beacon

“伝道師”岡野俊一郎氏逝去…川淵氏ら悼む「日本サッカーの誇り」

このエントリーをはてなブックマークに追加

元JFA会長の岡野俊一郎氏(左)が2日、肺がんのために亡くなった

 元日本サッカー協会(JFA)の元会長である岡野俊一郎氏が2日、肺がんのために都内の病院で亡くなった。85歳だった。通夜、葬儀は故人の遺志により、近親者のみで執り行うという。

 岡野氏は旧制中学からサッカーを始めて、東京大でもサッカー部に所属。1955年には日本代表にも選出された。68年のメキシコ五輪ではコーチとして銅メダル獲得に貢献した。70年から72年までは日本代表の監督を務めた。

 1987年からはJFAの副会長に就任して、2002年W杯の招致に尽力。98年からは会長を務めて、大会を成功に導いた。サッカーのみならず日本のスポーツ界の発展に力を注いだことが評価され、2004年には旭日中綬章を受章。12年には、日本のスポーツ界では8人目となる文化功労者に選ばれた。

 岡野氏の訃報を受け、JFAの田嶋幸三会長や川淵三郎最高顧問らがコメントを発表。故人を悼んだ。

●田嶋幸三会長
「昨年11月末に岡野さんからご連絡をいただき、入院されている病院に行きました。これまでのサッカーの話やこれからのこと、本当に色々なお話を伺いましたが、ご自分の死期を意識されているような話しぶりで、一抹の寂しさを感じました。若い頃、サッカーの勉強をしていると、必ず、岡野さんが訳された文献にあたり、岡野さんのお名前を見る度、日本サッカーの国際的な窓口であり、広く世界に扉を開いている方だと思っていました。今頃、クラマーさん、長沼さん、平木さんと天国で会っているのかもしれません。心からのご冥福をお祈りします」

●川淵三郎最高顧問
「東京オリンピック、メキシコオリンピックともにクラマーさんの教えは全て岡野さんを通じて、我々選手に伝えられました。そういう意味で、“日本サッカーの伝道師”と言えるでしょう。サッカー以外にも IOC や JOC の要職を務められ、また、教育にも携わるなど幅広く活動されました。日本サッカーの誇りというべき方でした。謹んでご冥福をお祈りします」

●小倉純二最高顧問
「デッドマール・クラマーさんを招へいしたときから、岡野さんは長沼健さん、平木隆三さんとタッグを組み、日本サッカーの躍進に力を尽くされました。JSL の創設にも携わられたわけですが、JSL がなかったら J リーグもできなかったわけで、岡野さんは、まさに日本サッカーの黎明期を支え、日本サッカーの基礎を築いた偉大な方です。心からの感謝を申し上げます」

●大仁邦彌名誉会長
「メキシコ大会後にスタートした『ダイヤモンドサッカー』は岡野さんの代名詞であり、サッカーの普及に大きく貢献しました。岡野さんの後を引き継ぐ際、岡野さんの解説があまりに評判がよかったため、大きな重圧を感じましたが、岡野さんの後を継ぐことができたことは光栄でした。日本サッカーにとってかけがえのない方でした。ご冥福をお祈りします」

TOP