『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:帰還(前橋育英高・徳永涼)
東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」
輝く太陽のエンブレムが縫い込まれたウェアに袖を通し、素晴らしい仲間とともに過ごした時間の思い出は、今でもかけがえのないものとして、自分の心の中の大きな位置を占めている。だからこそ、この瞬間が実現することを、何よりも強く待ち望んできたのだ。
「6年間やってきたグラウンドですし、スタッフの人も全員顔を知っていて、自分はここで育ったのでしっかり感謝の気持ちを持って、成長した姿を見せられるようにと挑みました。素直に『凄く楽しみだな』という気持ちと、『絶対に勝ってやろう』という気持ちがありましたね」。
小学校4年生から6年間に渡って通い続けた、大切なグラウンドでの“再会”。上州のタイガー軍団・前橋育英高のキャプテン、MF徳永涼(3年)にとってこの日の一戦は、高校に入学した時から目標として心に決めていた、日立台へと“帰還”する90分間だった。
徳永がサッカーを始めたのは、松戸のトリプレッタサッカークラブ。すぐさまこの競技の虜になったが、父親の影響で見に行った試合で、あるチームのプレーに少年の目は釘付けになる。
「小さい頃から父親に連れられて、全少(全日本少年サッカー大会)を静岡に見に行ったりしていたんですけど、レイソルのU-12の試合を見た時に『ああ、ここでやりたいな』という憧れを抱いたんです。だから、突発的に入りたいと思ったわけじゃなくて、小学校低学年の時から『レイソルに入る』ことを目標にずっとやっている感じでした」
黄色いユニフォームを纏って、楽しそうにサッカーをする“お兄さん”たちの姿がキラキラと輝いて見えた。とりわけ覚えているのは、自らが小学校2年生の時のU-12のチームだ。「ちょうど森海渡選手(柏レイソル)や山下雄大選手(早稲田大)が全少の決勝で負けた代をよく見ていて、凄くサッカーも面白いですし、ちゃんと繋いで、しっかり強くて、そういうスタイルを見て憧れがありましたね」。
当時の徳永にとっては、『レイソルでプレーしたい』ということは、すなわち『レイソルU-12でプレーしたい』という想いと同義。自分のチームでひたすら実力を磨き、その時を待ち続ける。そして、U-12に加入するための最初の関門となる小学校3年生の終わりに開催されたセレクションを受け、見事に合格。自らの力で“憧れ”の実現を引き寄せた。
DF大槻豪(3年)、DF花松隆之祐(3年)、MFモハマドファルザン佐名(3年)、FW山本桜大(3年)など、今シーズンのU-18でも主力を張っているメンバーも、いわゆる“初期メンバー”。9歳から一緒にボールを追い掛けてきた仲だ。彼らはとにかくサッカーをするのも、サッカーを見るのも好きだったという。
「みんなでユースの試合を見に行く雰囲気もありましたね。手塚康平(横浜FC)さんが高3の時に、プレミアを日立台でやっていて、凄く上手いし、『左利きでカッコいいな』って。それはだいぶインパクトがありました」。のちにJリーガーになる“お兄さん”たちも数多く見てきた。これはアカデミー全体の距離が近いレイソルの特徴と言えるだろう。
そのままU-15へと進んでからも、徳永は気の置けない仲間たちと切磋琢磨する日々を送っていく中で、もちろんU-18でプレーする未来を想像していた。中学3年生に進級し、1度目の面接の際には昇格を希望していたものの、少しずつその“レール”の先にある成長の種類について、思考を巡らせ始める。
「レイソルで基礎技術は凄く成長しましたし、これからも十分成長できるとは感じていたんですけど、やっぱりプラス1つ何か自分に求めたいと考えた時に、『環境を変えてみるのもいいのかな』と思ったんですよね」。
6月にあった2度目の面接の際に、徳永はアクションを起こす。「ユースに上がりたいかどうかと、ユースに上がれなかった時の進路を書く形だったんですけど、そこに自分の書きたい欄がなかったので、『自分はこう考えていて、理由はこうで』という手紙を追加して書きました」。自ら考え、行動できる自主性はこの頃から備わっていたようだ。そんな徳永の頭の中には、明確な“進路”のイメージがあった。
