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「ボールは丸い」~慶大ソッカー部マネージャー戦記 by 呉田幸子

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ボールは丸い。転がったボールがたどり着いた場所
by 呉田幸子

 こんにちは。少し遅れてしまいましたが、慶應義塾体育会ソッカー部2013シーズンが終了しました。

 23日の最終節流通経済大学戦、勝てば自力での一部残留を決められるという状況の中、実力のある相手に苦しめられて引き分け。自力での残留を逃してしましました。

 試合は開始早々に主将・松下が先制点をあげましたが、後半に入り流通経済大学の実力のある4年生が途中投入され、逆転。敗北かと思われましたが、増田湧介が同点弾をなんともぎとりました。

 最後の試合で笑って泣いて終わるはずが、試合後のピッチ・スタンドにはなんとも言えないモヤモヤ感が渦巻いていました。心から喜ぶことももちろん、心から泣くこともできませんでした。

 残留争いの行方は翌日の日本体育大学の試合結果に委ねられることになりました。

 静かに、品格を保って観戦することと共通認識を持ったはずですが、気持ちを抑えることができませんでした。

 ピッチでうなだれる中央大と日体大の選手の傍らで、私達はスタンドで狂喜乱舞…(※編集部注。0-0で引き分け。中央大は7位でインカレ出場権獲得ならず、プレーオフへ。11位・日本体育大の2部降格が決定)。泣いている者もいました。西が丘にいらっしゃった皆様には、みすぼらしい姿をお見せし、申し訳ありませんでした。

 こんなエンディングを誰も想像していませんでした。前回のコラムを見返してもそんなことは考えてもみなかったなと思います。

 決して誇れる成績ではありません。関東リーグ戦第10位。夏のカップ戦ファイナリストにも関わらず9大学に敗北したわけです。悔しい気持ちでいっぱいです。「日本一」から変更した「残留」という目標を達成しただけで喜んでいる自分が情けないという思いもあります。

 それでも「奇跡の残留」は後世に語り継がれるでしょうか。

 どん底(最下位)にいたときからの最後の1か月半は、凄まじいものでした。主将、主務といった幹部から、1年生のC、Dチームの部員まで最後は絶対に勝ちたいと思っていました。

 練習の質を上げるのはもちろん、1日中グラウンドにいて草刈・掃除をしたり、トップチームの練習に全部顔を出し、線審をやったり水汲みをしたり、夜中にフラッグを作ったり…。

 極度のストレスを抱えながら、それでも全員がもがき続けました。隣に頑張っている仲間がいたからです。グラウンドに行けば誰かが苦しみながら戦っている。それを見て私も絶対に諦めることはできませんでした。

 私は、その場しのぎの残留では意味がないと思っていました。といってもその場しのぎは不可能です。1部にふさわしいチームでなければ1部に残れない、それに値しないならば2部に落ちたほうがいいとも思いました。

 残留するのではなく、残留すべきチームになることだと思っていました。部員もきっと潜在的にそう自覚していたのではないでしょうか。

 長い歴史で25回の入替戦を経験しているソッカー部。“荒鷲の居場所はいつも1部と2部の狭間だ。”(※荒鷲はエンブレムにいて、ソッカー部の愛称) 負ければ終わりのラスト2試合の東洋大学戦の前にはモチベーションビデオを作ってそんなメッセージを発信しました。

 どの時代でも「一丸」となることが大事と言われてきました。

 私達が、強豪揃いの1部での挑戦権を手にするには、一丸でなければならない。そのことの意味を本当に理解したのは最近でした。一丸になって初めて、強豪たちと渡り合える。私たちはそもそもそんなに強くないのです。一丸を作る為に長い間努力しなければならないのです。

「奇跡の残留」は私達にそのメッセージを残しました。

 4年間全てを振り返ると日が暮れますが、本当に沢山のことがありました。

 悪さをして1か月間掃除ばかりした日々、ミーティングルームで部活を辞めろと言われた日、仲間に怒鳴り合った日、劇的勝利に嬉し泣きした日。その一瞬一瞬が目に見えない力となって後輩達の胸に残れば嬉しいです。

 後輩たちにはこの襷を大切に繋いで、来年以降私たちの果たせなかった夢を叶えて欲しいと思います。

 1年間、慶應義塾体育会ソッカー部の応援、ありがとうございました。

 最後に1つ、主将を務めた松下純土の松本山雅FC来季加入が内定しました。かなり苦しいシーズンでもポジティブな彼らしく引っ張ってくれました。主将として、またサッカー選手として様々な葛藤、苦悩を乗り越え、プロサッカー選手として歩み始めます。おめでとう!今度は、緑のユニフォームを着て活躍してくれることを願っています!

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