【令和を迎えて】デフフットサル女子日本代表・鳥海玲奈「後ろ向きだったフットサルに目覚めた理由」
令和時代がはじまり、新時代をリードする期待の若手選手を7人紹介する連載の第6回目は、11月にスイスで行われるデフフットサルワールドカップ(W杯)でチームの得点源として期待される21歳の女子日本代表・鳥海玲奈だ。
2月にタイで行われたW杯予選で4試合すべてに先発した鳥海は、通算10ゴール。2戦目のネパール戦では一人で7得点をあげ、ゴールセンスを示した。現在、愛知県内でW杯に備えた合宿に参加している。
「(2月は)初めての国際大会に出たんですが、日本は一番になって当たり前、という感じでした。勝った、という言葉は世界一になってからですね」
鳥海は、小学校4年生から兄と姉2人を追うようにサッカーをはじめた。1番目の姉である麻衣さんは元サッカー選手で、2番目の由佳さんも、昨年まで強豪の日テレ・ベレーザでプレーし、ユース年代で日本代表にも選ばれた。今もFC十文字VENTUSでプレーする現役選手だ。サッカー一家に生まれた玲奈の得点感覚は、現在の日本代表選手の中でもずば抜けている。2年前、そのセンスを見抜いた女子日本代表の山本典城監督が合宿に初めて招集。貴重な戦力になると踏んでいた山本監督の思いと裏腹に、鳥海の気持ちは後ろ向きだった。
「サッカーと動き方が違うので全然わからなかった。やめたくなりました。当時、監督にも『できません』とお話したと思います」
戸惑う鳥海に手を差し伸べてくれたのは、ライバルとなるはずの他の日本代表選手たちだった。
「『時間はかかるけど、経験を積んでいけば身につくから』と言われて、『できなくてもやってみよう』と思うきっかけになりました」
その直後に参加した2017年4月の中国遠征でロシア代表と対戦し、0-3で敗れた。その遠征中に対戦したタイや中国には快勝。唯一の黒星だった。鳥海に秘めた負けん気が、フットサルへの思いを180度変えた。
「ロシアは欧州の中でも強いんですけど、勝てなくて……。いい場面で(ゴールを)外してしまったりしたことが多くて、そこでもう1回、リベンジしたいと思いました。この遠征で(山本)監督も動き方をいろいろアドバイスしてくれました」
健常者の姉2人と違い、生まれた直後から難聴だった鳥海は、人知れず苦悩も味わってきた。小学校では続いたサッカーも、中学生になると人間関係がうまくいかず、一度サッカーをやめた。それでもボールを蹴りたい思いは変わらず、文京学院女子高校に進学し、仲間に恵まれた。
「同じ学年に10人以上いたんですが、その中に手話に興味を持ってくれる子がいました。その子から『指文字(※)を教えてほしい』と言われたので、教えてあげたりとか。そういう友達がいてくれて、少し安心できました」
高校3年時には、雨の中、練習中に左ひざを強打して割けてしまう大けがを負い、15針も縫ったため、公式戦には数多く出ることはできなかった。卒業後も一般企業に就職したため、この3年ほどは所属チームがない。それでも日本代表で常に先発できるのは、鳥海の中に計り知れない才能が眠っているから。粘り強く話をして鳥海を導いた山本監督もこう明かす。
「2月のアジア大会中も、鳥海は実はけがをしていたんですが、彼女の気持ちの部分を買って使い続けました。鳥海はデフの領域にとどまらず、健常者の世界でもある程度のところでやれると思う。だからこそ、コンスタントにそのセンスと技術を磨ける環境に身を置いてほしいです」
鳥海はW杯にむけた抱負をこう明かす。
「自分は得点にこだわらず、チームが勝つことを一番に考えています。今の仲間が好きだから、仲間と一緒にあがっていきたい。それには自分自身がもっとフットサルの動きを覚えて、ということが一番かな。練習環境のいいチームが見つかったのですが、関東地方を回って遠征する試合の交通費などを自分で負担しなければいけない面があって、考えているところです」
そんな悩みを抱えるのも、フットサル、そして世界一をとることに、本気になったから。鳥海のつぶらな瞳の奥には、ワールドカップで仲間の肩を抱いて喜んでいる姿が、きっとみえているはずだ。
(※)手の形を初期言語の文字に対応させた視覚言語の一要素。手話は音声言語や書記言語より語彙数が格段に少ないため、手話単語にない単語を指文字を使って表現する