「(櫻井)辰徳さんが2年生の時のプリンスリーグの帝京戦を見た時に、メチャメチャ良いサッカーをしていて、昔から選手権への憧れもあったので、そういうところでやりたいなとは少なからず考えていました。ボランチが中心のサッカーだと思いましたし、山田(耕介)監督の本も自分で買って読んで、寮生活になるので自立できますし、人間性の部分や泥臭さも身に付けられるなと。そこが自分はレイソルから出るのであれば一番欲しいところだったので、そこが学べるということを知って、もう“一択”でした」。
前橋育英高校。日本一に輝いたこともある名門で、サッカー選手としても、人間としても一回り大きくなりたいという意志から、自らいばらの道に足を踏み入れる決断を下す。「『ユースに上がってほしい』とは言われたんですけど、最後は自分の意見を尊重してくれたので、特に相談に乗ってくれたコーチの志田(達郎)さんには凄く感謝しています」。周囲の理解を得た徳永は、6年間を過ごした日立台を離れ、さらなる成長を誓って群馬の地へと身を投じた。
入学後の2年間は、とにかく充実していた。「1年生の時は宮本(允輝)コーチに怒られてばかりだったんですけど、自分は今まで指導の中で怒られることもなかったので、そういうところでもいろいろなことを経験できましたし、辰徳さんや(笠柳)翼さんを筆頭に先輩たちが自主練を凄くしていて、練習に強度も質も求めてやっているのを身近で見てきて、吸収できたことで自分も成長できたなと思っています」。
「寮生活もメチャメチャ楽しいです。自分のことは自分でやらなくてはいけないので、親の大切さも学べますし、ずっとみんなと一緒にいる分、ワチャワチャもしますし、テスト勉強でわからないところもすぐに聞けますし、そういうところは楽しいですよね。あとは“自分の見せ方”の話が監督からは凄く多くて、遠征先でのあいさつや態度も監督から教わってきたので、一番変わったのはたぶん人間性の部分だとも感じています」。
2年生から前橋育英伝統のエースナンバーとして知られる14番を託され、ボランチの位置でチームを牽引してきた徳永だが、非常に仲良く接してくれた1つ上の学年の先輩たちには、特別な思い入れがあるという。
「去年の3年生は本当に良い人ばかりで、後輩の自分や(根津)元輝が出ていたことで、試合に出られなかった3年生の人たちも、遠征に行く時に声を掛けてくれましたし、絶対に悔しいとは思うんですけど、そういうところで後輩のことを後押しできる先輩には凄く感謝していますし、ああいう人になれるようにというのはずっと考えています。1個上の先輩が去年の3年生みたいな人たちだったことには、メチャメチャ感謝していますね」。
だからこそ、年末に先輩たちと一緒に勝ち獲ったプレミアリーグプレーオフの昇格は心から嬉しかった。前橋育英としても5度目の挑戦でようやく手繰り寄せたプレミアの舞台。悲願を成し遂げた達成感と、3年生たちへの感謝に包まれた徳永にとって、この昇格はもう1つの意味があった。高校ラストイヤーで、ようやくかつての仲間と公式戦で“再会”するという、入学時から掲げてきた絶対的な目標の実現だ。
しかも、年が明けてプレミアリーグのスケジュールが発表されると、なんと柏レイソルU-18との対戦は開幕戦に決まっていた。3月に話を聞いた際、徳永が嬉しそうに語った言葉が印象深い。「何か持っていますよね。しかも日立台での試合だと、レイソルの選手の保護者の方々も絶対に来ると思いますし、そういう方々とも結構仲が良くて交流もあるので、凄く持っているなと感じました。周りからも『オマエ、凄いな』って。もう、楽しみ過ぎてヤバいです(笑)」。
ところが、待ち焦がれていた日立台での開幕戦は、新型コロナウイルスの影響で延期になってしまう。当初はもちろん残念な気持ちもあったが、すぐにさらなる成長の時間を得たとポジティブな方向へ切り替え、第2節以降のリーグを戦っていきながら、少しずつチームと個人の手応えも掴んでいくと、ようやく“代替日”が決まる。6月8日。平日の水曜日。16時キックオフ。改めてメンタルのバランスを、その日に向けて整えていく。
