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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:同志(清水エスパルスユース・天野友心、梅田透吾)

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プレミアリーグ最終節、IAIスタジアム日本平の一般入場ゲートに張り出されていた天野友心(右)と梅田透吾の感謝のコメント

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 あるいは1人だったら、ここまで楽しかっただろうか。あるいは1人だったら、ここまで成長できただろうか。「やっぱり『コイツは上手いな』と思わされるのは透吾でしたし、一緒にやっていて盗むものもあったり、気付かされる部分もあって、本当に自分がここまで成長できたのは透吾がいたからかなと凄く思います」「アイツがいなかったらサッカーをやめているかもしれないですし、エスパルスに来てやっていないかもしれないですし、本当に天野と一緒にやれて良かったという感謝の気持ちでいっぱいです」。13歳からの6年間。ゴールキーパーというたった1つのポジションで競い合ってきた天野友心梅田透吾は、大きな感謝と少しの寂しさを胸に、この春からそれぞれの新たな道へ踏み出していく。

 “16” と“1”。後半のアディショナルタイム。意外な番号が第4審の掲げるボードに表示される。8月1日。クラブユース選手権決勝。大宮アルディージャユース相手に2点をリードしていた清水エスパルスユースは、最後となる5人目の交替でゴールキーパーを入れ替える。大会MVPにも選出された梅田透吾が笑顔でピッチサイドへ向かい、短い抱擁を経て、天野友心が自らの持ち場へ駆け出していく。手元のメンバー表を確認すると、どちらも2000年7月生まれの3年生。「なるほどなあ」と感じながら、その光景を眺めていた。

 試合後。日本一に輝いた清水ユースを率いる平岡宏章監督の記者会見は謝罪から始まった。「まず1つ言わなくてはいけないのは、ああいうリスペクトに欠けることをやってはいけないんですけど…」。自ら“5人目の交替”について切り出す。彼らがゴールキーパーとして初めてジュニアユースからユースに同時昇格した2人だということ。ジュニアユース時代は天野の方が試合に多く出ていたこと。いくつかの背景を明かしつつ、「今日は梅田が活躍してくれましたが、天野が出ても同じくらい活躍してくれますし、試合に出なくても本当にチームを盛り上げてくれていたので、そういうことも含めて了承してもらいたいと思います。本当にリスペクトに欠ける交替で申し訳ありませんでした」と頭を下げる。想像以上の理由もあって、“5人目の交替”は今夏のハイライトの1つとして、強く記憶に残っている。

「エスパでは6年間ですけど、小学校の頃も5年生から県のトレセンで一緒だったので、8年間やってきているんです」と天野が話したように、2人の付き合いはエスパルス以前まで遡る。ジュニアユースへ加入した段階では天野が一番手で、梅田が二番手という構図。「中学の時は自分の方がちょっと上に立っていた部分があったと思います」(天野)「ジュニアユースの頃はアイツがずっと出ていたので、正直諦めていた部分もありました(笑)」(梅田)。2人とも率直に当時を振り返る。

 ユースへの同時昇格はタイミングの妙もあった。その頃は清水ユースが静岡県リーグへの参入を予定していた時期で、必然的にゴールキーパーの頭数が必要になる。彼らが一定以上の実力を有していたことは言うまでもないが、神奈川から単身で清水ユースへ加わり、今年のキャプテンを務める齊藤聖七も「『キーパーは基本1人』とユースへ入る前に説明もされていたので、2人もいて『ああ、凄いな』とビックリして。だから『異例なんだな』と思いました」と語った通り、天野と梅田が“特別な2人”だったことも、また確かなようだ。

 ただ、お互いの立ち位置は少しずつ変化していく。1年時の高円宮杯プレミアリーグで早くも開幕戦からベンチに入り、最終節の市立船橋高戦ではスタメンにも抜擢された梅田に対し、県リーグを主戦場に置いていた天野にAチームでの出場機会は巡って来ない。2年に進級してからも、FIFA U-17ワールドカップへ臨む日本代表メンバーに招集されるなど、周囲の注目を集め始めていた梅田がレギュラー。「サブに回って、でも良いプレーができなくて、アピールできなくて、ずっと悔しい時期もありました」と天野も自らの感情を思い出す。

 ジュニアユース時代を考えれば、天野の心中は察して余りあるが、齊藤は2人についてこう口にする。「キーパーはポジションが1つで、同じ代に2人いたらどっちかが出られないじゃないですか。そういう争いがあるのにもかかわらず、あの2人は常に仲が良くていつも一緒にいますし、天野も本当にいいヤツなので、自分のツラい気持ちも隠して、透吾に『行って来い』とか言ったりするんです。その姿を見ていて『スゲーな』って思いましたね」。

