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[SEVENDAYS FOOTBALLDAY]:苦しさのなかに咲く花(関東一・小野貴裕監督)

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東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 電光掲示板に表示されていた数字が消える。スコアは1-0だったが、不思議と勝利は確信していた。「『こうやってゲームって終わるのかな』と。初めてなので『選手権で優勝するタイミングってこういう感じなのかな』って自分でも首を傾げながら」タイムアップを待つ。10年間追い求めてきたその瞬間が、間近に迫ってきたにもかかわらず、頭の中は不思議とクリアだった。主審が試合終了を告げるホイッスルを吹き鳴らす。苦楽を共にしてきた江口誠一郎部長と抱き合った。それでも、小野貴裕の頭の中は不思議とクリアだった。

 群馬FCホリコシで選手キャリアにピリオドを打った小野は、06年に関東一高サッカー部へ正式に招かれる。以前の同校サッカー部はブラジル人留学生を抱え、彼らの能力とフィジカルに頼るようなスタイルを採用していた。一定の成果は挙がったものの、そのスタイルに限界も感じていたスタッフ陣は、小野の招聘前後から個人と技術を組織に昇華させる『見ていてもやっていても楽しいサッカー』に舵を切る。丁寧なスカウティングも実り、徐々にタレントも集まり出した。その効果はてきめんに現れる。小野が監督に就任した10年には選手権予選で4年ぶりに西が丘まで勝ち上がり、最後は名門の帝京高に0-2で屈したが、翌11年は関東大会予選で東京の頂点に立つと、T1リーグ(東京都1部リーグ)も制してしまう。その執拗なまでにドリブルやショートパスにこだわるサッカーは、明確に現れ始めた結果に比例する形で評価を高めていく。当時の小野は31歳。青年監督の前途は洋々たるもののはずだった。

 優勝候補の一角として迎えたその秋の選手権予選。3試合で17得点という驚異的な攻撃力を引っ提げ、関東一はファイナルまで勝ち上がる。相手は都立東久留米総合高。2点をリードされた後半39分から同点に追い付く粘りを見せたが、最後はPK戦で涙を飲む。渋谷飛翔(横浜FC)や星清太(東洋大)など全国レベルの素材を揃えた12年は、プリンスリーグ関東で経験値を積み、満を持して挑んだ選手権予選でも準々決勝で東久留米総合にリベンジを果たし、2年前と同様に西が丘で当たった帝京も2-0で下した。2年連続のファイナル進出。あらゆる条件は整っていた中、結果は実践学園高に後半終了間際に決勝点を許して、またも全国切符の獲得は幻に終わった。このあたりから小野の思い描いていた未来予想図と現実が少しずつ乖離していく。

 13年は総体予選、選手権予選と共に初戦敗退。その翌年は新人戦の地区予選敗退を筆頭に、総体予選も選手権予選もベスト8で姿を消した。この頃の小野は冴えない表情をしていることが多くなる。「『本当にこのまま俺はダメなのかな』って何度も思いました」と自ら振り返るように、当時は試合後も反省ばかりが口を衝いていたように記憶している。どちらかと言えば優し過ぎる性格の彼は、『結果が出ない』というベクトルをすべて自分に向けている様子が窺えた。いわゆる“負のサイクル”にはまり掛けている雰囲気はこの時期のチームにも、そして小野にもあったように思う。

 そんな状況に変化の兆しが見られたのは15年。4年ぶりに関東大会予選で優勝を成し遂げた関東一は、総体予選も勝ち抜き、同校にとっては8年ぶりの、小野にとっては監督就任以来初となる全国切符を獲得する。指揮官にも変化は確実に訪れていた。「今までは勝ち方だけを自分の中で追及することが多かったので、その勝ち方の中にも一番やりたい勝ち方があるとしたら、もう1つくらいの勝ち方まで持っておかないといけないなと思っています」。チームも例年よりは守備力に特徴を持つ、どちらかと言えば縦に速いスタイルを体現するチームだったことも、関東一の歴史を振り返ると興味深い。乗り込んだ全国の舞台では大躍進。羽黒高、清水桜が丘高、大津高、広島皆実高を相次いで撃破し、堂々ベスト4進出。市立船橋高には力負けしたものの、一気に日本中へその名を知らしめることとなった。

 ある光景が印象深い。準々決勝で広島皆実を下し、全国4強を手繰り寄せた試合後。記者に囲まれ、ゲームを振り返っていた小野が突然声を詰まらせる。「今まで苦しんできた先輩とか… 辛い想いをさせてきた時期もあったので… そういうのをここで出せたというのが凄く良かったなと思います」。過去にも全国の舞台で戦わせてあげたい、そして戦えるだけの力を持った子供たちを数多く指導してきた。それでも届かなかったステージにようやく立ち、一定以上の結果を残した時、脳裏へ真っ先に浮かんだのは、そのステージに立つことの叶わなかった子供たちの顔。普段は比較的淡々とゲームのことを口にしていく彼の昂った感情に、やり切れない想いを抱えていた時期の苦労が偲ばれた。ただ、極力周囲の雑音をシャットアウトすべく取材量も調整しながら、慎重に慎重に臨んだ選手権予選も、主力の負傷欠場を強いられた準々決勝で堀越高に苦杯を嘗める。「このチームでも選手権は獲れないのか…」という想いと同時に、「勝つために必要なことがハッキリわかった」という小野。天国と地獄を味わったシーズンを経て、いよいよ勝負の年となる2016年がやってくる。