試合前日の夜。徳永はU-15時代のチームメイトであり、U-18でも今年に入ってプレミアでの出場時間を伸ばしているMF中村拓夢(3年)とLINEで連絡を取り合っていた。「『お手柔らかに』というLINEが拓夢から来て、そこから少し話したので、意識はしていました」。
中村がそのやり取りについて、もう少し詳しく教えてくれる。「『お手柔らかに』と一言だけLINEを入れたら、『こちらこそ』と返ってきましたね。そこからはサッカー以外のやり取りをして、あとは『研究してんの?』みたいなメッセージが来たので、『それはもちろんしてるよ。それ以上は言えないけど』で終わらせました(笑)」。既に“前哨戦”もしっかり行われていたというわけだ。
試合当日。前橋育英の選手たちは2時間だけ授業に出席してから、アウェイの地へと移動することになっていた。「育英はあくまでも勉強との両立なので、朝練もやりましたし、ちょっとキツいところはありましたけど、そこは絶対にやらないといけないところですからね」(徳永)。ピッチを離れれば、もちろん彼らも1人の高校生だ。しっかりと“本分”をこなしてから、2か月越しとなるかつての仲間との“再会”へと臨むことになる。
慣れ親しんだ景色を目にすると、いくつもの思い出が鮮明に甦ってくる。日立台に到着した徳永は、まず真っ先にアカデミースタッフへの挨拶へ向かう。延期が招いたポジティブな要素の1つとして、平日の試合になったことで、U-18以外のスタッフもそれぞれが担当しているカテゴリーの練習があったため、大半の方が集結していたのだ。
「皆さんに挨拶させてもらって、凄く嬉しかったですね。平日だったので多くの方が集まってくれて、『頑張ってるね』と言って下さったので、それも良かったです。帆人は結構いじられてましたね(笑)。徳永と同様にU-12とU-15時代をレイソルで過ごし、今シーズンはプレミアでも存在感を発揮しているMF大久保帆人(3年)と2人で、まずはスタッフの方々との“再会”を果たす。
キックオフ直前。相手のキャプテン、DF西村龍留(3年)とグータッチでコイントス。もちろん中学時代の3年間をともに過ごした、かつてのチームメイトだ。「2か月前にやるよりは、自分たちはいろいろな経験ができていたので、良い形でレイソル戦を迎えられたかなとポジティブに捉えていました」。確かな自信を胸に、試合開始の笛の音を聞く。
前半13分に先制したホームチームは、さらに43分にも追加点を奪う。このチームの2点目を挙げたのが、徳永の盟友・中村だった。「マジで嬉しかったです。涼の前で喜ぼうかなと思ったんですけど、さすがにそれはやめておきました(笑)」。そんな中村も開幕戦のカードが2か月後にスライドしたことで、いろいろな想いを抱えていたようだ。
「去年ずっと自分はBチームにいて、今年の最初の方はAチームのスタメンでやらせてもらっていたので、『前育戦までは絶対にスタメンで出続けよう』と頑張ってきたんですけど、それが2か月遅れたことによって『結果を残さなきゃな』というところもあったので、この2か月間は特に自分の結果にはこだわっていました」。見事に出した結果。柏U-18が2点をリードして、前半が終わる。
「前半は全員が納得していなくて、戦術的にも距離感が悪くてなかなかボールホルダーが迷っている状態だったんですけど、それ以上にメンタル面で甘えや過信している部分が少なからずあったので、そういうところは引き締めないといけないなと思います」。徳永の言葉は、まさにキャプテンのそれ。一転して、後半はアウェイチームが攻勢に打って出る。
「前半に2点取られたからこそ、後半は絶対やってやろうということはチーム全員で話しました」と徳永。24分に1点を返すと、32分には同点ゴールもゲット。前橋育英がスコアを振り出しに引き戻してみせる。
久々にそのプレーをピッチで見た中村は、改めて親友の変わったところと変わっていないところを実感したそうだ。「涼はもっと自分で行くところは行くタイプだったので、中学の時よりも落ち着いてボールを持っていて、凄く周りを生かしているなということを感じましたし、キャプテンなのでアップからずっと声を出したりしているのを見て、もともと中学の時も先頭に立ってチームを引っ張っていく存在ではあったので、そこはあまり変わっていなくて『涼らしいな』とは思いました」。ファイナルスコアは2-2。決着は付かなかった。
