beacon

Jを目指せ! by 木次成夫

このエントリーをはてなブックマークに追加

第58回 「日章学園高校、早稲田一男監督の思い出」
by 木次成夫

 日本代表及び、日本リーグ(Jリーグの前身)人気が低迷していた70年代後半、全国高校サッカー選手権は「人気」という点では、日本サッカー界最大のイベントでした。

 1976年度(第55回)大会から開催地が、関西から首都圏(東京及び、その近郊)に移ったことも、人気拡大に大きく影響しました。ちなみに、その55回大会で優勝した浦和南で1年生ながら大活躍したのが水沼貴史(前・横浜FM監督)です。

 そして、翌77 年度(第56回)大会で帝京が2度目の優勝を達成した際の主将が、今大会に5年ぶり5回目の出場を果たした日章学園(宮崎県)監督の早稲田一男氏(写真・12月31日撮影)です。

 同氏は59年生まれの48歳。同年の帝京は共に古河電工に入社することになる金子久(愛称ゴルゴン金子)、宮内聡の「帝京トリオ」はじめ、名取篤(1年生)ら好選手揃いで、決勝の四日市中央工業戦は5-0で圧勝しました。

 小柄ながらもダイナミックかつ華麗なプレー、精悍なルックス、サラサラ髪。そして、伝説的ジャンピングボレーシュート。宮崎県の親元を離れて「サッカー留学」していた点も報道する側からすると「良いネタ」だったのでしょう。早稲田氏は、瞬く間に全国的な「スーパースター」になりました。

 ちなみに、その2年後、名取擁する帝京は3度目の優勝を達成しました。同大会で得点を量産するなど大活躍したのが川添孝一氏(現・解説者。町田ゼルビア・スーパーバイザー)で、都予選で才能の片鱗を見せた1人が“とんねるず”の木梨憲武氏です。

 川添氏も「サッカー留学」でした。その後、森山泰行(現・FC岐阜)、磯貝洋光(元G大阪)ら、地方出身の有望選手が多数、早稲田氏が歩んだ道を選びました。

 ところが、帝京が有名になり、多くの選手が活躍する中、早稲田氏の「存在」は、相対的に地味になっていきました。古河では、岡田武史(現・日本代表監督)、田嶋幸三(JFA専務理事)らと、今となれば“豪華な?”コンビを組むなど、レギュラーだった時期もありましたが、当時の古河が、人気のない日本リーグの中でも地味なチームだったことも、その要因かもしれません。

 早稲田氏は84年シーズンを最後に古河電工退社。その後、宮崎に戻り、85年から日章学園サッカー部監督になり、現在に至っています。今大会は次男の昂平(2年)が主力FWとして活躍しています。

 なぜ、20代中盤で古河を去ったのか。小柄ゆえの限界を感じたのかもしれせん。あるいは、多くの大卒が「出世する」状況に、高卒として、引退後の人生を考えたのかもしれません。

 いずれにせよ、今大会を見て、一昨年12月に日章学園を訪れた際、「次男は、けっこう有望なんですよ」と言っていたのが、懐かしくなりました。FC岐阜が地域リーグ決勝大会(大分開催)でJFL昇格を決めた翌日のことでした。「帝京の後輩」森山のことをはじめ、「Jを目指すクラブ」のことなども話した際、早稲田さんは、暗いナイター照明の下、土のグラウンドで練習に励む生徒を見ながら、こう言いました。

「宮崎には、こうして頑張っている子供たちの“受け皿”が少ないんですよ」

 宮崎といえば、「ホンダロック」(06年JFL最下位、07年九州リーグ2位)が有名ですが、企業チームです。日章学園だけでなく、ライバルの鵬翔高校出身選手も所属しています。ですから「ない」のではなく「少ない」わけです。

 かつて、「Jを目指して」02年にJFLまで昇格した「プロフェソール宮崎」というチームがありましたが、同年最下位。Jを目指す活動は、失速しました。しかし、その後、「サン宮崎」、「エストレーラ宮崎」と名前を変え、昨年は宮崎県リーグ1部優勝を達成。「宮崎県サッカー協会はJを目指す活動にあまり興味を示していない」という話を、他の地域リーグ関係者から聞いたこともありますが、是非、頑張ってほしいです。

 ちなみに、プロフェソールがJFL最下位(18位)だった02年、17位だった「アルエット熊本」は、後に「ロッソ熊本」(現ロアッソ熊本)に生まれ変わっています。

 原田武男(元・横浜Fなど)、田上 渉(大久保嘉人と同期の主将)ら国見出身者が活躍するV・ファーレン長崎のようなチームが宮崎県にもできれば……。そう願う人も多数いると思います。

 昨季を例にとると、かつて、全国選手権で活躍した選手が「Jを目指す」クラブで頑張っていました。

例えば、

カマタマーレ讃岐(四国2位)
小出保広(徳島市立)=95年度(74回)大会、藤本主税(主将・大宮)と同学年。華麗なパスワークに定評のあるチームだったが、前橋商に1回戦敗退。昨季はリーグ“ダントツの”ファンタジスタ

長野パルセイロ(北信越2位)
貞富信宏(帝京)=97年度(76回)大会、中田浩二(バーゼル)と共に主力として準優勝

バンディオンセ神戸(関西1位)
神崎亮祐(草津東)=99年度(78回)大会、2年生ながら主力として、ベスト8進出。大会優秀選手にも選出。ベスト8で富山一に敗退。昨季は関西リーグMVP

FC Mi-OびわこKusatsu(関西2位、来季JFL昇格)
安部雄二郎(日章学園)=99年度(78回)大会、2年次にレギュラーで出場(1回戦で星稜に敗退)。昨季は主力としてJFL昇格に貢献

FC岐阜(JFL3位、来季J2)
片桐淳至(岐阜工業)=02年度(81回)大会。準優勝に貢献。大会得点王

 他にも、小林成光(栃木SC=佐野日大出身)、奈良安剛(ツエーゲン金沢=桐蔭学園出身)、植田洋平(南国高知FC=国見出身)、秋田政輝(バンディオオンセ神戸=市立船橋出身)ら、多数います。

 ところで、宮崎県といえば、「そのまんま東」知事が昨年は日本全国レベルで注目されました。が、早稲田監督は、知事よりもはるかに昔から、地元に戻って「再チャレンジ」してきたわけです。

 宮崎県議会及び県庁幹部方々は、早稲田さんがいかに偉大な人物であるか、知事に伝えてほしいものです。あるいは、知事が、サッカーにはそれほど興味がないのでしょうか。

“もったいない”と思います。

 日本全国の自治体首脳の方々にも、高校サッカー少年を「一時的なアイドル」にするのではなく、地方活性化の「起爆剤」あるいは「潤滑油」にしてほしいと思います。様々な分野で「才能の流出」が問題になっている都道府県はなおさら、です。

 また、多くの高校サッカー指導者が「選手権が終わりではない」といいます。だとすれば、「次」があるよう、様々な面でも、いっそうの努力をしてほしいものです。

※本コラムは毎週火曜日更新予定です。ぜひ感想をこちらまでお寄せください。

TOP