beacon
TOP > NEWS > 記事詳細

「僕はただの高校生だった」…バルサMF安部裕葵、想像を超えた2年半

このエントリーをはてなブックマークに追加

U-22日本代表MF安部裕葵(前方の右から2人目)

 2年半前、現在の自身を想像することなどできなかった――。瀬戸内高に通っていた若者は鹿島を経て、今夏スペインのバルセロナへと新天地を求める。U-22日本代表に初招集されたMF安部裕葵は「行かなければ絶対に後悔する」と、海外へと飛び立った。

「これからどうなるか分からないけど、俺が引退したときにバルサから声がかかっているのに行かなければ絶対に後悔すると思った。でも、瀬戸内高から鹿島加入を選んだのと同じような気持ちだった。日本一のチームで自分は行けるのかという不安もあったけど、よくよく考えたら、僕はただの高校生だったので、鹿島行くチャンスがあれば行くし、バルサ行くチャンスがあれば行きます」

 バルセロナへの移籍が発表されたのは7月12日だったが、チームが今夏行った日本ツアーに帯同するなど、スペインでの生活は9月を迎えた時点で「実質15日くらい」。スペイン3部リーグ所属のバルサBチームがメインの活動の場だが、トップチームの練習に参加することもあり、「世界で一番のクラブがどういうものかを知りたかったし、それは一サッカーファンとして、すごい興味があった」と大きな刺激を受けている。しかし、苦労している面もあり、その一つが言葉だという。

「言葉がまだ分からないので、自分の状態をスタッフに伝えるのは難しい。チームメイトともコミュニケーションは取るけど、限界がある」と意思疎通を図る難しさがある。言葉が通じない中で、自分を知ってもらうには「能力をしっかり出す必要があると思っている」と、ピッチ上で自身を表現する必要性を説いた。

 また、“15日間”で大事だと感じたのは「適応力」と答える。「瀬戸内高から鹿島に加入した際もレベルの違いや驚くこともたくさんあったけど、そこに食らいついていけるかどうかだった。自分に合った選択をうまくできれば成功すると思う」。

 瀬戸内高に通っていた当時の自身を「ただの高校生」と表現し、2年半後にバルセロナにいるのは当然のこと、「鹿島で試合に出ることも想像できていなかった」と振り返る。しかし、鹿島の1年目から出場機会をつかむと、2年目の昨季はJリーグベストヤングプレーヤー賞に輝くだけでなく、クラブ史上初のAFCアジアチャンピオンズリーグ制覇を経験し、今季からは背番号10を託されていた。そして、A代表に初めて選出されて戦ったコパ・アメリカ後にバルセロナへの完全移籍が発表された。

 所属クラブがバルセロナとなった“ただの高校生”だった男は、「もちろん、縁やタイミングもあるけど、2年半、3年弱という時間があれば自分が想像できないようなところにも行けるので楽しみ」とほほ笑む。果たして、2年半という同じ時間が経過したとき、23歳を迎える安部はどこのクラブに所属し、どの立場で、どのようなプレーをしているのだろうか――。再び想像を超えていくためにも、まずは置かれた環境で確かな成長を遂げていきたい。

(取材・文 折戸岳彦)

TOP