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「ジーコ備忘録」mobile

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 2006年6月12日。ジーコジャパンはW杯ドイツ大会 初戦のオーストラリア戦を迎えた。

 試合はオーストアリアに何度か得点機を作られるが、26分に日本が先取点を奪い、幸先の良いスタートを切った。
 だが、54分にCB坪井が両脚のもも裏の故障で退場するという「誤算」から、「悲劇」が始まる。オーストラリアがハイボールを入れてパワープレーで反撃してくると分かっていながら、なすすべなく84分、89分、ロスタイムと、たった8分の間に3失点してしまう。1‐3。日本は大事な初戦を落とした――。

 壊滅的な敗戦を喫してしまった日本。ジーコが語る日本の弱みとは?



 
 ヒディンクは確かにいい監督だと思う。選手の長所を生かして、チームとして機能させるのがうまい。日本のこともよく研究していた。ハイボールに弱いとみて、徹底させた。
 しかし、あの時間帯に高さのある選手を入れるというのは、だれでも考えることだ。  

 私にとってショックだったのは、せっかく1‐0でリードして終盤を迎えていながら、最後まで耐え切れなかったことだ。私は就任時から、90分という時間を頭に置いて、冷静に試合をコントロールする能力をチームに植えつけようとしてきた。
 なぜか日本の選手は残り時間が少なくなると落ち着きを失い、集中力を失い、自滅してしまう。まずは、その点を改善しないと勝負強くはならない。試合の終わらせ方のつたなさこそが、日本の最大の弱みだと思ってきた。
 リードされていても、自分たちの形を崩さず最後までじっくり攻め続ける。リードしているなら、落ち着いて時間を消化し、しっかり勝利に結びつける。日本の選手たちに、そういうことをたたきこもうと努力してきた。
 アジアカップやワールドカップ予選では、その点が大きく改善されていた。しかし、これ以上ないこの大事な一戦で、かつての日本に戻ってしまったのだ。最後まで試合をコントロールすることができなかった。実に悲しいことだった。
 オーストラリア戦ではチャンスが多かったわけではないが、まったくなかったわけではない。同点にされた直後の88分、右から駒野、小野、中村、小野とつなぎ、中央から福西がシュートを放ったが、わずかに右にそれた。絶好の勝ち越し機を逃した。ああいう場面で決められるかどうかで、勝敗は決まるのだ。一本のシュートの重みを理解してもらいたい。
 わずかにシュートがずれる、あるいはラストパスが微妙にずれる。日本の選手はチャンスをつくるまでの動きは素晴らしいのに、大事な最後の仕事を落ち着いてこなせない。
  
 日本のシュートミスとは別に、この終盤、見逃してはほしくない重要なシーンがあった。1‐1の85分、果敢なドリブルでペナルティエリア内に深く進出した駒野がケーヒルに右足を蹴られて倒されたのに、PKをもらえなかった。足裏ですねにタックルしている。後にFIFAのジョゼフ・ブラッター会長が「あれはPK。誤審だった」と認めているプレーだ。
 あそこでPKの判定が下っていれば、ケーヒルに警告が出ていたはず。彼は69分にも駒野を倒して警告をもらっているから、あの時点で退場となっていた。つまり89分のケーヒルのゴールはなかったことになる。しかも日本がPKを決めていたかもしれない。
 そんなことを訴えても判定は覆らないのだから仕方がないと言われるかもしれない。しかし、あの判定については日本サッカー協会がきちんとした形でFIFAに抗議しておくべきだった。何も抗議しないのでは、「判定は正しかった」と認めたことになってしまう。
 不可解な点があったら「これは許さぬ」と強く訴えておかないと、何も変わらない。'03年6月20日、コンフェデレーションズカップのフランス戦(サンテティエンヌ)で稲本がPKを取られた判定について、私がミシェル・プラティニにかみついたのも、04年4月25日のハンガリー戦(ザラエゲルツェグ)の終了間際に茶野隆行のプレーがPKとされたことに猛抗議したのも、そういう意味を込めてのことだ。
 そこまでしないと、いつまでたっても不公平な目にあう。せっかく素晴らしい試合をしているのに、ひとつの判定で台無しにされたくはない。
 この世界では、上位国に有利な判定がくだりがちだ。ブラジルのようなサッカー大国は審判に守られている。私が自分でプレーしてきて実感しているのだから確かである。
 日本に有利な笛を吹いてほしいというわけではない。公平にさばいてほしいだけだ。日本では判定に抗議するなど、大人げない、潔くないと考えられがちだが、おかしな点は主張しておかなくてはならない。そこまで勝負にこだわらないと、世界ではいつまでたっても勝てない。
 午後3時キックオフの試合が2戦続いたことが、テレビ局が関与してのことなのかどうかは知らないが、あれについても認めるべきではなかった。時間を変えるように訴えるべきだった。勝利のためにできることは、すべて力を尽くしておくべきだった。


 
 ジーコはあのオーストラリア戦を振り返り、最後まで試合をコントロールできなかったこと、不可解な判定があったこと、そして午後3時の試合であったことなどを敗因としてあげた。しかし、この「壊滅的な敗戦」の最大の理由は、日本人のコミュニケーション能力の低さにより、意思が統一できていなかったためと語る。
 ジーコが日本で変革しなければならないと考えた問題のなかでもっとも難しいテーマだったという「真の意味でのコミュニケーション」とは?詳細は新刊『ジーコ備忘録』に掲載。


※本連載は『ジーコ備忘録』のダイジェスト版です。詳しい内容は本書をご覧ください。毎週土曜日更新予定'

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