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“勝てない世代”が乗り越えてきたもの…U-23代表・手倉森監督「信じるしかなかった」

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[1.26 リオデジャネイロ五輪アジア最終予選準決勝 U-23日本 2-1 U-23イラク アブドゥッラー・ビン・ハリーファ・スタジアム]

 まるで、良質なドラマを見ているようだった。グループリーグを3連勝で突破。ターンオーバーを採用して23名中22名の選手をピッチへと送り込み、日替わりでヒーローが生まれる。そして、決勝トーナメントでは今まで敗退を味わってきた“鬼門”の準々決勝を突破し、準決勝では過去2戦2敗と苦しめられた“因縁の相手”イラクを後半アディショナルタイムの一撃で撃破。「誰も書けないようなシナリオ。劇的過ぎるね」と手倉森誠監督が振り返るような展開で、決して下馬評の高くなかったU-23日本代表はリオデジャネイロ五輪行きの切符を手に入れた。

 いつしか、勝てない世代と呼ばれていた――。12年11月のAFC U-19選手権、14年1月のAFC U-22選手権、同年9月のアジア大会では準々決勝の壁を打ち破れず、15年8月以降はJ2京都、J3町田に敗れ、福岡大と引き分けるなど結果がついてこない時期が続いた。その結果、「なかなか勝てないと言われてきた」(遠藤航)、「あまり勝てないと評価されていると思う」(岩波拓也)と周囲からは厳しい目で見られることになった。

 だが、そんな厳しい状況を「悔しさがこのチームを高めてくれる」(手倉森監督)とパワーに変えた。「俺たちがやれるという可能性を示したい」と岩波が語れば、DF山中亮輔が「世界大会に絶対に行ってやるという気持ちが強い」と続く。GK櫛引政敏も「まだ成し遂げていないチームなので、今回はチームとして何かを成し遂げたい」と自分たちの力を『結果』で証明しようとしていた。

 また、「絶対に五輪を決めないといけない」(DF室屋成)と五輪連続出場というプレッシャーがのしかかってもいた。選手たちは「あまり考えないようにしている」と口をそろえていたが、出場権を獲得したイラク戦直後に「勝って初めて涙を流した」とFW鈴木武蔵や室屋が胸の内を明かしたように、想像を絶するようなプレッシャーとも戦い続けた。

 当然、指揮官もプレッシャーと戦っていた。選手たちの前では「常にポジティブ」に振る舞ってきたものの、一人になったときは「負けたときの怖さや、五輪に出れなかったことを考えたりもした」。しかし、「自分を信じるしかなかった。大きな仕事だからこそ皆で乗り越えなければいけないと考えていた」と気持ちを切り替え、チームスタッフ、そして選手たちを信じて“大きな仕事”に立ち向かう。逆境を力に変え、チーム全員で戦い、最大の目標とも言える五輪出場権を獲得したことで、「まず、ホッとしています」と手倉森監督は安堵の表情を見せた。

 リオ五輪出場を決めたが、目の前にすべきことが残っている。多くのプレッシャーから解き放たれたチームは30日に、アジア大会準々決勝で苦杯を舐めさせられた韓国とアジア王者を賭けて対戦する。ベスト8の壁を打ち破るだけでなく、イラクへのリベンジを果たし、過去を乗り越えてきた手倉森ジャパン。次は韓国の壁を乗り越えてアジアの頂点を目指す。

(取材・文 折戸岳彦)

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