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レッズの真相「ビッグクラブ2」

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長崎県諫早市出身。2005年に所属していた大分トリニータユースから大分のトップチームに昇格した梅崎司は、本人曰く「全然エリートじゃなかった。周りにはすぐにプロになれそうな選手が何人もいて、僕は彼らの背中をいつも追いかけていた」
 そんな梅崎は高校3年の夏、突如覚醒を果たして頭角を現す。
「夏の国体あたりかな。フィジカルが向上してスピードが付いて、『やっていける』って思ったんです」
 この後は立身出世。各カテゴリーの日本代表に選出され、大分でもJリーグデビューを果たし、その存在を大きく知らしめた。だが、そんな彼にまたもや試練が訪れる。勇躍臨んだ海外挑戦。フランス・グルノーブルで、梅崎は孤独を味わった。異国の洗礼を浴びた彼は志半ばで帰国の途に着き、再生を誓う。
 昨年末、浦和レッズから移籍オファーを受けたときは躊躇しなかった。
「上があるのに下に居続けるのはもったいない。自分が成長する過程のなかで、厳しいチームの中に飛び込むのは絶対にプラスになると思った」
 前任のホルガー・オジェック監督には、レギュラーを確約されなかった。サテライトリーグ出場を命じられたりもした。しかし梅崎はこれまでの挫折や逆境の経験を活かし、前向きにトレーニングに励んだ。そしてゲルト・エンゲルス体制へ移行してからはスタメン出場も果たすようになる。

 梅崎の生きる場所は左サイドにある。かつて一世を風靡したアレッサンドロ・デルピエロ(ユベントス/元イタリア代表)の“ゾーン”を、彼も備える。左45度からの切れ込みとシュート。それが最大の武器だ。
 献身的な動き出しにも定評がある。何度もポジションを修正してボールを受けるのは、自身が備えるアタッキング力を一層倍加させるためだ。
 梅崎のサッカー理念を一言で例えるなら、『チャレンジ』。それは歩んできた道、そしてピッチ上で見せる姿勢に表れている。
「今の最大目標は北京オリンピック。オリンピックは年齢制限があるから、今回が最後の出場チャンスかもしれない。その場で僕がどれだけ出来るか試してみたい。去年、カナダで開催されたワールドユースに出場できたのは大きな自信になっている。あのときのチームは良いサッカーをしたという自負がある。動いて、動いて、相手を倒す。それが日本の目指すべきサッカーだと思うし、それをワールドユースのチームは体現できたと思っている」
 雑草は青々と芽吹き、他の何物でもない強烈な個性を放ち、周囲の目を釘付けにするようになった。
 梅崎司の魅力は、その熱意。ピッチでも、彼はその闘志を惜しみなく放散する。僅か数戦でレッズサポーターの心を掴み、コールを送られた若者の未来は今、光り輝いている。

※本企画は毎週水曜更新予定です。感想はこちらまでお寄せください。

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