 昨年のプレミアリーグ終盤戦。優勝争いを繰り広げていた残り4試合というタイミングで、梅田が負傷離脱したことにより、とうとう天野に出番が回ってくる。ところが、2試合連続で完封勝利を飾ったものの、その年唯一の“日本平”開催だった青森山田高戦は壮絶な撃ち合いの末に4-4のドロー決着。タイトルの懸かった最終節も柏レイソルU-18に敗れ、チームは優勝を逃がしてしまう。さすがに天野もこの結果は堪えたが、周囲は彼の想いを十分にわかっていた。「2年の終わりに公式戦に出させてもらったのに、負けてしまうことが多くて、自分の実力に自信を無くしたりしたんですけど、それでも透吾も含め、チームのみんなが励ましてくれたり、バスや電車の行き帰りもみんなで一緒に楽しくやってくれました」と天野。そして、エスパルスのアカデミーで過ごすラストイヤーの“6年目”がスタートする。

 前述したクラブユース選手権で16年ぶりに夏の日本一を獲得し、カップ戦での“全国二冠”を目指して挑んだJユースカップでは、トップチームへの昇格が決まった梅田が再度ケガで戦線を離れ、平岡監督は天野を最後尾に据える。すると、「自分も『透吾に負けないようにプレーしよう』という気持ちは少なからず持っているので、こういうチャンスが来た時にいつでも出れる準備をしてきたつもりですから」と言い切る天野は、PK戦までもつれ込んだ初戦の三菱養和SCユース戦で、相手のキックを2本ストップ。勝利に大きく貢献してみせる。

 印象深いシーンがある。準々決勝の柏レイソルU-18戦。後半終了間際に追い付かれ、またもPK戦へ臨む直前のこと。平岡監督がベンチ前で天野に話し掛ける。「『遜色ない』って言っちゃったんだから頼むぞ」。それが梅田との比較であることはすぐに理解できた。期せずして起きた笑い声の中心で、苦笑いを浮かべる天野。PK戦に入ってからも「天野、いつも通りにやれ!」と指揮官が檄を飛ばし、飛ばされた方が思わず笑ってしまうシーンも。「なかなかああいうのもないので、逆にそれを楽しみながらやれたかなとも思います(笑)」とは天野。結果的に5人全員が成功した清水ユースに対し、柏U-18の5人目がクロスバーにぶつけ、準決勝進出を勝ち獲ったが、この一連からも天野のキャラクターが透けて見えた。

 性格はまさに正反対。「透吾は結構ホワホワしているんですけど、プレーではバシッとやってくれて頼りがいのある所は自分も見習うべきですね。ただ、逆に内に秘め過ぎちゃって、『やる気あんのか?』みたいに言われている時もあるんですよ」(天野)「結構うるさいです。良い意味でムードメーカーですし、チームがうまくいっていない時も一番声を出してくれたり、そういう所は本当に見習わなくてはいけないなという気持ちもありますけど、逆に天野が落ち着いているかと言ったら、それは自分の方がというのもありますね」(梅田)。

 さらに「『この2人が合わさって1人になればいいのにな』って言われるくらい対照的なので」と梅田が話せば、天野も「『俺と透吾を足して2で割ったのがちょうどいい』みたいに言われるんですけどね」と笑顔。奇しくも2人からまったく同じフレーズが出てくる所も面白い。齊藤はキャプテンらしく、彼らを一言で端的に言い表してくれた。「マイペースなヤツと凄く騒がしいヤツです(笑)」。

 12月9日。Jユースカップで全国準優勝に輝き、1週間前にリーグ無敗を続けていた青森山田に土を付けた清水ユースは、プレミアリーグ最終節を迎えていた。「『3年生の最後の試合だ。楽しもう』というのが強かったですね」とは梅田。先発には10人の3年生が顔を揃える。メンバー表の一番上に書き込まれた名前は天野。自身にとっても1年ぶりの“日本平”に気合が入る。「スタッフを含め、こうやってプレミアの最後にここでのゲームをコーディネートしてくれた方々に本当に感謝したいです」。万感の想いを携えて、最後の1試合の幕が上がる。

 やや3年生たちの動きが硬い。徐々に富山一高に押し込まれる展開を強いられると、前半22分には決定的なピンチが訪れたが、天野が懸命のファインセーブで弾き出したあたりから、ゲームの流れが変わる。前半30分。3年生の佐塚洋介がクロスを上げ切り、飛び込んだ3年生の東駿が豪快なヘディングをゴールネットへ突き刺した。1-0。きっちりリードを奪って、後半へ折り返す。

