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高校日本一・山梨学院碓井主将「ムヨクの挑戦者」

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第7回:「力を引き出してくれた山梨学院」

FC東京U-15むさしでプレーしていた自分が、高校サッカー部に進もうと意識し始めたのは中学3年生になってからでした。千葉や神奈川の名門校のテストも受けましたけど、技術テストをパスした高校もあれば、体調が悪くてテストで不合格になった学校もありました。その中で最終的に山梨学院への進学を決めた理由は、寮生活も含めてサッカーに打ち込むことのできる環境にあるということ。また、サッカーのスタイルもめっちゃパスをつないで、狭いスペースをこじ開けるようなサッカーをしていたので、ここなら自分の技術が活きるかもしれないと思ったからです。

チームメイト全員レベルの高いクラブユースに比べ、高校サッカーの技術は少し劣ると思います。でも今の自分をつくってくれたのはやっぱり山梨学院だったと思います。特に印象的だったのは「走り」。中学時代は自分たちを追い込むような走りはなかったと思いますが、山梨学院では50秒のインターバルを挟みながらグラウンド半周(グラウンドをL字型にランニング)を28秒以内で10セット走るメニューだったり、1000m×10本のメニューを行ったりしていました。

グラウンド半周のインターバル走は本当に厳しくて、チームでクリアできる選手はほんの数人程度。でも自分たちのよいところは設定されたタイムから遅れても全員が手を抜かずに1、2秒後には必ずゴールを走り抜けていたところです。途中でリタイアしたり、大きく遅れたりすることもなかった。単純に走る量だけを見たら自分たちよりも走っているチームがあるかもしれません。でも、走りもパス回しも試合を100%意識しながら、こだわって、誰も手を抜かずにやるという、チームのもっているサッカーに対する真面目な姿勢が、自分の力を一番引き出してくれたと感じています。

F東京のユースがクラセンやJユースカップで日本一になっていたことは自分にとっていい刺激でした。中学時代にチームメイトだった(重松)健太郎が、自分も目標にしていたプロにいったこともうらやましかったですけど、悔しいよりもうれしかった。中学時代に仲のよかった選手たちの活躍を見て、自分も頑張らなきゃと思うことができたこと、結果を出すために何をすればいいのか考えたことも山梨学院で自分を成長させることができた要因だと思います。

※本コラムは不定期更新です。このコラムの感想をこちらまでお寄せください。

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