「やっぱり『レイソルの育成は素晴らしいな』って。守備1つとっても自分たちのことを本当に分析して、中に入れさせないように守備してきていて、そういうところはやっていて『嫌だな』と感じましたし、『凄く組織としてちゃんとしているな』と思わせられました」。そう試合を振り返る徳永に、改めてこの90分間の“帰還”を終えた想いを尋ねると、少し言葉を探しながら、静かに語り出す。
「レイソルの選手の名前を知っているからこそ、その名前を呼びそうになりました(笑)。それを呼んでも育英の選手はわからないのに、名前で指示しそうになったりもしましたね。そういう不思議な感じはありましたけど、気にしないように意識しました」。
「外に出させてもらったレイソルと、また対戦することができるというゲームで、まずこのシチュエーションを迎えられたことが凄く嬉しいことで、それは去年の3年生にも感謝しないといけないですし、レイソルのみんなにも感謝したいです。この90分を終えられたということは、この試合だけのことを考えるのではなくて、去年の先輩だったり、いろいろな関係者の方がいてこそ実現したことだったので、凄く良かったなと思います」。
日立台の恵まれた環境を後にして、2年半が経った。自らの決断には一片の後悔も感じていない。だからこそ、その決断の正しさをかつての仲間たちに、かつてのコーチたちに証明しようと、この日が来ることをずっと待っていたのだ。だが、いざそのピッチに“帰還”してみると、そんな感情よりも、楽しさの方が、感謝の方が遥かに上回っていた。
中村が、少し照れくさそうに紡いだ言葉も忘れられない。「涼から前橋育英に行くという話を聞いた時に、『自分から厳しい道を選んでいくなんて凄いヤツだな』って。同学年ですけど憧れもあって、寂しいというよりは尊敬の気持ちもありましたし、もし自分と戦うことがあったら、その時はまたバチバチした感じでやれるかなという期待はずっとあったんです。実は高1の時は『涼がチームにいてくれたらな』とも考えたりしていたんですけど、それは涼が決めたことですし、自分もしっかり成長して、張り合えるぐらいにならなきゃなって。涼のことはライバルだと思っているので、こうやって対戦できたらやっぱり楽しいし、嬉しいですね」。
2人の話には、続きがある。日立台への“帰還”から2週間。インターハイ予選決勝で見事に全国切符を勝ち獲った試合後に、徳永がこんなことを教えてくれた。「拓夢が『涼についてインタビューされたよ』って。『なんでオレのことじゃないんだ。1点獲っただろ』って言われましたけど(笑)。『オマエのこと、凄く立てて言ってやったからな』という照れ隠しを拓夢は言ってきましたね」。結局のところ、彼らはとにかく仲が良いという結論に落ち着きそうだ。
リターンマッチの時は迫っている。7月10日。前橋育英高校高崎グラウンド。徳永にとっても、あの輝く太陽のエンブレムを付けたかつてのチームメイトたちと対戦するのは、正真正銘のラストチャンスとなる。
「メンバーの入れ替えで下から上がってきた子たちもいて、凄く良い雰囲気でやれているので、自分たちのホームでレイソルとはしっかりと“白黒”を付けたいなというのが、今考えていることですね。次は絶対に勝ちにいきたいと思います」。前橋育英のキャプテンとして、レイソルで育った選手として、やっぱりアイツらにだけは絶対に負けられない。
9年目の総決算。次こそは、きっと、必ず。ずっと心の中でその時を待ち侘びていた日立台への“帰還”を経験した徳永が、改めて強く、強く携えている勝利を掴み取ることへの、決着を付けることへの欲求は、何があっても揺らぐことはない。
■執筆者紹介:
土屋雅史
「群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。株式会社ジェイ・スポーツ入社後は番組ディレクターや中継プロデューサーを務める。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」