(取材・文 林健太郎)
●デフ/障がい者サッカー特集ページ
●日本障がい者サッカー連盟(JIFF)のページはこちら
2月にタイで行われたW杯予選で4試合すべてに先発した鳥海は、通算10ゴール。2戦目のネパール戦では一人で7得点をあげ、ゴールセンスを示した。現在、愛知県内でW杯に備えた合宿に参加している。
「(2月は)初めての国際大会に出たんですが、日本は一番になって当たり前、という感じでした。勝った、という言葉は世界一になってからですね」
鳥海は、小学校4年生から兄と姉2人を追うようにサッカーをはじめた。1番目の姉である麻衣さんは元サッカー選手で、2番目の由佳さんも、昨年まで強豪の日テレ・ベレーザでプレーし、ユース年代で日本代表にも選ばれた。今もFC十文字VENTUSでプレーする現役選手だ。サッカー一家に生まれた玲奈の得点感覚は、現在の日本代表選手の中でもずば抜けている。2年前、そのセンスを見抜いた女子日本代表の山本典城監督が合宿に初めて招集。貴重な戦力になると踏んでいた山本監督の思いと裏腹に、鳥海の気持ちは後ろ向きだった。
「サッカーと動き方が違うので全然わからなかった。やめたくなりました。当時、監督にも『できません』とお話したと思います」
戸惑う鳥海に手を差し伸べてくれたのは、ライバルとなるはずの他の日本代表選手たちだった。
「『時間はかかるけど、経験を積んでいけば身につくから』と言われて、『できなくてもやってみよう』と思うきっかけになりました」
その直後に参加した2017年4月の中国遠征でロシア代表と対戦し、0-3で敗れた。その遠征中に対戦したタイや中国には快勝。唯一の黒星だった。鳥海に秘めた負けん気が、フットサルへの思いを180度変えた。
「ロシアは欧州の中でも強いんですけど、勝てなくて……。いい場面で(ゴールを)外してしまったりしたことが多くて、そこでもう1回、リベンジしたいと思いました。この遠征で(山本)監督も動き方をいろいろアドバイスしてくれました」
健常者の姉2人と違い、生まれた直後から難聴だった鳥海は、人知れず苦悩も味わってきた。小学校では続いたサッカーも、中学生になると人間関係がうまくいかず、一度サッカーをやめた。それでもボールを蹴りたい思いは変わらず、文京学院女子高校に進学し、仲間に恵まれた。
「同じ学年に10人以上いたんですが、その中に手話に興味を持ってくれる子がいました。その子から『指文字(※)を教えてほしい』と言われたので、教えてあげたりとか。そういう友達がいてくれて、少し安心できました」
高校3年時には、雨の中、練習中に左ひざを強打して割けてしまう大けがを負い、15針も縫ったため、公式戦には数多く出ることはできなかった。卒業後も一般企業に就職したため、この3年ほどは所属チームがない。それでも日本代表で常に先発できるのは、鳥海の中に計り知れない才能が眠っているから。粘り強く話をして鳥海を導いた山本監督もこう明かす。
「2月のアジア大会中も、鳥海は実はけがをしていたんですが、彼女の気持ちの部分を買って使い続けました。鳥海はデフの領域にとどまらず、健常者の世界でもある程度のところでやれると思う。だからこそ、コンスタントにそのセンスと技術を磨ける環境に身を置いてほしいです」
鳥海はW杯にむけた抱負をこう明かす。
「自分は得点にこだわらず、チームが勝つことを一番に考えています。今の仲間が好きだから、仲間と一緒にあがっていきたい。それには自分自身がもっとフットサルの動きを覚えて、ということが一番かな。練習環境のいいチームが見つかったのですが、関東地方を回って遠征する試合の交通費などを自分で負担しなければいけない面があって、考えているところです」
そんな悩みを抱えるのも、フットサル、そして世界一をとることに、本気になったから。鳥海のつぶらな瞳の奥には、ワールドカップで仲間の肩を抱いて喜んでいる姿が、きっとみえているはずだ。
(※)手の形を初期言語の文字に対応させた視覚言語の一要素。手話は音声言語や書記言語より語彙数が格段に少ないため、手話単語にない単語を指文字を使って表現する
(取材・文 林健太郎)
●デフ/障がい者サッカー特集ページ
●日本障がい者サッカー連盟(JIFF)のページはこちら