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遠藤、人生コロコロ

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 現在、日本代表の中軸を担っているのが遠藤保仁。ゲキサカで実施している「W杯に選んでほしい23人」アンケートでは第1回は1位、第2回も4位と上位をキープしている。
 とはいえ、ゴールデンエイジと称された99年ワールドユース準優勝メンバーと若年時からその才能を認められながら、日本代表の主軸となったのはごく最近のことだった。

 98年、子供のころから慣れ親しんだクラブでJリーガーという夢を叶えつつも、わずか1シーズンでクラブは消滅。
「上の人についていくことしかできなかった」

 00年、シドニー五輪のメンバーに選ばれるも「予備登録」のため出番どころかベンチ入りもなし。
「今までで一番大きな落差だった」

 そして当時所属していた京都はJ2降格。
 01年にG大阪入りすると、稲本の海外移籍もありチームの軸へと据えられていく。しかし夢だった02年W杯メンバーは落選。それでも02年ジーコ監督のもとで国際Aマッチデビュー。04年にはアジア杯制覇に貢献。しかし06年W杯はフィールドプレイヤー20人中唯一出番がなかった。
「チームがひとつになりきれなかった」
 オーバーエイジでの選出が確実だった北京五輪も病に倒れ、涙をのんだ。そんな悔しさをバネに、オシム・ジャパン入り。岡田監督のもとでもレギュラーとして活躍。“気づいてみれば”あのゴールデンエイジのなかでもっとも息の長い“生き残り”となった。そして今度こそ主軸として、2010年W杯出場を見据えている。

 「代表の試合は特別なんだ」と語る遠藤保仁のサッカー人生は、まさに「コロコロ人生」。一見スローながら着実かつ確実にゴールへと向かっている。そんな彼自身の分析と代表への想い、そして当時からの貴重写真はFOOTBALL NIPPON VOL.18本誌のロングインタビュー企画でお楽しみください。

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