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「ジーコ備忘録」mobile

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 日本で私は「青い蚊に刺された」。
 ブラジル人にしか理解できない言い回しになるが、私は「青い蚊」に刺されていた。
 いま私はイスタンブールに居を構えている。1907年に創設されたトルコの名門クラブ、フェネルバフチェに請われ、'06年ワールドカップ・ドイツ大会後もほとんど休むことなく、監督という職を続けている。青い蚊? その説明はあとでいいだろう。

 さて、ワールドカップ・ドイツ大会に話題を移そう。
 喜んで回顧するようなものではない。思い出すだけでも、大きな疲労をともなう。できれば振り返りたくはない。気が重くなる。しかし、そろそろ語り始めなければならない。それが私の務めであると自覚している。
 悲しいことに、寂しいことに、私は監督として初めて臨んだ06年ワールドカップ・ドイツ大会を選手たちとともに敗者として終えた。一つの白星も掌中にできなかった。1分2敗、勝ち点1、2得点7失点、グループリーグ敗退という結果が残った。力及ばず、愛する日本をより高いステージへと導くことはできなかった。

 私はドイツでの日本の惨敗と、'82年ワールドカップ・スペイン大会でのブラジルの早期敗退を重ね合わせて考えている。敗因は同じようなものであると思っている。
 中田英寿、中村俊輔、高原直泰らを擁する日本は史上最強と評価され、国民から大きな期待を寄せられていた。サッカーファンのだれもが、感じていたはずだ。「ここで勝たなければ、いつ勝つ」というムードに包まれた。
 一方、私がソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾと、いわゆる「黄金の中盤」を組んだ'82年スペイン大会のブラジルは、母国の人々だけでなく世界のサッカーファンをとりこにし、当然、世界王座に就くと思われていた。
 ところが史上最強のはずの日本は1分2敗、わずか2得点でドイツを去ることになった。私にとっても、まさかの惨敗だった。
 テレ・サンターナ監督に率いられ、世界最強のはずだった'82年のブラジルは、二次グループリーグでイタリアに2‐3で敗れた。1勝1敗の2位に終わり、ベスト4入りすら逃した。
 私は残念なことに、どちらの悲しい敗戦にもかかわっている。だから何となく分かる。早過ぎる敗退で国民を嘆かせ、失望させ、悲しませた2つのチームは、同じような問題を抱えていた。

 つまり、こういうことなのだろう。どんなにうまい選手がそろっていてもワールドカップは勝ち抜けない。うまい選手がいるだけでは越えられない壁がある。決して欠かしてはいけない大事な要素があるのだ。
 それは、勝利をめざす強い意志、燃えるような闘志、チームに身を捧げる心、高い目的意識、自分のパフォーマンスを少しでもレベルアップしようとする向上心。これらの要素を選手全員が備えていないと、大きな勝利は手にできない。心を合わせ、意思をがっちりとかみ合わせ、戦う哲学を共有している。それが、いいチームというものだろう。
 連覇を果たした'04年アジアカップでの日本は揺るぎない組織力を誇った。
 そのアジアカップで見せた素晴らしいスピリットが、どういうわけか2年後のドイツ・ワールドカップではあまり感じられなかった。4年を費やして強化してきたチームの集大成とすべき大会で、ひとつになることがなかった気がする。肝心なところで、チーム内部に空洞ができてしまっていた印象なのだ。強い意志、闘志、向上心が足りなかったと言わざるをえない。古臭い言い方をすると、ガッツに欠けていた。
 前述したように、'82年のブラジルにも同じような問題が起きていた。全員が同じ目標に向かって邁進していたという感じではなかったのだ。

 '05年6月8日、バンコクでの異例の無観客試合で北朝鮮を2‐0で破り、日本が世界で最も早くドイツ・ワールドカップ予選を勝ち抜いた夜、私は選手たちに諭している。
 お前たちは今日アジア地区予選を勝ち抜き、アジアの代表となった。しかし、ワールドカップは世界一を争う戦いであることを忘れてはいけない。甘く見てはいけない。世界と戦うには、各自がもっともっと技術を高めなくてはならない。お前たちにはまだまだ足りないものがある。監督の私にできるのは、そうアドバイスすることだけだ。実際にやるのはお前たちだ。自分で欲するかどうかが問題になる。ここで誓ってほしい。来年のワールドカップまでに少しでも自分のレベルを上げてみせると。
 
 8月7日に大邱で行われた韓国戦の前のことだったと思う。今度はポジションごとに選手を集めて、およそ10ヵ月後に迫ったワールドカップまでにレベルアップしてほしいポイントを指摘した。技術面、フィジカル面でのいくつかの宿題を出したつもりだった。
 各自に注文を出した。こういう点がまだ足りない。だから所属クラブに帰ってここをじっくり鍛えてほしい。すぐにレベルアップするものではないが、そういう気持ちで日々、練習に取り組んでほしい。そういうことを強く訴えた。
 実をいうと、私は選手たちの頭の中を変えたかったのだ。気持ちを本番モードに切り替えてほしかった。自分たちは世界と戦うのだという意識を強めてほしかった。
 しかし、韓国で発したそのメッセージは実を結ぶことがなかった。私の言葉は選手の心に響かなかったのだろうか。寂しいことに、助言は役に立っていなかった。ワールドカップの戦いを終えてみると、私が指摘したポイントを確実に向上させてきた選手は数人しかいなかったように思えた。何のために私は言葉に力を込めたのだろうかと、むなしくなる。宿題は放置されたとしか思えない。問題意識が低かったのだ。より選手として強固になってワールドカップを迎えてやるという、ぎらぎらしたものが足りなかったように感じる。

 愛する日本で、私の人生は思わぬ方向へと進み始めた。それまで監督という仕事をするつもりはまったくなかったのだから。いつの間にか、想像もしていなかったことに身を投じることになっている。予期しなかった方向に歩み始めている。そういう事態に陥ったとき、ブラジルでは「青い蚊に刺された」と表現する。青い蚊などというものは存在しない。存在しないものに刺されることはない。つまり、ありえないことだという意味になる。
 日本で青い蚊に刺された私はイスタンブールで、フェネルバフチェの2シーズンぶりのリーグ制覇に力を注いでいる。もちろん、いまでも遠く離れた日本のことを回想することがある。日本代表監督としての4年を含む15年の間に、自分では持っているものを出し切ったつもりだった。私に蓄積されているものはすべて日本の選手たちに授けたつもりだった。
 だが、どうやら日本の選手たちにうまく伝えきれず、理解してもらえなかったことがあるようだ。だから、ああいう悲しいワールドカップの結末を迎えることになったのだろう 。
日本の選手たち、日本のサッカー関係者、日本のサッカーファンに対する最後のメッセージのつもりで、私はこの本の執筆に取りかかった。
 できればこのメッセージをしっかり伝えたい。しばらくたってからでも、どこかでだれかが、「ああ、そういえばジーコがこういうことを言っていたなあ」と思い出してくれればいいと思っている。

※本連載は毎週土曜日更新予定。本書『ジーコ備忘録』情報はこちら'

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