▼関連リンク
SEVENDAYS FOOTBALLDAY by 土屋雅史
輝く太陽のエンブレムが縫い込まれたウェアに袖を通し、素晴らしい仲間とともに過ごした時間の思い出は、今でもかけがえのないものとして、自分の心の中の大きな位置を占めている。だからこそ、この瞬間が実現することを、何よりも強く待ち望んできたのだ。
「6年間やってきたグラウンドですし、スタッフの人も全員顔を知っていて、自分はここで育ったのでしっかり感謝の気持ちを持って、成長した姿を見せられるようにと挑みました。素直に『凄く楽しみだな』という気持ちと、『絶対に勝ってやろう』という気持ちがありましたね」。
小学校4年生から6年間に渡って通い続けた、大切なグラウンドでの“再会”。上州のタイガー軍団・前橋育英高のキャプテン、MF徳永涼(3年)にとってこの日の一戦は、高校に入学した時から目標として心に決めていた、日立台へと“帰還”する90分間だった。
徳永がサッカーを始めたのは、松戸のトリプレッタサッカークラブ。すぐさまこの競技の虜になったが、父親の影響で見に行った試合で、あるチームのプレーに少年の目は釘付けになる。
「小さい頃から父親に連れられて、全少(全日本少年サッカー大会)を静岡に見に行ったりしていたんですけど、レイソルのU-12の試合を見た時に『ああ、ここでやりたいな』という憧れを抱いたんです。だから、突発的に入りたいと思ったわけじゃなくて、小学校低学年の時から『レイソルに入る』ことを目標にずっとやっている感じでした」
黄色いユニフォームを纏って、楽しそうにサッカーをする“お兄さん”たちの姿がキラキラと輝いて見えた。とりわけ覚えているのは、自らが小学校2年生の時のU-12のチームだ。「ちょうど森海渡選手(柏レイソル)や山下雄大選手(早稲田大)が全少の決勝で負けた代をよく見ていて、凄くサッカーも面白いですし、ちゃんと繋いで、しっかり強くて、そういうスタイルを見て憧れがありましたね」。
当時の徳永にとっては、『レイソルでプレーしたい』ということは、すなわち『レイソルU-12でプレーしたい』という想いと同義。自分のチームでひたすら実力を磨き、その時を待ち続ける。そして、U-12に加入するための最初の関門となる小学校3年生の終わりに開催されたセレクションを受け、見事に合格。自らの力で“憧れ”の実現を引き寄せた。
DF大槻豪(3年)、DF花松隆之祐(3年)、MFモハマドファルザン佐名(3年)、FW山本桜大(3年)など、今シーズンのU-18でも主力を張っているメンバーも、いわゆる“初期メンバー”。9歳から一緒にボールを追い掛けてきた仲だ。彼らはとにかくサッカーをするのも、サッカーを見るのも好きだったという。
「みんなでユースの試合を見に行く雰囲気もありましたね。手塚康平(横浜FC)さんが高3の時に、プレミアを日立台でやっていて、凄く上手いし、『左利きでカッコいいな』って。それはだいぶインパクトがありました」。のちにJリーガーになる“お兄さん”たちも数多く見てきた。これはアカデミー全体の距離が近いレイソルの特徴と言えるだろう。
そのままU-15へと進んでからも、徳永は気の置けない仲間たちと切磋琢磨する日々を送っていく中で、もちろんU-18でプレーする未来を想像していた。中学3年生に進級し、1度目の面接の際には昇格を希望していたものの、少しずつその“レール”の先にある成長の種類について、思考を巡らせ始める。
「レイソルで基礎技術は凄く成長しましたし、これからも十分成長できるとは感じていたんですけど、やっぱりプラス1つ何か自分に求めたいと考えた時に、『環境を変えてみるのもいいのかな』と思ったんですよね」。
6月にあった2度目の面接の際に、徳永はアクションを起こす。「ユースに上がりたいかどうかと、ユースに上がれなかった時の進路を書く形だったんですけど、そこに自分の書きたい欄がなかったので、『自分はこう考えていて、理由はこうで』という手紙を追加して書きました」。自ら考え、行動できる自主性はこの頃から備わっていたようだ。そんな徳永の頭の中には、明確な“進路”のイメージがあった。
