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“11か月離脱”からの完全復活の年に…慶大主将松木、「ベストだと思った」J2岡山内定

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[4.29 関東大学L2部 慶應義塾大3-1青山学院大 相模原]

 今季の関東大学サッカーリーグは序盤から波乱含みだ。2部リーグでは、今年東京都リーグから昇格した立教大が3連勝で中央大と首位を争う一方、昨年まで1部にいた慶應義塾大が開幕から2連敗を喫し、下位に沈んでいた。

 負ければ最下位も見えてくる第3節の青山学院大戦で、主将MF松木駿之介(4年=青森山田高、岡山内定)が意地を見せた。開始10分に左サイドからのクロスに松木が合わせて先制。その後、青学大に同点に追いつかれるもその2分後にはゴール前に抜け出した松木がPKをゲット。これを自身で決めて、再び勝ち越しに成功する。そして後半にも追加点を挙げた慶大が待望の今季初勝利を手にした。

「本当に調子いいときは、自分が狙っていなくても、自然に体が動く。いい感覚で試合に臨めています」

 ボールをもったときの選択肢の多さ、裏への抜け出しが松木の魅力だが、自分では「周りを活かして、周りに活かされるタイプ。そういうプレーができれば、大事なところでパワーも使えるし、ゴール前に入る回数も増えていく」と思っている。青学大戦では1年生ふたりを含む下級生が多く先発していたが、彼らの武器をうまく引き出して、前線に攻め込む姿が何度となく見られた。

 慶大では1年次からレギュラーを獲得し、リーグ戦では新人賞も受賞。全日本大学選抜でも中心選手として活躍していた。「青森山田高時代は周りがうまい選手ばかりで、パスを出すだけで満足していた」という松木だったが、大学ではゴールを奪うことの大切さに気づいた。なかでも昨夏のユニバーシアード台北大会代表の宮崎純一監督は、松木を「わずかな時間でも必ず結果を出してくれる選手」と高く評価していた。

 すべてが順調だと思っていた松木の大学サッカーに、思わぬアクシデントが起きたのは2年の冬。インカレ初戦前日の練習で左膝の半月板を損傷し、手術を受けることになったのだ。

「手術はうまくいって、最初は4、5か月で治ると言われていました。でも僕自身が、どうしてもリーグ開幕に間に合わせたい、ユニバ代表に選ばれたいと焦ってしまって。自分自身の知識不足から、リハビリ中に怪我を悪化させてしまった」

 再手術はユニバの直前に行った。「もうユニバ代表には入れない、と割り切れた」から。ただ、そう思いきれるまでは不安と焦燥の連続だったという。

「最初はこのまま自分のサッカーが終わってしまうんじゃないか、と不安でした。でも宮崎監督が声をかけてくれたり、同じように大怪我を負った深井一希選手(札幌)がメッセージをくれたり。いろいろな人に助けられた。自分ひとりでは、今ここでサッカーをすることはできなかったと思います」

 もうひとつ、松木の心の支えとなった存在があった。「怪我をしたあとも、常に自分を気にかけてくれていた唯一のクラブ」というファジアーノ岡山だ。もともと大学1年のころから練習参加はしていたが、怪我をしてプレーができない期間もずっと声をかけ続けてくれていたという。

「正直、プロを目指す以上、もっと上のカテゴリー……J1のクラブから声がかかるような世界を夢見ていたこともありました。でも、スタッフ、サポーター、フロントの方が温かくて、真面目な人の多い岡山は、自分がプロとしてスタートを切るクラブとしてベストだと思った。心から岡山でプレーしたいと思っていたから、オファーをいただいたらすぐに決めてしまいました」

 結局、復帰には約11か月がかった。昨季はリーグ終盤に復帰できたものの、慶大は2部に降格。松木は「何もできない自分が不甲斐なくて、不甲斐なくて。自分に力がないから、今この2部という舞台にいる」と悔しさを露わにした。しかし、今季はその2部で黒星スタートとなるなど「2部は自分たちが想像していたよりずっと難しい舞台」と痛感せざるを得なかった。

 それでも「毎日、毎日サッカーが楽しい」と松木は笑顔を見せた。「あの11か月間があるから、サッカーを好きな自分でいられていることに感謝しています」。

 ようやく1勝をあげた慶大だが、目標はもちろん1年での1部復帰だ。「僕のようにプロを目指している後輩たちに、少しでもいい舞台を残してあげるのは先輩の役目だし、主将として最大の務め。意地でも結果にこだわりたい」と松木。リーグ戦はまだまだ始まったばかりだ。

(取材・文 飯嶋玲子)
●第92回関東大学L特集

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