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“東京の10番”梶山陽平が振り返る15年間の現役生活…「33歳なんで長かったですかね?」

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引退セレモニーで挨拶したMF梶山陽平

[11.24 J1第33節 FC東京0-2川崎F 味スタ]

「東京の10番はオーオー梶山陽平」。試合後の引退セレモニーでサポーターの声援に包まれたMF梶山陽平は「東京のエンブレムを胸に、背中に10を背負って戦えたことは僕にとって幸せな時間でした」と述べ、ファンサポーター、現役生活で関わったスタッフや監督、家族に感謝の気持ちを伝えた。

「ずっと膝が痛くて、ここ2〜3年そういうこと(引退)も考えていた」。今年7月に新潟にレンタル移籍。9月1日の第31節愛媛戦で相手選手と接触し、右膝が悪化した。リハビリをしている中で限界を感じ、引退を決断。14日に今季限りでの引退が発表されると、知人からも連絡が入り、実感が湧いた。セレモニー後に取材陣に対応した梶山は「落ち込むようなことはなく、前に進めています」と吹っ切れたような表情を浮かべていた。

 11歳でFC東京のサッカースクールに入ると、FC東京U-15、U-18と昇格し、2003年に高校3年生でJリーグデビュー。海外挑戦や大分、新潟へのレンタル移籍もあったが、アカデミーから22年、ほとんどの時間をFC東京で過ごした。J1通算267試合16得点、J2通算37試合6得点、J3通算13試合出場。度重なる怪我で思い通りにプレーできない期間も長かったが、15年間の現役生活を振り返り、「どうですかね。33歳なんで長かったですかね?選手としても人としても成長できたかな」と笑った。

 約10年間、FC東京で10番を背負った。抜群の技術とキープ力を誇り、独特のリズムを持ったドリブルやパスで試合を作る梶山は「天才」と、時には「変態」とも評された。世代別代表の司令塔に君臨し、2008年の北京五輪でも10番を背負った。その記憶を聞かれると、「成績が悪かったですし、そんなに思い出には残ってないです」と飄々と話した。

 FC東京ではタイトル獲得の記憶が色濃く残っているというが、J1優勝は達成できなかった。その目標は後輩に託し、「リーグ優勝をした時に下部組織の選手が多くいた方がFC東京としても盛り上がるし、その後にもつながっていく。貪欲に頑張ってほしい」とエール。自身の今後については「違う形でFC東京に貢献していけたら」と言及した。

(取材・文 佐藤亜希子)

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