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「ジーコ備忘録」mobile

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 2006年6月18日午後3時、うだるような暑さの中、W杯ドイツ大会 第2戦のクロアチア戦が始まった。
 21分、ジーコがショックを受ける出来事が起きる。宮本恒靖がペナルティエリア内でファールをしてしまい、クロアチアにPKを与えてしまったのだ。だがGK川口能活の好セーブで日本は先制点を許さなかった。
 その後、日本もミドルシュートで応戦するが、得点には結びつかず前半を0-0で折り返す。



 この後半の立ち上がりに両チームが決定的なチャンスを築いている。試合後、両チームが「あそこで決めていれば」と悔やむことになるシーンが立て続けに訪れる。
 51分のことだった。このシーンは私がドイツ・ワールドカップを回顧するとき、必ず頭に浮かび上がってくる。それほどショックを受けた場面だった。
 右サイドでクリアボールを拾った加地は前線の高原に預けた。ペナルティエリアに走りこんでダイレクトのリターンをもらった加地は中央にパスを送った。DFダリオ・シミッチの背後からゴール前に迫った柳沢の前にボールは抜けてくる。GKプレティコサはニアサイドに寄せており、ポジションを修正できていない。柳沢の前にGKはいない。
 それでもゴールはならなかった。先制点は記録されなかった。柳沢はインサイドで合わせるだけで済んだはずなのに、どういうわけかアウトサイドでヒットし、シュートは右に外れていった。ゴール前での落ち着きがまったくなかった。
 実はこのとき私は、宮本が21分にファウルを犯し、クロアチアにPKを与えたときより衝撃を受けていた。柳沢の前にはGKは構えていなかったのだ。ゴール前は無人だった。どうやってあのシュートを外すのか。私はとにかく驚いた。
 しかし、私は柳沢を責めるつもりになれない。彼は3月に右足甲を骨折し、戦線を離脱した。そこから急ピッチでリハビリに努め、ワールドカップを目指してきた。普通なら間に合わなかったかもしれないが、彼は懸命に故障と戦ってきた。その努力を目にしている人なら、柳沢を責めたり、笑ったりはできないはずだ。
 あそこでゴールを決めていたら、柳沢は大変なヒーローになっていただろう。しかし、結果はうまくいかなかった。彼にとっては悲劇としか言いようがない。ドイツ・ワールドカップに限れば、運がなかった。FWは一度のチャンスを決めさえすれば天国を味わえるが、逃してしまうと地獄を見ることになる。
  
 決定機を逃したのは痛恨だった。あれほどのチャンスはそうない。そして、その直後に日本は2度、冷や汗をかく。クロアチアに決定的な先制機をつくられる。
 52分、スルナの右からのロングスローで宮本がつぶれ、ボールはイバン・クラスニッチのもとへ。ボレーシュートを放ったが、フィットせず、日本は助かった。
 54分にはクラスニッチはグラウンダーのクロス。宮本は川口に任せるつもりだったのか、クリアせず見送った。そこにクラニチャルが猛然と詰めてくる。中田英が戻るが振り切られる。クラニチャルが伸ばした脚でゴールを狙ったが、シュートは右にそれていった。
 日本のボールの奪われ方が悪いのが気になった。クロアチアが早く帰陣しているため、攻めをスローダウンさせられる。パスの出しどころがなくなり、足元に細かくつなぐが、このころになるとパスミスが増えた。ボールを安易に失い、クロアチアのカウンターを浴びるようになった。その傾向は時間の経過とともに強くなる。つまらぬミスが増え、FWもMFも確実なボールの保持がままならなくなった。極端に運動量が落ち、動きが鈍り、効果的な攻めはできなくなった。
 ドイツ・ワールドカップでの日本のフィジカル・コンディションの悪さが、敗因のひとつに挙げられているのは知っている。だが、日本は気温が30度にもなる午後3時開始の試合を2試合続けて組まれたのだ。我々は暑さを計算に入れて調整に取り組んだが、あの酷暑に耐える体をつくるのは難しかった。
 0‐0のまま試合終了のホイッスルが鳴った。むなしい響きだった。2戦を消化して、日本が挙げた勝ち点はわずか1。クロアチアも同様だった。互いに徒労感の残る試合だった。暑さがこたえた。暑さが身にしみた。

 大きな得点機を逃し、クロアチア戦はスコアレスドローに終わった。
 しかし、かすかに残ったグループリーグ突破の可能性。優勝候補のブラジルに対して、日本は1年前(2-2で引き分けたコンフェデレーションズカップ)の再現をする必要があった。そのためにジーコが決心したこととは・・・
 詳細は新刊『ジーコ備忘録』に掲載。


※本連載は『ジーコ備忘録』のダイジェスト版です。詳しい内容は本書をご覧ください。毎週土曜日更新予定

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