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10番エースを欠いた広島JYの快進撃…ユース昇格は6人、主将DF林詢大「サンフレのエンブレムをつける責任がある」

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[12.27 高円宮杯U-15決勝 広島JY 0-3 神戸U-15 味フィ西]

 頂点にはあと一歩届かなかった。前半から互角の戦いをみせたサンフレッチェ広島ジュニアユースだったが、後半に3失点と崩れた。

 神戸とは夏のクラブユース選手権準々決勝でも対戦。その時も0-4で敗れていた相手だった。

 ただ遠藤真仁監督が「前からアグレッシブに行って、それが何分続くかというサッカーをやり続けた。なにも悔いはないです」と清々しい表情を見せれば、主将DF林詢大(3年)も、「相手の方が上手かったし、賢いし、すべてにおいて自分たちよりスキルが高いと思いました」と素直に完敗を認めていた。

 初の決勝に進出した今年のチームだが、新チーム立ち上げ時は、とても今の姿を想像できなかったという。「去年の3年生と紅白戦をしていてもコテンパンにやられたし、勝てると思った相手にも苦戦して負けちゃったり。ここまで来れるとは思っていませんでした」(林)。

 それでも例年以上の武器があった。「特に今年は仲が良くて、上下関係もなくて、親しみ易い学年と言われてきた。監督もそこは認めてくれていました」。遠藤監督も「立ち上げのころはどうなるのかなと思ったけど、今日決勝の舞台に立てたのは感慨深い」と目を細める。

 夏以降でチームがより団結していた。チームの10番で大黒柱のMF宗田椛生(3年)が腰椎分離症のために離脱。一時は高円宮杯に間に合う話も出ていたが、結局、最後までピッチに戻ることは出来なかった。

 そんなエースは今大会、サポートに回ってチームの快進撃を支えていた。「自分はよく話すんですけど、試合に出たいとよく言っていた。でもその悔しさをみんなの前で見せるんじゃなくて、サポートに徹してくれた。ビデオも撮ってくれて、助かりました」(林)。宗田も立派な全国準優勝メンバーだった。

 全国2位の悔しさは高校年代に持ち上がる。ユース昇格は狭き門で、広島JYからは林の他、DF野崎光汰、DF児玉司、MF小林志紋、FW土井川遥人、そして宗田の6人のみだ。林は「サンフレのエンブレムをつけられる有難味を持たないといけないし、責任もある」と話すと、「監督にもユースの中心選手になれと言われた。自分に厳しく追い求めたい」と表情を引き締めた。

(取材・文 児玉幸洋)

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