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【特集】09年J1ニューフェイスの決意(第17回、千葉・中後雅喜)

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 自分自身の成長のため、日本一のクラブを離れる決断を下した。鹿島からジェフユナイテッド千葉に期限付きで加入したMF中後雅喜(26)。千葉市出身で、市原ジュニアユース(現千葉U-15)、市原ユース(現千葉U-18)と千葉の下部組織で育った。「このチームのプロ選手としてプレーする夢が叶ってうれしく思います」。2日の新体制会見で9年ぶりに黄色のユニホームに袖を通すと、そう素直に喜びを口にした。

 「大学(駒澤大)でも鹿島でも(ユニホームが)赤で、久々に黄色を着て、自分の中でどうなのかな、似合うのかなって」と笑った。中学、高校の6年間、毎日のように着てきた思い出深い黄色のユニホーム。「小さい頃から見ていたし、着ていた。こうやってまた着れてうれしいし、これを着て、またピッチでプレーしたい」と、早くも開幕が待ち遠しい様子だった。

 高校卒業時、市原ユースからトップチームに昇格できず、駒澤大に進学した。「もちろん、そのままプロとしてやりたかった」と一時は夢破れたが、その悔しさを大学サッカーにぶつけ、大学ナンバー1ボランチと呼ばれるまでに成長した。05年に鹿島に入団。晴れてプロ選手となり、順調にキャリアを積み重ねてきた。昨季はMF小笠原満男の負傷離脱後、ボランチのレギュラーに定着し、J1連覇に貢献。だが、「小笠原の代役」という立場に満足することはできなかった。

 小笠原離脱後の9試合にはすべて先発したが、それまでの25試合は15試合の出場で、先発は4試合しかなかった。小笠原が戻ってくれば、またベンチに戻ってしまう。「毎年、全試合フル出場を目標にしてきた」という中後は「サッカー選手として、試合のスタートから90分間出て、ピッチで勝って終わるのが理想なのは当然のこと」とフルタイム出場に強いこだわりを持ってきた。不動のレギュラーとは言えないにしても、王者・鹿島の中で欠かすことのできない主力選手のひとりにまで成長したのは間違いない。にもかかわらず、自ら鹿島を出ようという決断は誰にでもできることではないだろう。しかし、本人は「鹿島だからとか、そういうのは関係ない」と言い切る。

 「鹿島は居心地も良くて、ある程度は試合にも出れていた。でも、ベンチに座ることの方が多かったわけだし、それに慣れちゃいけないと思っていた。このままじゃいけない。何かを変えないといけないと思った。移籍して、環境を変えて、新しいスタートを切ろうと」

 強い決意を持って踏み切った今回の移籍先が「お世話になって、育ててくれたチーム。大学でも、鹿島でも、気になるクラブだったし、タイミングが合えばまたプレーしたいと思っていた」という千葉だったのもひとつの縁だろう。9年ぶりとなった“古巣復帰”。今こそ、自分の持てる力を120%発揮するときだ。

<写真>9年ぶりに千葉の黄色のユニホームに袖を通したMF中後雅喜

(取材・文 西山紘平)

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