beacon

「ジーコ備忘録」mobile

このエントリーをはてなブックマークに追加
いよいよ始まるW杯ドイツ大会。初戦オーストラリア戦前日、ジーコは何を思っていたのか?




 寝苦しい夜だった。決戦前夜の'06年6月11日、私は何度か寝床で目を覚ました。
 06年6月9日、ワールドカップ・ドイツ大会が幕を開けていた。
 '98年フランス大会から3大会連続3度目の出場となる日本の第1戦は6月12日。その後の日本の命運を握るであろうオーストラリアとの決戦前夜、日本代表チームは寝苦しいときを過ごしていた。
 日本がボン入りした当初はぐずついた天気が続き、6月1日には最高気温が13度までしか上がらず、'75年以来の低温を記録したというのに、開幕後は30度に迫るようになった。ピッチ上はもっと暑い。
 欧州の夏がこれほど厳しいものになったのは、温暖化が進んだ近年になってからのことだろう。本来なら、真夏でもしのぎやすく、室内までが蒸すことはないはずだ。だから冷房を完備しているホテルやレストランはそれほど多くない。必要がなかったのだ。
 6月10日夜、日本代表が到着したホンブルク・ザールのホテルにも冷房が備わっていなかった。通常の夏ならそれでも問題はないだろうが、このときは異常な暑気に包まれていた。決戦前の大事なときに、我々は「暑さ」という敵と対峙することになった。
  
 日本の試合は6月12日のオーストラリア戦(カイザースラウテルン)、18日のクロアチア戦(ニュルンベルク)と続けて午後3時キックオフとなっていた。第1戦は当初、夜の予定だったが、昼の試合に変更されたと聞いている。
 ドイツの午後3時(夏時間)は日本時間の午後10時だから、生放送で視聴率を稼ぎたい日本の放送局にとっては都合のいい時間だ。だが、戦う身になって考えてほしい。あの暑さのなかで通常の運動量を望むのは酷だ。せっかくのサッカーの世界最大の祭典だというのに、なぜ選手のことを第一に考えた日程を組んでくれないのか。許せないことである。
  
 '02年7月の監督就任時から目指してきた最高の舞台に、選手とともに上がるときがついに訪れた。我々はこの日のために、力を尽くしてきたと言っても過言ではない。身が引き締まる思いがする」と心境を素直に表現した。

 暑さという懸念材料があったものの、私自身は落ち着いていた。平常心でいられた。やるべきことはすべてやってきたという確信があったし、どのようなことがあっても、この選手たちは跳ね返すことができるという自信を持っていた。特別なことを言わなくても、選手たちはやってくれると信じていた。
 とにかく早く第一戦を迎えたかった。



……そして始まったW杯初戦オーストラリア戦は、周知の通り1-3で日本が敗れた。「アノ時」のジーコの誤算とは? オーストラリア戦の詳細は新刊『ジーコ備忘録』に掲載。

※本連載は『ジーコ備忘録』のダイジェスト版です。詳しい内容は本書をご覧ください。毎週土曜日更新予定'

TOP