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「ユース教授」安藤隆人の「高校サッカー新名将列伝」 by 安藤隆人

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“ユース教授”安藤隆人の「高校サッカー新名将列伝」第14回:高橋健二監督(矢板中央高)
by 安藤隆人

 新名将列伝第14回は、人情味満点の栃木の名将・高橋健二監督。矢板中央高を率いて今年で就任22年目を迎える高橋監督。2008年度に富山貴光(現大宮)、湯澤洋介(現栃木)を、2011年度には山越康平(明治大、大宮入団内定)などを輩出。2009年度には選手権ベスト4と、着実に全国レベルの強豪へと仲間入りを果たしている。今年は星キョーワァン川上優樹森本ヒマンと言った全国区のタレントを擁し、選手権栃木県予選を3連覇。本大会では優勝候補の一角に挙げられる存在となった。11月下旬に矢板中央高校サッカー部の講演会の講師として、栃木県矢板市に向かい、そこで名将列伝インタビューも合わせて敢行をした。

―まず高橋監督が指導者を志したきっかけは何ですか?
「高校時代(矢板東高)に選手権に出場出来なかったんです。当時、黒崎久志(元日本代表FW)がいた宇都宮学園高(現・文星芸大附高)が強くて、原博美(日本サッカー協会専務理事)さんの母校でもある矢板東高は、なかなか勝てなかった。そこで選手権に出られなかった未練が残ったんです。高校時代、国体選抜に入って、山梨国体にCBとして出場して3位になることが出来て、サッカー推薦で仙台大学に入ったのですが、大学サッカーをやっても選手権に憧れ続ける自分がいました。選手権は僕が小学校の時、帝京高校の試合をテレビで視て、かなり刺激を受けて、それに憧れてサッカー始めたのですが、その夢は叶わなかった。なので、指導者として選手権に出たいと強く思ったんです」

―その気持ち凄く分かります。実は僕も小学校のときに選手権に憧れてサッカーを始めて、結局出場出来ませんでした。大学に行っても、選手権への憧れが消えるどころか増して行ったので、僕はサッカーライターとして選手権に関わりたいと思って、この道を選びました。
「全く一緒ですね!安藤さんの気持ちも凄く分かります!それで指導者を目指すようになって、大学卒業後、道を模索しているときに、矢板東高校の恩師から、矢板中央高校で募集があると聞かされて、迷わず応募しました」

―当時の矢板中央高校サッカー部はどういう状況だったのですか?
「部員が13人くらいいたのですが、正直強くはありませんでした。そもそも栃木県は矢板中央がある北部よりも、宇都宮学園、佐野日大、真岡などの中央部や南部が優勢だったのもあって、北部のチームは勝てない状況でした。最初に選手達に『矢板中央で全国行くぞ』と言ったら、『行けっこ無い』と言われた。『無理だ』と言われた。その後、教員たちにも20代の僕が『全国行く』といったら、『無理だ』と言われた。ショックだったけど、何とか達成をしたかった。そこで恩師にどうやったら強くなるかと聞いたら、『ブラジルとの交流を持ちなさい』と言われた。そこである時、新聞見たら、ブラジルで農業移民の方がサッカー場を作って、日本人を受け入れているという記事があったんです。『ナカザワスポーツ教育センター』というところで、すぐに電話したんです。コンタクトが取れて、『一度来なさい』と言われたので、自費で視察に行きました。そして学校に戻って来て、『留学制度をやりたい』、『選手達をブラジルに送って、向こうの学校に通わせたい』と伝えたら、学校側がOKをしてくれたんです。それで翌年から募集を掛けたら、多くの応募があって、実現したんです。結果、それを10年間やりました。2000年くらいまでやって、延べ人数で100人以上、ブラジル留学を経験したんです」

―ブラジル留学をした結果、チームはどうなりましたか?
「ブラジルで凄く良い経験を積んで来て、選手達のレベルは間違いなく上がってきました。でも、チームで凄く良いサッカーをするけど勝てない時期が続きました。選手が集まって来たけど、どうしても栃木県の準決勝や決勝で負けてしまう。どうしたらこの壁をぶち破れるかを考えた時、ちょうど御殿場の時の栖で、帝京高校の古沼貞雄監督とお会いしたんです。ちょうど帝京をご退任されるタイミングで、僕が『全国大会に出たいんです。古沼先生、僕は帝京出身ではありませんが、ぜひ矢板中央に足を運んでいただき、いろんなアドバイスをください』と言ったら、実際に来てくれたんです。そこで本当に多くのことを学びました。そこで気がついたのが、綺麗なサッカーばかり追いかけていたこと。古沼先生のおかげで、基礎を大切にして、しっかりと技術が出せるチームになっていったことで、ついに第83回高校選手権に出ることが出来たんです」

―夢だった選手権に監督として出場してみていかがでしたか?
「もう何がなんだか分からないまま終わりました(笑)。初戦で興梠慎三(現浦和)がいる鵬翔とやったのですが、2-3で負けました。お祭り騒ぎというか、よく味わえないまま終った感じでした。やっぱりその後の第88回大会の方が強く印象に残っています」

―その大会でベスト4進出をしましたね。
「ずっと憧れていた場所に、監督として立てた。それが本当に僕としては夢が叶った瞬間でした。現在は古沼先生と一緒にベンチに入って高校サッカーを戦えているのが幸せです。古沼先生はサッカーだけではなく、僕にとって『人生の先生』。帝京出身じゃないのに、こんなに面倒を見てくれて、本当に感謝しています」

―今年のチームもベスト4以上の成績を狙えるような好チームになっていると思います。
「3年連続の選手権出場。1年生から出ている選手もいて、みんな経験値が高い。だからこそ勝負したいと思っています」

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