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「ボールは丸い」~慶大ソッカー部マネージャー戦記 by 呉田幸子

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国交正常化前から続く日韓の交流
by 呉田幸子

昨日、第50回慶應・延世サッカー定期戦が韓国で行われました。トップチームは2泊3日の韓国遠征に出かけました。(私は日本でお留守番していました。)

第50回を迎えた記念大会は、1-2で敗れてしまいました。しかし、韓国で大変な歓迎を受け、素晴らしい時間を過ごしていたそうです。

記念大会にあたって、過去の資料を掘り出し、この定期戦について調べてみました。

この定期戦は、昭和39年に初めて延世大学校が来日し、日吉陸上競技場で対戦したのが始まりです。初めての対戦は、終始防戦一方となりましたが、0-0の引き分けで終えました。

同年、ソッカー部は戦後初の海外遠征として韓国を訪問しました。延世大学校を含む、高麗大学、慶熙大学、漢陽大学と5試合を行いました。まだ国交も回復していない状態。ソッカー部一行もある程度緊張した空気を覚悟して韓国入りしたそうですが、民情も安定しており、一般の人たちの日本をなつかしく思う気持ちが感じられ嬉しく思ったと言います。

ソッカー部一行は、大変な歓待を受け、すばらしい経験をしました。連日試合会場には1万人を超える大観衆が押しかけました。しかし、対戦相手は皆、身体的にも、能力的にも上をいき、その差を身をもって感じました。

遠征最初の三戦を三敗で終え、焦りの雰囲気が見えたとき、監督は、「我々は慶應チームである以前に日本人として注目されている。勝敗はともかく日本人らしい激しい立派な試合をしよう。」と、選手を送り出しました。
見事に4戦目を1-0で終え、最後の延世との一戦も引き分けで終えたそうです。

当時の主将は、遠征を振り返り、「この度の遠征で一番強く感じたことは、慶應というチームはやればどこまでもやれるチームだということです。この“やろう”というムードを作ることが一番難しいことであり、我々上に立つ四年生に課せられたもっとも重要な問題です。」と述べています。この言葉は50年経った今でも変わらない、ソッカー部の精神に繋がるのではないでしょうか。

これ以来50回に渡り、開催地を韓国・日本と交互に変えて開催されてきました。
50回の歴史の中で慶應は5回しか勝利していません。その意味で去年の勝利は歴史的なものでした。
毎年、延世の選手たちからサッカーに対する姿勢など様々なことを学んでいます。私も実際去年のホーム開催の時に滞在の準備や試合運営をし、この日韓の交流の素晴らしさを感じました。言葉が通じない、何を思っているかもわからない、そんなもどかしさの中で時間をかけて定期戦の準備運営をし、最後に韓国の選手が帰っていくとき個人的にお土産をもらってすごく嬉しかったのを覚えています。

今年も韓国で過ごした素晴らしい3日間のことを早く選手に聞きたいなと思います。

さて関東リーグ戦後半戦開幕まであと10日ほど。まずは筑波戦勝利の為に頑張ります!

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