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【検証】岡田ジャパンはW杯で勝てるのか(下)

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 平山相太の場合、決定力という個人の課題はあったものの、他の選手にはない「武器」を生かすようなトレーニングが一度も行われなかったのも事実だ。これは小笠原満男も同様である。FWもサイドハーフもボランチも、岡田ジャパンでは役割が決まっている。そこから逸脱すれば、代表には生き残れない。自分の特徴を消してでもコンセプトを守らなければならない。

 岡田武史監督は「最低限、チームのやるべきことをやった上で自分の特徴を出してほしい」と繰り返す。口で言うのは簡単だが、実際にピッチ上で表現するのは至難の業だ。そのための練習がない以上、選手にとっては常に公式戦がぶっつけ本番。しかも“新参者”に与えられる時間は短い。

 平山も、「ベストメンバー」で戦った14日の韓国戦で出番はなかった。小笠原と同じように、岡田監督の構想から外れた。チームの「駒」としてプレーするのか、自分の「個」を打ち出すのか。その葛藤の狭間で本来のパフォーマンスを発揮できないまま、“失格”のらく印を押された。

 チームが先にあり、そこに当てはめられていく選手は、岡田監督の描くイメージ通りのプレーができなければ、代表には必要のない選手とみなされる。少なくとも、レギュラーにはなれない。小笠原や平山の姿を見て、本田圭佑や森本貴幸、前田遼一を思い出す人も多かったのではないだろうか。新たな可能性を秘めた「個性」との融合をテストしては、繰り返される失敗。これが選手だけの責任だとは言い切れない。

 岡田監督は韓国戦後、「どうやって前に進むのか?」と報道陣に聞かれ、「海外組が入れば前に進める」と答えた。中村俊輔と長谷部誠の存在が頭にあるのは間違いない。確かに2人が加われば、東アジア選手権よりは良くなるかもしれない。だが、それが本当に「前進」なのか。昨年秋の状態に「回復」するだけではないのか。

 3月3日のバーレーン戦では、前田や矢野貴章が代表に復帰するとの報道もあるが、チームづくりにおける根本の考え方が変わらない限り、結局はまた彼らを生かし切れずに終わるだろう。

 昨年9月のオランダ戦に先発出場したのは川島永嗣、内田篤人、中澤佑二、田中マルクス闘莉王、長友佑都、長谷部誠、遠藤保仁、中村俊輔、中村憲剛、岡崎慎司、玉田圭司の11人だった。当時、負傷していた楢崎正剛が川島に代わる以外、6月のW杯本大会でもまったく同じフィールド選手がピッチに立っているのではないだろうか。そこには健全な競争もなければ、成長もない。「停滞」は相対的に見れば「後退」だ。昨年9月の対戦ではオランダに0-3だった。4ヵ月後、その差が縮まっているとは、とても思えない。

 岡田監督は03、04年とJリーグ2連覇を達成した横浜FM時代を振り返り、こう話したことがある。

 「自分は策ばかり打って、理屈で選手をずっと指導してきた。それは間違ってないし、当たっていたんだけど、そのうち選手は“監督の言う通りにやれば勝てる”という風になった。本当に選手を育てているのだろうかと思って、3年目は“とにかく自由にやれ”と。そうしたら何もできなくて、ボロボロになってしまった」

 2連覇後の05年は9位に低迷。翌06年も成績は浮上せず、同年8月に辞任した。当時とまったく同じ現象が繰り返されている恐怖感を覚える。もちろん、岡田監督の戦術は当時とは異なるし、第一線から離れている間にさまざまなものも吸収していただろう。しかし、選手を「理屈」で指導し、「型」にはめていくというスタンスは変わっていないような気がする。

 もしも、チームのコンセプトを捨て、「個」に依存したサッカーだったら、それはそれで失敗だ。4年前のドイツW杯を戦った日本代表がまさにそんなチームだった。ジーコ元監督と岡田監督は対照的だが、「チーム」と「個性」にどう折り合いを付けるか。そのバランス感覚こそが、代表監督にとって最も大事な素養ではないのだろうか。残念ながら、その資質が岡田監督にはなかった。

 念仏のように繰り返される「W杯ベスト4という大きな目標に向かって…」という言葉には苦笑いを浮かべるしかない。まずはグループリーグで1勝。それすらも今の代表チームには期待できない。4ヵ月後の「敗因」は、岡田監督の力量不足。そして、それを把握できなかった日本サッカー協会の任命責任も追及されなければならない。


(取材・文 西山紘平)

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