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W杯予選激闘通信「戦士たちの思い」

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 6月7日、ドローで終えたアウエイでのオマーン戦後、中村俊輔にこう聞いた。
「(3月の)アウエイでのバーレーン戦で日本は敗れてしまった。自身が合流した今日は、勝てなかったけれど、勝ち点1が手にできた。チームへ貢献できたという思いはあるか?」
 中村は少し、間をおいたのちに、「(僕は)形を作りたいと思っている」と話し、「強いチームと戦っても互角に戦える、勝てるようになりたいから、今だけを見ているわけじゃない」と続けた。
もちろん、勝ち点3を手にできなかったことでの悔いはあっただろうが、それ以上に短期間で進化しているチームへの手ごたえも感じているようだった。
「今日僕がミドルシュートを打った場面も、大久保や松井がおとりになってくれたから。フリーになれた。そういう動き、二人の関係だけじゃなくて、3人目の動きができることが大事だ。前の代表には、そういう動きが少なかったからね」

 06年ドイツワールドカップを終えた中村は、ひとつの確信を手にしていた。
「ヨーロッパでプレーするようになって、日本代表が世界と戦うには、連動や連携が重要だと思っていた。海外の選手相手に1対1で勝つのは難しい。でも、誰か味方がサポートすればそれも可能になる。そのために試合の流れや味方の動きを察知して動く能力が必要だと思う。連動や連携があって、しっかりと走れていたら、ドイツでの結果もまた違うものになっていたのかもしれない」
 そんな中村が新しい代表に合流したのが07年春だった。
「オシムさんが選んだ選手は、サッカーを知っている選手が多いし、察知力も高く、機動力のある選手たちだと思った。ポリバレントな能力も高い。選手が自分の得意なプレーだけをやっていたのでは、日本は世界との差を埋められはしない。全員で守備も攻撃もすることが必要だから」
 そして、中村が考える日本が世界で戦うためのサッカーと、オシム氏の思考するサッカーとは類似点が多く、中村自身もそれを認めていた。アジアカップを経て「チームの土台は作られつつある。今後は選手個々の強引なプレーが求められてくる。そのためにも選手間のパイプを太くし、その数を増やして行きたい」と話していた。
 しかし、07年秋、オシム氏が倒れ、監督交代を余儀なくされた。
「岡田新監督がどんなサッカーを目指すのかはわからない。だけど、選手には知った顔も多いし、選手も監督も代わったジーコジャパンからオシムジャパンへ合流するときよりは、スムーズに合流できると思う」
 岡田ジャパン合流までには時間を要した。
 リーグ戦の日程で招集を見送られた3月、アウエイでのバーレーン戦の映像を見た中村は「チームとしてどう戦うかが見えてこない」と不安を抱いたという。

 そして、この5月末、岡田ジャパンへ初招集されると、積極的に選手とコミュニケーションを図った。「海外でプレーしている僕は、代表で練習する時間が少ないから」と、1カ月間の合宿での活動を濃厚な時間とするために尽力している。
 ピッチ上、ピッチ外で丁寧な会話を重ねて、イメージのすり合わせをする。
「もともと、このチームは選手間で話をしやすい空気があるチーム。でも前の代表のときよりも俊輔がチームメイトとよく話しているなぁとは感じる。やはり年上という意識もあるんだと思う」とは遠藤保仁。

 6月24日には30歳になる中村。現代表でも年長者である。
 自分の経験をチームメイトに伝え、「日本代表を強くしたい」という思いが、以前より増して中村から伝わってくる。
 生まれて初めて痛み止めの注射を打ち、「足の感覚がなにも無くても、サッカーできるんだね」と試合後振り返った6月14日のタイ戦。「今日は技術とかそういうことじゃなくて、気迫が重要だった」と開始直後から、豊富な運動量でその“気迫”をチームメイトへ伝えている。
「ワールドカップ予選では、必ず苦しい時期、試合がある。それを乗り越えるのは、チーム力。チームがひとつにならないと乗り越えられない」
 だからこそ、中村はその屋台骨として、自身の経験をチームへ還元しようとしている。
 中村が欧州で重ねてきた経験は、日本にとって貴重な財産。彼自身もそれを自覚している。
 リーダーとして、どうチームを引っ張っていくか? やり方は人ぞれぞれ。中村には中村の方法があるだろう。
 高い技術やサッカーセンスという武器だけでなく、中村俊輔の人間力も試される。それがワールドカップアジア予選なのかもしれない。

※本企画は不定期更新、全10回予定。感想をこちらまでお寄せください。

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