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「ジーコ備忘録」mobile

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 ワールドカップ一次予選の序盤を苦しみながらも2連勝でしのいだ日本は'04年4月、東欧に遠征し、ハンガリー、チェコという強豪と戦う。ハンガリー戦には欧州組が間に合わないこともあり、メンバーは国内組のみで構成。2-3で惜しくも敗れたが、ジーコは国内組の実力を再認識する。続くチェコ戦もほぼ同じメンバーで臨み、1-0で会心の勝利をする。そして04年5月末からの英国遠征ではアイスランドに3-2で勝利し、イングランドに1-1で引き分けた。
 この2つの遠征で潜在能力の高さではなくコンディションを重視するという、ジーコの選手起用の方針転換が確かなものになった。


 イングランドから帰ると、ワールドカップ一次予選の第3戦が待っていた。'04年6月9日、埼玉スタジアムにインドを迎えた日本は7‐0の完勝を収めた。監督である私が細かな約束事を設けなくても、選手が練習や試合で独自の発想を出し合うことで、チームの形はできてきた。大量7点を重ねただけでなく、バランスを最後まで崩さず、無失点で試合を終わらせたことも評価できる。
 一次予選の第4戦は'04年9月8日。敵地コルカタでインドと再戦した。1‐0のリードで迎えたハーフタイムに停電が起き、後半のスタートが約30分も遅れたが選手は慌てることがなかった。私もサインを求める観客に応じながら再開を待った。結局、4‐0の完勝を飾ることができた。肝心なのは気の持ち方だった。
 ただ、インド相手にいくら大勝を続けようが、我々の心は休まらなかった。'04年10月13日、最大のライバル、オマーンとの決戦が待っていた。一次予選を突破できるのは1位のみ。日本は2月にオマーンに1‐0の勝利を収めているが、安心はできなかった。
 勝つか、引き分ければ日本の突破が決まるが、1点差で敗れると全体の得失点差で劣るため2位に落ちる。この第5戦で勝って突破を決めておきたかった。
 従来どおり、成田で合宿を張り、10月9日、オマーンに向け飛びたつ予定だった。だが、台風が日本を直撃し、航空便が欠航になった。インド戦の停電に続き、今度は台風である。成田のホテルの宴会場でフィジカルトレーニングをしたのを思い出す。隣では結婚式の披露宴が行われていた。出発は翌10日に延びた。
 この遅延のため、現地での調整は2日間に限られることになった。
 10月8日に行った市原ユースとの練習試合ではボールを高い位置から奪いにいく果敢なサッカーを試みたが、うまく機能しなかった。しかし、台風による欠航のおかげで10月10日に鹿島ユースと試合ができた。その試合では、選手の意見を取り入れ、やや引き気味に構える形に修正したところ、しっくりいった。納得してオマーンに入ることができたのは大きかった。
  
 オマーンとはこの年、3度目の対戦だった。2月18日の一次予選の初戦は埼玉スタジアムにオマーンを迎え、終了間際の久保のゴールで1‐0で勝った。アジアカップでも7月20日の初戦(重慶)で当たり、中村の決勝点で1‐0で競り勝った。
 今回はアウエーでの対戦。'04年10月13日午後6時半のキックオフ。
 日本は3‐5‐2のシステム。GKは川口、DFは中澤、宮本、田中誠、左外に三都主、右外に加地、ボランチに小野、福西、トップ下に中村、2トップに鈴木、高原。一次予選突破を懸けた非常に重要な一戦だったが、選手たちはきわめて落ち着いていた。
 日本は鹿島ユース戦を踏襲して、引き気味に構えている。中村までが引いて守備に力を注ぎ、攻撃は2トップだけに任せているような状態だった。よって、見た目にはオマーン優勢に映る。
 我々にすれば、相手に攻めさせている、ボールを回させているという感覚だった。攻め込まれても慌てない。日本が引いたことにより、オマーンは得意のカウンターを仕掛けることができなくなった。
 前半を0‐0で折り返したのは思惑通りだった。そして52分、日本が先制ゴールを決めた。FKで機転を利かせた小野がクイックスタート。左で受けた中村が一度タメをつくってクロス。猛然とゴール前に走りこんだ鈴木が豪快なヘディングシュートをたたきこんだ。
 リードしてからは消極的になり過ぎないように注意した。逆襲をちらつかせながら時間を使う。選手たちは最後まで私の思惑どおりのプレーをしてくれた。
 この試合で私は選手たちの成長のほどを確認することができた。チームは成熟しつつあった。90分間、最後までしっかりゲームをコントロールすることができた。オマーンには3連勝したことになるが、この試合が最も充実した内容だった。
 オマーン戦での勝利で、日本はワールドカップ一次予選を5連勝した。勝ち点15、得点15、失点1とし、シンガポール戦を残し、予選突破を決める。
 消化試合となったシンガポール戦。そこでジーコは、川淵キャプテンに選手起用について“ある”提案をした。が、その提案はジーコの予想に反して受け入れられなかった。マスコミや世間から反発をされた。その提案とは・・・
 詳細は新刊『ジーコ備忘録』に掲載。

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※本連載は『ジーコ備忘録』のダイジェスト版です。詳しい内容は本書をご覧ください。毎週土曜日更新予定'

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