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入れ替え戦でブレイク!磐田の19歳MF松浦とは

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[12.13 J1・J2入れ替え戦第2戦 磐田2-1仙台 ヤマハ]

 「あの子は何かそういう星の下に生まれているんだろうね。見に来て良かった」。J1・J2入れ替え戦で計3得点を奪って名門・ジュビロ磐田を救ったMF松浦拓弥(19)の高校時代の恩師・浜名高校サッカー部監督・池谷守之氏(熊本・池谷友良監督の実兄)はヤマハスタジアムで観戦した入れ替え戦第2戦の試合後、やや興奮した口調で愛弟子の活躍を讃えていた。

 高校時代から取材をしている筆者だが、松浦の印象は高校当時とほとんど変わらない。少年のような風貌で常にニコニコと笑顔を絶やさない、戦闘的なファイターという感じはない。それでも「たくましくなった」と思うことは否定できない。J1年目の昨季は日本代表数人を擁する名門・磐田で公式戦出場はゼロだった。高校時代華やかな活躍をした訳でもないアタッカーに対する評価は変わらず、2年目を迎えても周囲の誰もが、そして本人も「厳しい」という不安を抱いていたと思う。
 だが、オフト監督の就任とともに状況は一変。負傷者が続出したこともあり、レギュラーポジションを得た。そして攻撃の軸としてチームを引っ張ると、クラブの運命を変えるといっても過言ではなかった入れ替え戦にも19歳は先発。ただ高校時代からチームの危機でこそ輝きを放っていた松浦には「何か起こすのでは」という期待はあった。

 松浦はJFLの強豪・Honda FCの下部組織出身。高校は地元の強豪、日本代表FW矢野貴章(新潟)らを輩出している公立の浜名高校へ進学した。過去2度の全国高校総体優勝、全国高校選手権準優勝も経験している浜名だが、藤枝東や静岡学園、清水勢などを中心とする近年の静岡サッカーでは県大会を制することもままならなかった。それでもチームは松浦が在籍した3年間に過去数十年で最も大きな輝きを放つ。松浦の2年時には全日本ユース選手権に出場し、3年時には激戦区・静岡を制して全国高校総体にも出場している。

 松浦は高校1年時の新人戦でレギュラーを獲得、当時は3-5-2システムのアウトサイドMF(ボールを持ったら離さない小さなドリブラー)だったが、この後池谷監督の指導のもとでスコアラーとしての才能を開花させた。10番を背負って臨んだ05年のプリンスリーグ(U-18)東海。東海地区はおろか静岡県内でもほぼ無名の存在だった2年生・松浦は開幕戦の静岡学園高戦から4戦連発、さらに名古屋U18から2発、清水ユースからもゴールを決め出場8試合で8得点。得点王を獲得し、公立校をプリンスリーグ3位と全日本ユース選手権へ導いた。そして2年時の高校選手権静岡県大会では決勝へ進出。全国選手権への道は後半終了間際の失点によりかなわなかったが、地元メディアの注目を集めた。

 3年時には静岡県高校選抜の一員としてSBSカップ国際ユースサッカー(06年8月、静岡)に出場。現日本代表MF香川真司(C大阪)やDF槙野智章(広島)らが出場していた1学年上の世代のU-19日本代表から、GKの股間を射抜く鮮やかなドリブルシュートでゴールを奪っている。このゴールが決定打となり磐田入り。清水や磐田のユース勢、そして藤枝東、静岡学園、清水商などに比べて選手層の薄い公立校が全国に行けたのは「大事な場面」でゴールを連発する彼の存在が間違いなく大きかった。

 そして入れ替え戦でもチームの危機を救うゴール。入れ替え戦第2戦翌日に電話越しに話した松浦は高校生の時と同じくゆっくりとした口調で静かに喜びを噛みしめていた。「やっとみんなで残留をつかんだ感じ」。ただ本人にとっては「J2に落ちない」という最低限の目標を果たしただけだ。目標は優勝争いの中で活躍すること。高校時代の全国大会成績は5試合でわずか1勝、日本一を争う経験のないMFはその舞台をつかむことを貪欲に欲している。

<写真>入れ替え戦で突如ブレイクした磐田・松浦。高校時代の写真
(文 吉田太郎)

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