話とか、『俺は慶應に入るんだ』みたいなことを言っていました(笑)。実際は無理だろうと思ってたんですが、『目指せるは目指せる』という話を聞いてから目指したいと思って受験を決めました」
——他に目指すきっかけはありましたか。
「(サッカーの面で)自分が目指し始めた時は関東2部(所属)だったんですが、関東2部の中でもサッカーが強くて、1部に上がるかもしれないという中、ここからもっと強くなっていくという部分と、自分がしたいテーマに掲げたこと(学業)を同時にできるのは慶應義塾大学しかないと思いました。あと指定校推薦やサッカー推薦の選択肢もあったんですが、自分はやっぱり挑戦したいと思っていたので、ぴったりの大学だなと思いました」
——サッカーをしている読者の中には受験のことも興味がある人が多いと思うので深掘りしたいのですが、どんな勉強をして、どんな対策をしていたんでしょう。
「最初は(高3の)5月末くらいから志望理由書を書くための塾に通っていたんですが、自分の中で納得がいっていなくて、慶應のサッカー部の先輩が紹介してくれた塾に7月末に入りました。そこからはサッカーに行って、帰ってきてお風呂に入って、友達にお弁当を頼んでもらって、オンラインで(塾の)授業を受けて、弁当を食べてすぐ寝るみたいな、そういう忙しい毎日でした。プレミアの試合とかが重なったりして時間がない中で、精神的にきつい時もあって、泣いちゃうときもあったんですけど、周りの支えもありましたし、それでも乗り越えて見事に合格することができたというのは、本当に人生の経験の中でもすごい経験だと思っていますし、それをもっと周りに発信できたらなとは思っています」
——競争率も高いと思うんですが、特にどのようなことを中心に取り組んだんですか。
「まず自分が掲げたテーマに関する知識というのは絶対に必要になってくるというところで、自分は父親がナイジェリア人なので、ナイジェリアのテーマで取り組みました。専門家にお話を伺ったり、自分で論文とか本を読んだりというところで勉強していました」
——どのようなテーマですか。
「自分のお父さん方のお父さん、ナイジェリアにいるおじいちゃんは、お父さんが幼いときに戦争で死んでしまって、その戦争の原因だったり、その戦争をなくすためというのをテーマにして志望理由書を書きました」
——ご自身のルーツという意味でも社会的な意義もあるテーマですね。
「自分は日本で生まれて日本で育ったんですが、日本だけじゃなくて世界ではいろんなところでいろんなことが起きているというところで、日本以外への興味も湧きました。世界は広いというところで、いろんなことに興味を持って、サッカー以外にもっとやりたいことが見つかるかもしれないというのは心の中のどこかで思っていますし、いろんなことを経験して、吸収してどんどん成長していきたいというのを思っています」
——ちなみに先ほど泣いてしまうこともあったという話をしていましたが、特につらかったのは。
「スポーツ推薦ではないですし、確約がないというところで、すごく不安な時がありました。もし落ちたからといってここに行けるという大学もなかったので、本当に『落ちたらどうしよう』というところと、親に塾に行かせてもらっているのに落ちちゃったらというのを考えて、すごく不安になった時期がありました」
——乗り越えたいま同じような進路を志す人にどのようなことを伝えたいですか。
「不安になったりすることは誰しもあると思うんですけど、自分は本当に周りに支えられたというのが一番だったので、周りに不安なことを相談してみたり、自分が思っていることを言うことが大事なんじゃないかなと思います」
——最後にサッカーの質問ですが、ここからどんな選手になっていきたいですか。高校ではいろんなポジションも経験し、最後は点を取るという原点に戻ってきたようにも思えます。
「高校3年生になってから自分はやっぱりFWしかないと思えましたし、FWで点を決められる選手にもっと成長しないといけないなというのがあります。でも大学で違うポジションになるかもしれないし、どんなポジションだったとしてもチームの勝利に貢献できるような選手になりたいです」
——サッカー選手として目指す理想像はありますか。
「自分はバルサでやっているレバンドフスキ選手が好きで、自分とタイプは違うんですけど、吸収できるものは吸収したいなと思ってYoutubeで試合を見ています」
——どこが参考になりますか。
「やっぱりボックス内のシュートの決定力、嗅覚は本当にすごいと思っていて、そういう部分を吸収して自分も仲間から頼られる選手になりたいです」
——いまの持ち味にレバンドフスキのような駆け引きが加わると、さらにとてつもない選手になりますね。
「(親から)いいものをもらっていると思うので、身体能力を伸ばして、さらにその上でサッカーの技術だったり、シュートの技術を高められたらもっといい選手になるだろうと自分でもわかっているので、あとはそこを突き詰めていくだけですね」
——それでは最後にMVPに選んでくれたゲキサカ読者にメッセージをください。
「自分みたいな波のある選手を選んでいただきありがとうございました。でも選んでもらったからこそ、これからも期待されていると思いますし、もっともっと成長してプロになって、活躍する姿を皆さんにお見せできればなと思っています。ありがとうございます!」
(インタビュー・文 竹内達也)
●第103回全国高校サッカー選手権特集


