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「ジーコ備忘録」mobile

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 W杯の第1戦・オーストラリア戦を8日後に控え、最後の調整試合となった'06年6月4日のマルタ戦。結果は1‐0で日本が勝利を収めた。
 だがジーコはその試合内容に言い知れぬ不安を感じた。圧倒的に試合を支配しているのに、気の緩みからかミスが多く、とどめの一撃が打てない。選手たちに覇気が感じられなかったのだ。W杯本戦が目の前に迫っているというのに・・・。


 5月30日にはレバークーゼンのバイアレーナで、強国ドイツ相手に一時は2‐0とリードし、国民の期待を背負う開催国を慌てさせている。敵地でドイツに冷や汗をかかせることができた。
 終盤、セットプレーからドイツの高さと強さに屈して2点を失い、2‐2の引き分けに持ち込まれたのはいただけないが、世界のトップ国を相手にしても、ひるまず堂々とわたり合った。ワールドカップに向けて勇気がわく試合内容だった。
 だから、マルタ戦のプレーぶりが信じられなかった。最後の重要な調整試合だというのに、緊張感に欠ける最低のできだった。ドイツ戦でつかんだ勢いをさらに強いものにし、「さあ、オーストラリアよ、いつでもかかってこい」と士気を高めようというもくろみは崩れた。日本サッカー協会は名のある相手との対戦を望んだが、私は力が大きく劣る相手を見つけてほしいと強く訴えていた。願いどおり、せっかく格下のマルタとの試合を組んでもらったのに、叩きつぶしてワールドカップになだれ込むことはできなかった。
 選手たちへの信頼が変わったわけではないが、私の頭には大きな疑問が生じていた。いったい選手たちは何のためにあの試合を戦ったのだろうか。試合の意味、重要度をしっかり理解していただろうか。
 プレーに魂がこもっていなかった。チームのために戦っていないのではと疑いたくなるほどだった。ワールドカップに出場する23人のメンバーが決まるまでは、ライバルとのわずかな差を引っくり返そうと必死に努力していたというのに、マルタ戦ではその熱が感じられなかった。ドイツ戦が素晴らしいできだったので、安心してしまったのだろうか。ワールドカップをなめていたのだろうか。
 格下のマルタを相手に、ドイツ戦と同じ気迫、闘志を維持するのは難しいことだろうか。ワールドカップという最大の目標が目の前にあるのだから、そんなことは考えにくいし、許されることではない。それではあまりに相手への敬意、サッカーへの敬意が足りないではないか。試合によって、相手によって、これほど心に波ができるようではいただけない。どの試合でも代表のユニホームを着ていることに誇りを持って、すべてを投じなければいけない。日本のすべてのサッカー選手の代表として戦っていることを忘れてはならない。
  
 この6月4日には他の出場国も各地で調整試合を行っていた。合宿地ボンのヒルトンホテルに戻り、さっそく試合をチェックした。やはり、どの国もものすごい勢いで試合をしている。緊迫感のあるプレーをしている。日本がワールドカップで対戦するブラジルは4‐0でニュージーランドに大勝し、オーストラリアは敵地で優勝候補のオランダと1‐1の引き分けを演じていた。
 アフリカの雄、コートジボワールもガーナも完勝。6月2、3日にさかのぼると、イングランドやポルトガル、チェコ、スイス、ドイツといった出場国がそろって大差の快勝を飾っている。強豪国はどこも最後の調整の場で力を出し惜しみせず、集中したプレーをし、勢いをつけていた。日本のように緩い試合はしていない。
 テレビ画面を前にして、焦燥感がつのった。第1戦までの練習日はあと6日。これは何とかしないと、まずい。こんなことではいけない。嫌な予感をなかなか消し去ることができなかった。
<写真>マルタ戦後、会見に臨むジーコ。試合には勝ったが表情は晴れない。

 マルタ戦のふがいない戦いは、1勝も挙げる事ができなかったW杯期間中の選手たちの内面を写し出していたのだろうと、ジーコは思った。ひとつの方向に向かって力を凝縮し、どんな状況でも、どんな試合でも、どんな条件でも常に力を出し切り、出し通せるメンタリティが欠如していたのだと。
 ジーコはその原因の1つとして、ブラジルやイタリアなどサッカーの本場の選手たちと、日本の選手たちとは負けて帰った後に待ち受けている環境の違いを挙げた。
ジーコが感じる環境の違いとは?
 詳細は新刊『ジーコ備忘録』に掲載。

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※本連載は『ジーコ備忘録』のダイジェスト版です。詳しい内容は本書をご覧ください。毎週土曜日更新予定

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