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ゲキサカ×大学サッカー「what's インカレ」

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what's インカレ vol.4:選手エージェント秋葉陽一氏が語るインカレ

 12月11日に第63回全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)が開幕します。ゲキサカでは、大学サッカー連盟と合同で全6回のコラム企画を実施。『What’sインカレ』をテーマに様々な視点からインカレがどんな大会なのかを伝えていきたいと思います。

 4回目は2002年、2003年に全日本大学サッカー選手権で優勝を果たし、プロ選手を引退後、選手エージェントとして活躍の場を広げている秋葉陽一氏のインタビューです。

―まず、サッカーを始めたきっかけをおしえてください。
「親父がサッカーをやっていて、物心ついた幼稚園の時にサッカーチームに入ってプレーしたのがサッカーを始めたきっかけです。その後は浦和ジュニアユース,読売日本SCジュニアユース、久留米FCジュニアユース、浦和ユースでプレーしました。ユースではプロというものをまじかで見ることができる環境で、プロサッカー選手としてプレーしたいという目標を持っていました。けれども、その目標を達成できませんでした。自分がサッカーを辞めるというイメージや高校で区切りをつけようということは全く考えませんでしたし、想像することができませんでした」

―それでは、なぜ筑波大に進学しようと思ったのですか?
「筑波大は名門でレベルが高いイメージがありました。そのような環境でプレーすることで、目標であるプロサッカー選手に近づけると思ったからです。また、国立大学であるというのも魅力的でした(笑)親への負担とかサッカーのレベルとか考えると、一番いい選択だと思いましたね」

―筑波大時代に印象に残っていることはありますか?
「クラブユースでサッカーをする環境で育ってきて、初めて部活動という形でサッカーをしました。一番感じとことは、今までサッカーを続けてきた環境と“雰囲気が違うな”ということです。ユースの時はみんな仲が良くて、フレンドリーのチームでした。大学では、朝練があったり、走り込みがあったり、先輩・後輩の上下関係がしっかりしていたりと今までとは全く違いました。部活動に関して周りから聞いていたイメージはあったのですが、いざ体験してみると、今までの環境と違うことに驚きました。このことが一番印象深いですね。でも、このような当たり前なことを学べたことは自分の中で貴重な経験でした。だからこそ、先輩が言うならついていこうと思えるような素晴らし方々が多かったですね」

「サッカーに関しては、一般受験で大学に進学したため、最初はトップチームでプレーできませんでした。一年生だけで朝練をしたりして、そこで頑張って数か月後にはトップチームに上がることができました。そこではレベルの高い先輩方がプレーしていて、改めて大学サッカーのレベルの高さに驚きました」

―インカレでの思い出はありますか?
「1年生の頃の2002年には22年ぶりにインカレで優勝することができました。偉大な先輩方がいて試合にでてプレーする隙など全くありませんでした。決勝の舞台はスタンドで応援だったんですけれど、来年は自分があの舞台で試合に出たいという気持ちと、自分はインカレで優勝するくらいレベルの高いチームでプレーしているんだという2つの気持ちが生まれました。2年生の頃は、同じCBのポジションで偉大な先輩であった小林宏之さん(前ブラウブリッツ秋田)、千代反田充さん(前徳島ヴォルティス)が卒業して自分にチャンスが巡ってきました。必死に頑張った結果、決勝の舞台に立つことができとても充実感や達成感を味わうことができました。そして、2003年も優勝と2連覇することができました。自分にとっても所属したチームで初めてのタイトルだったのでかなり嬉しかったですね。3、4年時は悔しい思いをしました。3年時はリーグ戦で優勝し自信があっあのですが、ミスも多く消化不良で駒澤大学に準決勝で敗退していましました。4年時はリーグ戦も良い結果が残せず、自分もキャプテンとして責任を感じていました。ミーティングを開くなどして、インカレでは良い結果を残そうと思っていましたが、ベスト16で関西大学に敗退してしまいました。ショックでしたが、相手は素晴らしいチームでした」

