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「アンプティサッカーをはじめる!」。19歳のがん患者につながった「遺志」(下)

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 切断障がいの人がプレーするアンプティサッカー日本代表の古城暁博主将は「(がんを克服したら)アンプティサッカーをしたい」という希望を糧に、骨肉腫と戦っていた杉浦行(コウ)君を励ますため、昨年10月のメキシコワールドカップ(W杯)直前にお見舞いした。古城はW杯にむけて昨年10月24日に出発し、史上最高の10位という成績を携えて11月6日に帰国。そのわずか23日後の11月29日、コウ君は19歳の若さで天に召された。

「帰国後に1回連絡したんですが、その直後にコウ君が亡くなってしまったことを人づてに聞きました。(昨年10月に一緒にお見舞いした)上中(進太郎)さんがお通夜、私は告別式に伺いました。告別式でコウ君のお父様とお話しすることができたんですが、実は私たちがW杯直前の10月にコウ君をお見舞いした時には、すでに余命宣告を受けていたんだそうです。お父様は『(コウ君に)残された時間は、アンプティが希望になった』とおっしゃってくれました。何とか一緒にプレーしたかったんですが……」

 コウ君が亡くなったとき、鈴木君は治療のために新潟と東京を往復し、現在通う学校の入学試験の受験準備にも追われ、「お別れ」に立ち会うことができなかった。最後に会ったのはコウ君が亡くなる2か月前の9月。鈴木君が検査のために上京したとき、お互いの家族もまじえてカラオケに行ったことが最後の思い出となってしまった。

「ラーメンを食べた後にカラオケ店に入って。尾崎豊さんの『15の夜』『I LOVE YOU』、そしてブルーハーツさんも。今考えても歌いまくりましたね。コウ君がなくなる直前、僕は同じ病院にいなかったのですが、後日、同じ病室にいた友達に話を聞くと、コウ君は体中に管がつながっていても、普通に笑ってしゃべっていたそうです。『スゴイヤツだな』と思いました」

 鈴木君にも新たな試練が訪れた。入試を終えた今年1月、義足を作るために上京したとき、検査でがんの肺への転移が見つかった。大きさは小豆ほどだが、がんの再々発。今まで何度も乗り越えてきた鈴木君も、内心は穏やかではなかったはずだ。

昨年W杯で前回4位のポーランドに勝った直後

「『どうしてこうなるんだろう』ということは、それは何度も考えました。でも最近は『考えても仕方がない』というところに行きつきました。僕は最初、上京してこの病院にお世話になったとき、小児科に入りました。僕より小さい赤ちゃんから小学生ぐらいの子がいて、その子たちは点滴などで薬を入れながらでも(病院内の)プレールームで遊びに来たりするんです。その子たちに呼ばれて遊んだこともありました。逆に、僕らと同年代の中学生、高校生が新しく入ってきて、病室のカーテンを閉めきっていることもある。あの小さい子たちの姿に触れると、カーテン閉めている場合じゃない、って思ったんです。そう考えるようになってからはコウ君とか同室にいたほかの友人らと一緒に小さい子を集めて、みんなで遊んだりしました」

 鈴木君がコウ君と出会った頃、コウ君は肺への転移が見つかり、薬が効かなくなっても明るい表情で闘っていた姿を見てきた。ゆえに、その姿は鈴木君の頭の中で無意識に重なってくる。そんなとき、久しぶりにコウ君の家族から連絡をもらい、アンプティサッカーにはじめてトライすることが出来たことが生きる励みになった。ではなぜ、コウ君の父・剣太さんは鈴木君を誘ったのだろうか。剣太さんが明かす。

「一言では言い表せないのですが、行(コウ)は生前、アンプティをやろうと考えていたとき、日本代表になるつもりでいたようです(笑)。行(コウ)がプレーヤーとしてやれていたら、きっと同じ境遇の親友には見に来てほしいだろうな、と感じたので、行(コウ)の思いとして鈴木君を誘いました」
 
 実際、鈴木君はアンプティを初めてプレーしたことで、映像で見ていたとき以上に「アンプティをプレーしたい」という願望は高まった。

「コウ君から誘われていたときも『実際に(アンプティを)見たほうがいいよ』って言われていたんです。実際にやらせてもらって、やっぱり楽しいと思いました。エキシビションマッチの後、東日本リーグのチームの方が分け隔てなくすごい誘ってくれて…。そのこともうれしかったですね」

この日が来ることを信じている

 この4月から義肢装具士養成校に通う鈴木君は毎日6時間の授業を受け、週末や授業の合間のに、抗がん剤の治療を受けに行く。アンプティをはじめたい気持ちはあるが、体力の消耗を考え、今はどのチームにも所属せず、治療に専念している。抗がん剤の治療を卒業できれば、チームを選ぼうと考えている。

「コウ君のことは今でも毎日、考えています。ただ、僕がアンプティをはじめる理由が『彼のために』というのはちょっと違う。あくまでも僕が純粋にやりたいからはじめるんです。コウ君は病院生活も自分と同じぐらい長かったのにずっと前向きで、その姿を思い出すと、まだまだ負けていられないなと。ありがたいことに今、とにかく授業も大変で、昼の弁当も自分で作ったりしているので、忙しくて余計なことを考える時間がない。そのこと自体、いいことなんですけどね」

 そんな鈴木君のことを知った日本代表主将の古城は、こうエールを送る。

「(鈴木君には)まずはご家族を安心させることを第一に考えてもらいたいです。治ったら、それはアンプティをはじめてもらえるのが一番だとは思いますけど、アンプティでなくても何かスポーツをプレーできる体の状態になってほしい。私は短い間でしたが、コウ君やそのご家族とお話させていただく機会に恵まれて、そのことを踏まえると、コウ君の遺志やエネルギーみたいなものが、鈴木君に届いたのかなと思います。サッカーにとどまらず、スポーツの存在は、病気と闘っている人にとってもきっと生きる糧になるのだと感じます。鈴木君が病気を乗り越えたとき暁には、彼や同じ病気を克服した方々にしか伝えられないことを伝えてほしい。そう考えるだけでも楽しみです」

 元号が令和に変わり、新時代を迎えた今年のゴールデンウィークは最大10連休と長かった。鈴木君は他のクラスメートが一斉に里帰りするのを横目に、ひとり東京に残り、抗がん剤治療を受けた。今回から薬が変わったが、今まで感じていた体内の違和感がスッと消え、明らかに好転している手ごたえを感じている。桜はすっかり散り、ツツジの花が咲き誇る日本列島。ちょっぴり遅い“春の風”を感じた鈴木君は26日が20歳の誕生日。これから迎える夏の日差しのように、人生もきっと輝かしくなると信じている。

(取材・文 林健太郎)

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