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「ジーコ備忘録」mobile

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 アジア地区1次予選のオマーン戦に続き、シンガポール戦でも欧州組の合流は遅れ、試合前日の練習でも戦術練習ができなかった。欧州組はチームと連係を確認できないまま、ぶっつけ本番で試合に臨まなければならなかった。
 それでも、クオリティの高い中田英寿や稲本潤一たちなら何とかしてくれる、と考えていたジーコは欧州組を使うことにこだわる。
 だが、その決断には大きな落とし穴があった。


 '04年3月31日、シンガポールのジャラン・バサール・スタジアムはほとんど日本人のサポーターで埋まっていた。
 午後8時の試合開始直後から日本に立て続けにチャンスがあった。簡単にフィニッシュの場面がつくれてしまう。速い展開、大きな展開、サイドからの崩しを織り交ぜて、シンガポールを圧倒した。24分に中田英、25分に加地がシュート。31分には柳沢、高原、中田英が連続シュート。そして34分、高原の豪快なミドルシュートで先制を果たした。
 私にはそこでひとつ気になることがあった。素晴らしいゴールを決めた高原がさほど喜ばなかったのだ。感情をあまり表に出さなかった。こんな相手から1点取ったぐらいで、はしゃいでしまっては恥ずかしいと思ったのかもしれない。
 しかし、あそこはもっと喜ぶべきところだった。素直に喜びを爆発させたほうがよかった。そのほうがプラスに作用したはずだ。そもそも、日本人は感情を抑圧しすぎる。相手への敬意を欠くようなことはしてはいけないが、喜怒哀楽はもっと素直に表に出すべきだろう。勝ったら喜ぶ、負けたら悔しがる。ブラジルの選手は、そのへんがはっきりしている。勝ったら、サンバで大騒ぎ。負けたら、だれも口も利かない。
 高原はもっと素直に喜ぶべきだった。そのほうがチームは活気付いた。喜びの表現がチームの力になることがある。新たな力を生むことがある。

 あそこで喜びを爆発させなかったからというわけではないだろうが、その後、雲行きは怪しくなった。先制したにもかかわらず、日本は流れをつかめなかった。
 39分にインドラに、44分にはリドゥアンに危ないシュートを浴びている。シンガポールは敵地での第1戦はインドに0‐1で敗れており、一次予選グループ3で最も力が劣ると思われた。そんな相手に日本はときおり危険な逆襲速攻を許していた。後半に入ると、つくれるチャンスが減り、63分、ついにインドラに同点ゴールを決められた。
 あのゴールにはショックを受けた。きっちりと追加点を取っておかないから、ああいうことになるのだ。途中出場の藤田が奮戦し、81分に勝ち越し点を奪ってくれなかったら、日本は奈落の底に突き落とされていた。ドイツ・ワールドカップへの出場が危うくなっていただろう。
  
 いま考えると、あの試合は私にとってもチームにとっても大きなターニングポイントになった。2‐1で勝ったから言えることだが、あそこで、もし日本が5‐0、6‐0で大勝してしまっていたら、私は問題を解決せぬまま先に進んでしまったはずだ。
 日本がもたついた原因はやはり欧州組のコンディションの悪さにあった。運動量が少なく、キレを欠き、チームのリズムを崩した。結果的に、欧州組が足を引っ張り、途中出場した国内組がチームを救うという試合が続いた。オマーン戦とシンガポール戦の2試合で決勝点を挙げたのは、ともに途中出場した国内組の久保と藤田だった。
 欧州組の選手たちが悪いわけではない。だが、欧州からの長い移動の疲れを抱え、時差調整ができず、しかも試合直前に合流し、周囲と呼吸を合わせる時間がないような状況では、いくら力があってもそれを発揮できなかった。あれだけの力を備えた選手でも、ハンディが大きすぎて実力を出せなかった。サッカーファンは中田英や中村、高原らがそろえば、簡単に予選に勝てると思っていたかもしれない。しかし、サッカーはそんな甘いものではない。コンディションが優れない選手が多くプレーしていたのでは、スムーズに試合を展開できない。私も甘く考えていた。
 大きく力が劣るシンガポールに辛勝した日本。その経験から、ジーコは選手のコンディションを重視するように考えを改めざるをえなくなり、欧州組の起用にこだわらなくなった。
 また、ジーコは“ある覚悟”をしてシンガポール戦に臨んでいた。それ程ジーコは追い詰められていたのだ。その“ある覚悟”とは?
 詳細は新刊『ジーコ備忘録』に掲載。

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※本連載は『ジーコ備忘録』のダイジェスト版です。詳しい内容は本書をご覧ください。毎週土曜日更新予定

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