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「ユース教授」安藤隆人の「高校サッカー新名将列伝」 by 安藤隆人

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“ユース教授”安藤隆人の「高校サッカー新名将列伝」第4回:森下和哉監督(鹿児島実高)
by 安藤隆人

名将列伝第4回。今回はこれまでと趣向を変えて、僕よりも年下の指揮官にスポットを当ててみた。

 九州の名門・鹿児島実高。選手権優勝2回、準優勝3回、インターハイ準優勝1回を誇り、城彰二(解説者)、松井大輔(磐田)、遠藤保仁(G大阪)、伊野波雅彦(磐田)という、4人のW杯出場選手を輩出するなど、全国トップレベルの歴史を誇る強豪だ。しかし、07年度の選手権を最後に全国の舞台から遠ざかっていた。

 低迷期を迎えた名門において、29歳の若さで自らの恩師でもある松澤隆司監督から監督の座を引き継ぎ、名門復活という重責を担ったのが森下和哉監督だ。錚々たるOBたちがいる鹿実を、この若さで引き継ぐのは相当なプレッシャーと苦悩があったはず。だが、それらをはね除け、昨年は9年ぶりのインターハイでベスト8、今年も2年連続でインターハイ出場に導いた若き熱血漢に話を聞いた。


―知る人ぞ知る超名門校で、若くして監督になるということは、想像を絶するほどのプレッシャーがあったと思います。最初はどのような心境で、この大役を引き受けたのですか?
「僕はこれまでのサッカー人生を見ても、決して派手ではないし、苦労の道を歩んできた自負がありました。それに僕は鹿実で育てられた人間なので、話が来たときは運命だと思って引き受けました。22歳で鹿実のコーチに就任したときに、松澤先生から『いずれはお前が俺の後を継げ』と言われていたので、当時僕は横浜Fマリノスにコーチとして入ったのですが、それを4か月で辞めて、鹿児島に戻ったんです。なので、覚悟は出来ていました」

―7年間のコーチの期間。かつては恩師だった松澤先生の下でやってきて、何を学びましたか?コーチになってみて、松澤先生の印象は変わりましたか?
「僕が選手の時、松澤先生はカリスマだった。話すときは緊張するし、遠い存在だったけど、コーチになって一気に近くなりましたね。近くなったことでより見えることが増えて、僕の指導者としての力不足を痛感したし、勉強になりました。一番感じたのは、松澤先生は本当に細かいところまで見ているなということ。やっぱり日本一を穫る人たちは、おおざっぱに見えて、実は細かい準備をしている。試合に向けた選手への気配りや目配り、言葉掛け。朝から夜まで、しっかりと戦略、過ごし方を考えて行動している。あと、とにかく妥協をしない。普通の人なら『ここはいいや』と思ってしまうところでも、絶対に曖昧にせずに徹底してやる。それがいざ試合になると、最後の10分や、苦しいときに選手たちの執念や、勝負に現れるんです。それを僕は22歳から目の当たりにしているし、徹底して『勝負とは何か』を間近で教わりました」

―昨年のインターハイで9年ぶりの全国に導き、ベスト8。この結果で僕たちは「名門復活」という印象を受けました。
「自分のサッカー人生の中で、こんなに負け続けたのは本当に初めての経験でした。自分の勝負に対する準備、気概が足りないから勝てないと思っていたので、何度も何度も選手たちに真正面から向き合い続けました。選手と一緒に桜島を走ったり、一緒にダッシュしたり、苦しいことを共有するなど、暗中模索の中、なりふりかまわずやってきました。今思うと、それについてきてくれた選手たちの存在が大きかった」

―しかし、選手権は県予選で敗れ、出場することは出来ませんでした。この結果はどう受け止められましたか?
「これも僕の勝負の甘さが出た結果だったと受け止めています。本当に現実は厳しいなと。これほど勝負にこだわってやってきても、ダメだった。負けた後は3日くらい寝られなかったんです。でもその後、3年生の数人が僕に手紙をくれたんです。内容は『実は先生のことがずっと大嫌いだった。学校でもうるさいし、サッカーでは厳しいし。でも今となっては本当に鹿実に来て、監督と一緒にサッカーが出来てよかったと思います』や、『監督のように熱い人の下でサッカーをしたくて来た。『全国に連れて行く』とずっと言ってくれて、正直疑ったこともあったけど、インターハイに連れて行ってくれて、約束を果たしてくれた。けど、選手権では僕らが全国に連れて行けなくてごめんなさい』などと書いていて、凄く嬉しかった。それがある意味、ターニングポイントになりましたね」

―壁を破ってくれた3年生の熱いメッセージに、森下監督もよりモチベーションというか、本気度が増したんじゃないですか?
「よりいっそう選手たちのために頑張ろう。いろんな勉強をして、強くしよう。手を抜かないようにしようと強く思いましたね」

―2年連続インターハイ出場。県予選決勝は僕も取材に行きましたが、1点リードされた試合終了間際に同点に追いつき、延長戦で逆転して勝利。凄く選手たちの気持ちが伝わってきて、まさに「疾風怒濤」のサッカーでした。「やっぱり鹿実はこうじゃなくっちゃ」と思いましたし、改めて「名門復活だな」と思いましたよ。
「ありがとうございます。決勝で選手たちが気持ちのこもった逆転劇を見せてくれて、本当に嬉しかった。去年の負けが財産になっていると感じた瞬間でしたね。今、俺の姿は選手の姿、選手の姿は俺の姿だと思って見ているので、決勝の時、負けていても声を上げること無く、じっと選手たちを見ることが出来た。信じることが出来たんです。勝ちきることが出来るチームになれると信じていました。それに選手たちが応えてくれたからこそ、全国では『粘りの鹿実』を復活させたいと思います」

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