 “16” と“1”。あの夏の日と同じ番号が第4審の掲げるボードに表示される。「相手にとっては本当に失礼なことかもしれないです。ただ、彼らが私に与えてくれた影響もそうですし、みんなに与えた影響もそうですし、そういう意味では彼らに対して、私からできる最後の感謝の行動だったんです」と平岡監督。ラスト45分間のゴールマウスは梅田に託された。

 少しずつ、少しずつ、終わりの瞬間が近付いてくる。後半43分に3年生の佐野陸人が追加点をマークし、アディショナルタイムには長期離脱から帰ってきた齊藤も、チームの3点目を記録する。その直後。唯一ベンチに残っていた3年生の中村亜龍が、“プレミアデビュー”となるピッチへ駆け出していく。「もう本当にシナリオ通りで、亜龍も出せて、点を取ったのが全部3年生で、『最高の学年だったな』って思いました」(齊藤)。12人の3年生全員が“聖地”の芝生に立った清水ユースのラストゲームは、こうして白星と共にタイムアップを迎える。

 バックスタンドの前に選手たちが整列し、おなじみの太鼓が聞こえてくる。日本平で勝ったらこれは外せない。“勝ちロコ”の始まりだ。肩を組み、ステップを踏み、歌を唄う。「『これで最後なので、楽しくやれればいいな』と思って、みんなで盛り上がるために自分がやり切りました」と笑った天野がユニフォームを脱いで裸になると、数名の選手がそれに続く。「前回の山田戦もユニフォームを着ていないのに、アイツは普通の格好で脱ぎ出して。ベンチに入っていなかったのに、それでもまったく気にせずやってくれる所が逆に嬉しかったですね」と笑った梅田。「これで最後なので」とは言ったものの、クラブユース選手権の時も、梅田が明かした前節も、天野と“仲間たち”は裸で踊っていた。そのことは彼らのキャラクターに最大限のリスペクトを払った上で、書き記しておきたいと思う。

 平岡監督に天野と梅田の関係性を尋ねると、少し考えてからこういう言葉が返ってきた。「“同志”ですね、良い時も悪い時もお互いが認め合ってやっているので、天野にしても透吾が出てきた時は認めて、天野が出ている時には透吾も納得していますし、本当に良いライバルとして、“同志”として、切磋琢磨できていた6年間だったと思います」。確かに“同志”は彼らにぴったりのフレーズである。また、それと同時に、初めての試みにトライしたことで多くを学んだという平岡監督も、あるいは天野と梅田へ“同志”に似た感情を抱いていたのかもしれない。

 改めて、梅田について聞いてみる。「6年間一緒にやってきて、その中で一番心にあるのは、『透吾で良かったな』というのが本当にあって、やっぱり『コイツは上手いな』と思わされるのは透吾でしたし、一緒にやっていて盗むものもあったり、気付かされる部分もあって、本当に自分がここまで成長できたのは透吾がいたからかなと凄く思います。私生活でもサッカー面でも一緒にいることが多くて、何でも相談できましたし、一番頼りがいがあるヤツでした」。

 改めて、天野について聞いてみる。「自分は『コイツに負けたくない!』という気持ちが強い方ではなくて、『コイツになら負けてもしょうがない』というのは基本的にあまり良くないとは思うんですけど、天野はちょっとそう思っちゃうぐらいの人間だったので、ライバルというよりは、仲間という気持ちが強かったと思います。アイツがいなかったらサッカーをやめているかもしれないですし、エスパルスに来てやっていないかもしれないですし、本当に天野と一緒にやれて良かったという感謝の気持ちでいっぱいです」。

 彼らの“6年間”が持つ意味に、つい周囲はいろいろな要素を付け足してしまいがちだ。でも、その真実は彼らにしかわからないし、それで2人にとっては十分なのだろう。天野と梅田だから、“6年間”が実現した。天野と梅田だから、“6年間”に輪郭がくっきりと刻まれた。本人たちにもこの関係がどんなに大事で、どんなに特別なものなのかを、今よりもっと強く実感する日がきっと来る。

 最後に天野がそっと教えてくれた。「これからは自分が目標にしている選手を聞かれた時は、必ず“梅田透吾”と答えようかなと思っています。やっぱり透吾を倒したいですし、ここからの4年間で地道に努力してプロになって、『相手のキーパー同士として勝負できたらな』という想いはあります。一緒に戦ったらアイツを負かしてやりたいですね」。

 ゴールキーパーというたった1つのポジションで競い合ってきた天野友心と梅田透吾。彼らが紡いできた“6年間”に大きな拍手を送りつつ、彼らの未来がオレンジ色に負けないくらい、よりカラフルな希望に彩られたものとなることを強く願っている。

■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」

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