「(櫻井)辰徳さんが2年生の時のプリンスリーグの帝京戦を見た時に、メチャメチャ良いサッカーをしていて、昔から選手権への憧れもあったので、そういうところでやりたいなとは少なからず考えていました。ボランチが中心のサッカーだと思いましたし、山田(耕介)監督の本も自分で買って読んで、寮生活になるので自立できますし、人間性の部分や泥臭さも身に付けられるなと。そこが自分はレイソルから出るのであれば一番欲しいところだったので、そこが学べるということを知って、もう“一択”でした」。
前橋育英高校。日本一に輝いたこともある名門で、サッカー選手としても、人間としても一回り大きくなりたいという意志から、自らいばらの道に足を踏み入れる決断を下す。「『ユースに上がってほしい』とは言われたんですけど、最後は自分の意見を尊重してくれたので、特に相談に乗ってくれたコーチの志田(達郎)さんには凄く感謝しています」。周囲の理解を得た徳永は、6年間を過ごした日立台を離れ、さらなる成長を誓って群馬の地へと身を投じた。
入学後の2年間は、とにかく充実していた。「1年生の時は宮本(允輝)コーチに怒られてばかりだったんですけど、自分は今まで指導の中で怒られることもなかったので、そういうところでもいろいろなことを経験できましたし、辰徳さんや(笠柳)翼さんを筆頭に先輩たちが自主練を凄くしていて、練習に強度も質も求めてやっているのを身近で見てきて、吸収できたことで自分も成長できたなと思っています」。
「寮生活もメチャメチャ楽しいです。自分のことは自分でやらなくてはいけないので、親の大切さも学べますし、ずっとみんなと一緒にいる分、ワチャワチャもしますし、テスト勉強でわからないところもすぐに聞けますし、そういうところは楽しいですよね。あとは“自分の見せ方”の話が監督からは凄く多くて、遠征先でのあいさつや態度も監督から教わってきたので、一番変わったのはたぶん人間性の部分だとも感じています」。
2年生から前橋育英伝統のエースナンバーとして知られる14番を託され、ボランチの位置でチームを牽引してきた徳永だが、非常に仲良く接してくれた1つ上の学年の先輩たちには、特別な思い入れがあるという。
「去年の3年生は本当に良い人ばかりで、後輩の自分や(根津)元輝が出ていたことで、試合に出られなかった3年生の人たちも、遠征に行く時に声を掛けてくれましたし、絶対に悔しいとは思うんですけど、そういうところで後輩のことを後押しできる先輩には凄く感謝していますし、ああいう人になれるようにというのはずっと考えています。1個上の先輩が去年の3年生みたいな人たちだったことには、メチャメチャ感謝していますね」。
だからこそ、年末に先輩たちと一緒に勝ち獲ったプレミアリーグプレーオフの昇格は心から嬉しかった。前橋育英としても5度目の挑戦でようやく手繰り寄せたプレミアの舞台。悲願を成し遂げた達成感と、3年生たちへの感謝に包まれた徳永にとって、この昇格はもう1つの意味があった。高校ラストイヤーで、ようやくかつての仲間と公式戦で“再会”するという、入学時から掲げてきた絶対的な目標の実現だ。
しかも、年が明けてプレミアリーグのスケジュールが発表されると、なんと柏レイソルU-18との対戦は開幕戦に決まっていた。3月に話を聞いた際、徳永が嬉しそうに語った言葉が印象深い。「何か持っていますよね。しかも日立台での試合だと、レイソルの選手の保護者の方々も絶対に来ると思いますし、そういう方々とも結構仲が良くて交流もあるので、凄く持っているなと感じました。周りからも『オマエ、凄いな』って。もう、楽しみ過ぎてヤバいです(笑)」。
ところが、待ち焦がれていた日立台での開幕戦は、新型コロナウイルスの影響で延期になってしまう。当初はもちろん残念な気持ちもあったが、すぐにさらなる成長の時間を得たとポジティブな方向へ切り替え、第2節以降のリーグを戦っていきながら、少しずつチームと個人の手応えも掴んでいくと、ようやく“代替日”が決まる。6月8日。平日の水曜日。16時キックオフ。改めてメンタルのバランスを、その日に向けて整えていく。
試合前日の夜。徳永はU-15時代のチームメイトであり、U-18でも今年に入ってプレミアでの出場時間を伸ばしているMF中村拓夢(3年)とLINEで連絡を取り合っていた。「『お手柔らかに』というLINEが拓夢から来て、そこから少し話したので、意識はしていました」。