 リーグ戦は黒星スタート。関東大会予選も準決勝で敗退したが、「あまり結果で一喜一憂はしないというか、負けたから全部悪い訳ではないし、勝ったから絶対にどこが強いというのもないと思う」と小野は意に介さない。前年の経験から“勝つため”に必要な最後の条件を自分の中で消化したからだ。「今まで色々なことを潰していって、最後に残ったのがケガに対しての対応だったんです。本当に自分たちが準備して、色々なことをやっても、『試合が始まるまでに選手がケガして出られなくなることってあるんだな』って。『そうか。じゃあこれも潰さないと試合には勝てないな』って。だから、去年の堀越のゲームが終わった後は『絶対に選手層が厚くないと、その瞬間は良くても勝てないな』と思ったんです」という小野は、シーズン開幕からレギュラーを固定せず、様々な選手を様々なポジションで起用していく。一部の主力を除いては試合ごとに顔触れが入れ替わって行く状況の中で、「誰が出ても良いような状態を作っていく」という目標は着実に進行していった。夏の全国では初戦で再会した市立船橋に衝撃的な完敗を喫したが、「総合力で言えば間違いなく今の日本で一番強いチーム」との対峙で、改めてチームの方向性は明確になった。例年以上に行った走り込みも含め、コンディション的にかなり追い込んだ夏が過ぎる。選手層も厚くなった。手応えはある。あとはやるか、やらないか。それだけだ。

 選手権予選の幕が開く。準々決勝では早稲田実高相手に、後半の終盤まで2点をリードされる絶体絶命のピンチに陥りながら、ラスト5分で追い付き、延長戦で逆転勝利をもぎ取る。準決勝でも1年前に行く手を阻まれた堀越に3-1で雪辱を晴らし、4年ぶりのファイナル進出を決める。その堀越戦では意外なシーンを目撃した。ピッチとスタンドの距離が非常に近い西が丘という舞台にもかかわらず、小野は前半終了のホイッスルが鳴る前に、既にベンチを立ってロッカールームに向かっていく。もちろん多くの観衆が見ている前だ。思い起こせば全国出場の懸かった今年の総体予選準決勝でも、前半が終わった瞬間から微動だにせず、ベンチに腰掛けながらハーフタイムの10分間、ずっとピッチを見つめ続けている小野の姿があった。テクニカルエリアで怒声を上げる姿も格段に増えている。その性格ゆえに周囲からの目がどうしても気になっているように見えた、ナイーブな青年監督の面影はもはや残っていない。過去の小野からは考えられないような行動には、目の前の勝利という目標だけに集中できている“勝負師”に近い雰囲気があった。3度目の正直へ。悲願達成まではあと1勝。

 成立学園高との決勝もリードしたまま80分間が経過し、電光掲示板に表示されていた数字が消える。スコアは1-0だったが、不思議と勝利は確信していた。ふと今まで自らを鍛えてきてくれた各校の指導者の顔が浮かぶ。「本当に東京都の力のある先生たち、今50代くらいの皆さんと僕はちゃんと戦えたんです。大西先生(武蔵高)とも廣瀬先生(帝京)ともやれたし、李さん(國學院久我山高)に登先生(都立東久留米総合)、向笠先生とも岩本先生(共に修徳高)ともやれましたし、山下先生(都立駒場高)にも林先生(暁星高)にもやられまくりましたし、それこそ宮内さん(成立学園)もそうですし、そういう方々と全部やれたので、たぶんその経験値は自分の中であってもいいのかなと。『それぐらいはあってもいいだろう』と思ったんです」。この10年間ずっと追い求めてきた瞬間が目前に迫っても、頭の中は不思議とクリアだった。タイムアップの笛が鳴り、江口部長と抱き合い、スタッフ陣や子供たちとハイタッチで喜び合っても、やはり小野の頭の中は不思議とクリアだった。

 以前、小野がこう話していたことがある。「僕も本当は『もっとうまく行くかな』って正直思っていました。『あっという間に結果が出ちゃうかな』って。でも、意外とうまく行かなくて『この高校生という年代を指導するってそんな簡単に行かないんだな』と。どうやったら子供たちの中で切磋琢磨できるかが一番大事で、そう考えたら時間は足りないですし、もっとやらなきゃいけないことがあると思うんです」。あるいはもっと早く全国を知っていたら、見えてきたものがあったかもしれない。もっと早く結果を得られていたら、手に入ったものがあったかもしれない。それでも、この10年という月日で得てきた多くの悔しさとわずかな喜びが、小野の指導者人生を支えてきたこともまた紛れもない真実だ。念願叶った決勝後。「『凄く良いサッカーをしたい』と思ってずっとやってきた時間があって、『絶対勝ちたい』と思ったここ何年があって、結局良いサッカーにこだわっても、勝ちにこだわっても、“こだわる”って凄く苦しいことだなって。苦しかったですね…」と、少し目を赤くした小野は呟くように言った。おそらく指導の現場に立ち続ける限り、その苦しさが消えることは今後もないだろう。1つだけ確実なことは、その苦しさのなかに咲く一輪の花のような、わずかなわずかな喜びを求めて、“こだわり続ける”彼のサッカーと生きる道はこれからもずっと続いていく。

■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務し、Jリーグ中継を担当。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」


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