―今大会のインカレの決勝は国立から変わり味の素フィールド西が丘で行われます。この会場での思い出はありますか?
「思い出はたくさんあるので一つには絞りきれません。ただ、今でもプロで活躍している選手たちと、西が丘で対戦でしたり、仲間として一緒に戦ったりしたことは良い思い出です。そのような人たちと対戦した時はいつも西が丘でした。大学サッカーを思い出す時はいつもあの会場のスタンドの雰囲気や芝生の感覚などの光景などです。そういうことから、自分にとっても思い出深い特別な場所です」

―大学時代を通して成長した部分はどこだと思いますか?
「実家を出て、一人暮らしをして、同じような境遇の仲間達と思いを分かち合って生活した4年間はで学んだことは今の人生でも生きています。アルバイトしたり、人間関係で悩んだり、サッカー以外の面で社会に出る前に貴重な経験ができたことで成長できたと思います。4年間が充実していましたし、本当に濃かったです。みんな目的意識を持って進学していり人が多く、そのような環境で人としての考え方や、物事の捉え方など、以前の自分よりもひと回り成長できた部分だと思います」

―大学サッカーの魅力をどのように考えますか?
「まずプロとの比較でいうと背負っているバックグラウンドが違うということです。プロの場合はサッカー自体に人生がかかっています。大学サッカーは、所属しているチームで4年間という特別な時間を仲間と共に過ごし、築き上げてきた人間関係や、それぞれの夢や想いをピッチで表現するサッカーだと思います。それによって生まれる一体感は大学サッカーでしか味わえないと思います。また高校サッカーとの違いという観点では、選手が4年間の大学生活を通して、それまでのように子供ではなく1人の大人として精神的にも肉体的にも成長することで、プレーヤーとしての質が向上し、それがひいては試合のレベルを高校年代のそれよりも高めているのだと思います」

―なぜ選手エージェントになろうと考えたのですか?
「答えはとてもシンプルです。選手エージェントに関心があったこと。プロサッカー選手の選ぶセカンドキャリアとしては新しかったこと。自分を見つめ直した時に新しい環境に飛び込んで仕事をしたいという思いが強かったからです。サッカーから離れたくありませんでしたし、指導者という道も考えました。指導者の自分は想像できたのですが、選手エージェントになった自分は想像できませんでした。だからこそ挑戦したいと強く思いました。何が待っているかわからない人生に惹かれましたし、チャレンジングな環境の方が人生の中で成長できるからです」

―秋葉さんにとってサッカーとはなんですか?
「“サッカーとは人生そのもの”です。物心がついた時からサッカーを始め、プロサッカー選手になり、辞めた後もサッカーの仕事に携わることができていて、サッカーはいつも自分のそばにあるものです。そうしたことから、人生そのものと言えると思います」

●秋葉陽一氏
浦和ユースから筑波大学に進学し1、2年時には全日本大学サッカー選手権大会で優勝を飾った。4年時にはキャプテンとしてチームを率いユニバーシアード代表としても活躍した。その後、横浜FC、水戸ホーリーホックでプレーし現在は日本サッカー協会認定の選手エージェントとして活動している。

 いかがでしたか。大学サッカーという舞台を経て選手以外の舞台で活躍されている方々は大勢います。その理油は秋葉氏もおっしゃっている様に大学4年間で人としての振る舞いや考え方を身につけ成長できる環境があるからだと思います。

 そして11日(木)に第63回全日本大学サッカー選手権大会(インカレが)開幕しました。明日14日(日)は二回戦が開催されます。また21日(日)にの味の素フィールド西が丘での決勝戦に向けて準備を進めています。詳しい情報は下記で発信しています。そちらもご覧ください。

HP:http://jufa.jp/   Twitter:@JUFA_soccer   Facebook:全日本大学サッカー連盟


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