中村がそのやり取りについて、もう少し詳しく教えてくれる。「『お手柔らかに』と一言だけLINEを入れたら、『こちらこそ』と返ってきましたね。そこからはサッカー以外のやり取りをして、あとは『研究してんの?』みたいなメッセージが来たので、『それはもちろんしてるよ。それ以上は言えないけど』で終わらせました(笑)」。既に“前哨戦”もしっかり行われていたというわけだ。
試合当日。前橋育英の選手たちは2時間だけ授業に出席してから、アウェイの地へと移動することになっていた。「育英はあくまでも勉強との両立なので、朝練もやりましたし、ちょっとキツいところはありましたけど、そこは絶対にやらないといけないところですからね」(徳永)。ピッチを離れれば、もちろん彼らも1人の高校生だ。しっかりと“本分”をこなしてから、2か月越しとなるかつての仲間との“再会”へと臨むことになる。
慣れ親しんだ景色を目にすると、いくつもの思い出が鮮明に甦ってくる。日立台に到着した徳永は、まず真っ先にアカデミースタッフへの挨拶へ向かう。延期が招いたポジティブな要素の1つとして、平日の試合になったことで、U-18以外のスタッフもそれぞれが担当しているカテゴリーの練習があったため、大半の方が集結していたのだ。
「皆さんに挨拶させてもらって、凄く嬉しかったですね。平日だったので多くの方が集まってくれて、『頑張ってるね』と言って下さったので、それも良かったです。帆人は結構いじられてましたね(笑)。徳永と同様にU-12とU-15時代をレイソルで過ごし、今シーズンはプレミアでも存在感を発揮しているMF大久保帆人(3年)と2人で、まずはスタッフの方々との“再会”を果たす。
キックオフ直前。相手のキャプテン、DF西村龍留(3年)とグータッチでコイントス。もちろん中学時代の3年間をともに過ごした、かつてのチームメイトだ。「2か月前にやるよりは、自分たちはいろいろな経験ができていたので、良い形でレイソル戦を迎えられたかなとポジティブに捉えていました」。確かな自信を胸に、試合開始の笛の音を聞く。
前半13分に先制したホームチームは、さらに43分にも追加点を奪う。このチームの2点目を挙げたのが、徳永の盟友・中村だった。「マジで嬉しかったです。涼の前で喜ぼうかなと思ったんですけど、さすがにそれはやめておきました(笑)」。そんな中村も開幕戦のカードが2か月後にスライドしたことで、いろいろな想いを抱えていたようだ。
「去年ずっと自分はBチームにいて、今年の最初の方はAチームのスタメンでやらせてもらっていたので、『前育戦までは絶対にスタメンで出続けよう』と頑張ってきたんですけど、それが2か月遅れたことによって『結果を残さなきゃな』というところもあったので、この2か月間は特に自分の結果にはこだわっていました」。見事に出した結果。柏U-18が2点をリードして、前半が終わる。
「前半は全員が納得していなくて、戦術的にも距離感が悪くてなかなかボールホルダーが迷っている状態だったんですけど、それ以上にメンタル面で甘えや過信している部分が少なからずあったので、そういうところは引き締めないといけないなと思います」。徳永の言葉は、まさにキャプテンのそれ。一転して、後半はアウェイチームが攻勢に打って出る。
「前半に2点取られたからこそ、後半は絶対やってやろうということはチーム全員で話しました」と徳永。24分に1点を返すと、32分には同点ゴールもゲット。前橋育英がスコアを振り出しに引き戻してみせる。
久々にそのプレーをピッチで見た中村は、改めて親友の変わったところと変わっていないところを実感したそうだ。「涼はもっと自分で行くところは行くタイプだったので、中学の時よりも落ち着いてボールを持っていて、凄く周りを生かしているなということを感じましたし、キャプテンなのでアップからずっと声を出したりしているのを見て、もともと中学の時も先頭に立ってチームを引っ張っていく存在ではあったので、そこはあまり変わっていなくて『涼らしいな』とは思いました」。ファイナルスコアは2-2。決着は付かなかった。
