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スポーツライター平野貴也の『千字一景』 by 平野貴也

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「スポーツライター平野貴也の『千字一景』」第18回:恩師の遺影(國學院栃木高)
by 平野貴也

 ベンチに置かれた椅子の上に、遺影とジャージが飾られていた。10月17日に行われた高校選手権の栃木県予選2回戦、1-2で敗れて姿を消した國學院栃木高は、4月に急逝した故・大橋伸司監督の遺影をベンチに持ち込み、選手は右腕に喪章として黒いゴムバンドを巻いて戦った。試合後、遺影を抱えてスタンドにあいさつへ行った主将の薄井慎也は「試合に関しては、後悔はないです。でも、今年の春に亡くなった、監督の大橋先生を全国に連れて行けなかったことが後悔です」と肩を落とした。

 3月30日、遠征に向かう日の朝に急性心筋梗塞で倒れた大橋監督は、意識を取り戻すことなく2日後に帰らぬ人となった。61歳だった。國學院栃木を率いて24年。2度の全国大会出場に導き、チームの土台を築いた指導者だ。自身も教え子の1人であり、急きょコーチから昇格した中田勇樹監督は「先生に良い報告はできませんでしたが、選手は精一杯、先生の背中を見ながらやってくれたので、良かったと思います。大橋先生は、自慢の監督です。自分のチームばかりでなく栃木県のトレセン制度の改革にも尽力してくれました。栃木県の初代技術委員長で人望が厚い人なので、ほかの学校の先生も僕たちと同じような思いを持ってくれています」と恩師への思いを話した。試合後、勝った宇都宮短大附属高の前田貴広監督も「先生の写真を見せてもらったら……。僕もお世話になりましたから……」と涙を流していた。勝利に喜ぶはずの敵将も涙を見せるほどに慕われた人物だった。

 悲しみは薄れない。しかし、時間は進む。新体制で再び頂きを目指す中田監督は「僕たちの時代から、練習時間が多いチームではなく、何事も自分で考えて動けるようにと教えてもらってきた。そこは忘れずに今後も伝えていきたい」と気持ちを新たにした。部活動を引退して受験勉強に励むという薄井は「大橋先生は試合とかサッカー以外のことでも色々なことを言ってくれていた。僕たちのことを考えてやってくれていたんだと、今は思う。大橋先生は、いつも、サッカーを通じて、大人として成長していけるかが大事だと言っていたし、まだ気持ちを切り替えられないけど、勉強を頑張りたいと思う」と顔を上げた。

 悲報に揺れながら進んできたチームの挑戦は、ひとまず終わった。しかし、教え子たちはまたそれぞれの挑戦へ臨む。國學院栃木の大恩師の教えはきっと、彼らの挑戦の中で今後も生き続けていくのだろう。

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