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[W杯予選]"ドーハの悲劇"とは…

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 11月19日、日本代表はカタールとアジア最終予選を戦う。この一戦はアウェーで行われるが、カタールという国名を聞いてこの国の場所や風土を答えられる日本人はそう多くないのではなかろうか。
 そこでゲキサカでは、11月19日に行われるカタールvs日本に向けて、カタールの紹介記事をお送り致します。アジア最終予選を通じて、アジア諸国の認識を深め、サッカーをもっと楽しもう!!

[ドーハの悲劇]
 93年10月15日、アメリカW杯のアジア最終予選がカタールの首都・ドーハのカリファ・インターナショナル・スタジアムで開幕した。最終予選は日本、韓国、北朝鮮、イラン、イラク、サウジアラビアの6ヵ国で争われ、総当たりリーグ戦の上位2ヵ国がW杯出場権を手にする事となった。
 日本は初戦で強敵サウジアラビアと0-0で分けたものの、第2戦のイラン戦はアリ・ダエイ(現イラン監督)らの得点で2点のビハインドを負ったあと中山雅史(ジュビロ磐田)が1点返したが1-2で勝ち星を落としてしまう。勝利を絶対条件とされた第3戦。北朝鮮との試合では、ハンス・オフト監督がそれまでスーパーサブとして起用してきた中山をトップに置いた。長谷川健太(清水エスパルス=当時)、中山、三浦知良(ヴェルディ川崎=当時/現・横浜FC)をスリートップに配したこの采配は当たり、三浦の2得点と中山の得点で3-0と完勝した。同じスリートップで臨んだ第4戦の韓国戦でも三浦の得点で1-0と勝利。日本は4試合を終了して2勝1分1敗の勝点5。1勝3分で同じく勝点5のサウジアラビアを得失点差で上回り、首位で最終戦のイラク戦を迎えることとなった。これに勝てば、初のW杯出場が決まるはずだった。
 10月28日、日本とイラクのゲームはドーハのアルアリ・スタジアムで行われ、同時刻にサウジアラビア対イラン、韓国対北朝鮮の試合が、それぞれ別のスタジアムで行われた。イラクは86年のメキシコW杯に出場した経験があり、当時の中東の中ではパスを繋ぐ正統的なサッカーをする強豪。そのイラク相手に、日本はこの試合も第3戦・4戦と同じスリートップで臨んだ。前半5分、中山のクロスから長谷川がシュートするとゴールポストを直撃。そのこぼれ球を三浦が頭で押し込んで先制し、1-0で前半を終えた。後半10分、イラクは攻勢を強めアーメド・ラディのゴールで同点に追いついたが、同24分にはラモス瑠偉(ヴェルディ川崎=当時)のスルーパスに飛び込んだ中山がゴールを決め加点。興奮と緊張の中、その後も日本は必死に守り、2-1で何とか試合を終えるかに思われた。
 "ドーハの悲劇"と言われる事件が起きたのは、後半ロスタイムだった。イラクは右サイドでCKを得ると、短く繋いでゴール前に浮かせる。そこにオムラム・サムランが高い打点でヘディングシュートを叩きつけた。GK松永成立(横浜マリノス=当時)はセービングを見せたが、ボールはゴール左隅に転がり込んだ。土壇場で追いつかれ2-2。痛すぎるドローだった。日本の勝点は6となったが、同時刻の試合でイランを破ったサウジアラビアが勝点7で1位通過。次いで、3-0で北朝鮮に大勝した韓国が日本と同じく勝点を6としたが、得失点差で日本を2ポイント上回り3大会連続のW杯出場を果たすこととなった。目の前で、あとひと踏ん張りのところで世界の扉を閉ざされた日本の選手たちは、試合終了直後、グラウンドに倒れこみ、放心状態となった。また遥か遠い日本でも、W杯出場を願いテレビに食い入っていたサポーター達の情熱と夢は、"ドーハの悲劇"と共に泡となって消えた(テレビ中継平均視聴率は深夜帯ながらも48.1%)。後に、オフト監督は「ゲームの作り方は教えたが、ゲームの逃げ切り方を教えることができなかった」と述懐したという。

<写真>後半ロスタイムに追いつかれたことでW杯の夢が断たれ、放心状態でピッチに座り込む日本代表イレブン

(文 山口雄人)

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