徳永と中村。盟友同士のマッチアップ。お互いに意地をぶつけ合う
「やっぱり『レイソルの育成は素晴らしいな』って。守備1つとっても自分たちのことを本当に分析して、中に入れさせないように守備してきていて、そういうところはやっていて『嫌だな』と感じましたし、『凄く組織としてちゃんとしているな』と思わせられました」。そう試合を振り返る徳永に、改めてこの90分間の“帰還”を終えた想いを尋ねると、少し言葉を探しながら、静かに語り出す。
「レイソルの選手の名前を知っているからこそ、その名前を呼びそうになりました(笑)。それを呼んでも育英の選手はわからないのに、名前で指示しそうになったりもしましたね。そういう不思議な感じはありましたけど、気にしないように意識しました」。
「外に出させてもらったレイソルと、また対戦することができるというゲームで、まずこのシチュエーションを迎えられたことが凄く嬉しいことで、それは去年の3年生にも感謝しないといけないですし、レイソルのみんなにも感謝したいです。この90分を終えられたということは、この試合だけのことを考えるのではなくて、去年の先輩だったり、いろいろな関係者の方がいてこそ実現したことだったので、凄く良かったなと思います」。
日立台の恵まれた環境を後にして、2年半が経った。自らの決断には一片の後悔も感じていない。だからこそ、その決断の正しさをかつての仲間たちに、かつてのコーチたちに証明しようと、この日が来ることをずっと待っていたのだ。だが、いざそのピッチに“帰還”してみると、そんな感情よりも、楽しさの方が、感謝の方が遥かに上回っていた。
中村が、少し照れくさそうに紡いだ言葉も忘れられない。「涼から前橋育英に行くという話を聞いた時に、『自分から厳しい道を選んでいくなんて凄いヤツだな』って。同学年ですけど憧れもあって、寂しいというよりは尊敬の気持ちもありましたし、もし自分と戦うことがあったら、その時はまたバチバチした感じでやれるかなという期待はずっとあったんです。実は高1の時は『涼がチームにいてくれたらな』とも考えたりしていたんですけど、それは涼が決めたことですし、自分もしっかり成長して、張り合えるぐらいにならなきゃなって。涼のことはライバルだと思っているので、こうやって対戦できたらやっぱり楽しいし、嬉しいですね」。
2人の話には、続きがある。日立台への“帰還”から2週間。インターハイ予選決勝で見事に全国切符を勝ち獲った試合後に、徳永がこんなことを教えてくれた。「拓夢が『涼についてインタビューされたよ』って。『なんでオレのことじゃないんだ。1点獲っただろ』って言われましたけど(笑)。『オマエのこと、凄く立てて言ってやったからな』という照れ隠しを拓夢は言ってきましたね」。結局のところ、彼らはとにかく仲が良いという結論に落ち着きそうだ。
リターンマッチの時は迫っている。7月10日。前橋育英高校高崎グラウンド。徳永にとっても、あの輝く太陽のエンブレムを付けたかつてのチームメイトたちと対戦するのは、正真正銘のラストチャンスとなる。
「メンバーの入れ替えで下から上がってきた子たちもいて、凄く良い雰囲気でやれているので、自分たちのホームでレイソルとはしっかりと“白黒”を付けたいなというのが、今考えていることですね。次は絶対に勝ちにいきたいと思います」。前橋育英のキャプテンとして、レイソルで育った選手として、やっぱりアイツらにだけは絶対に負けられない。
9年目の総決算。次こそは、きっと、必ず。ずっと心の中でその時を待ち侘びていた日立台への“帰還”を経験した徳永が、改めて強く、強く携えている勝利を掴み取ることへの、決着を付けることへの欲求は、何があっても揺らぐことはない。
■執筆者紹介:
土屋雅史
「群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。株式会社ジェイ・スポーツ入社後は番組ディレクターや中継プロデューサーを務める。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」
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